第9話
朝の会の時に、井岡先生が尾上に話しかけた。
「尾上は最近休んでたから知らないかもしれないが、春比奈のスケッチブックに落書きがしてあったんだ」
桃のスケッチブックに落書きがしてあることが発覚したあの日から今日まで、尾上はずっと学校を欠席していた。
「そのことについてなにか知らないか? 知ってたら教えて欲しいんだが。他のみんなもなにか思い出したことがあったら言ってくれ」
井岡先生が言い終わると、教室に沈黙が広がった。そんな教室の中から、泣き声が聞こえ始める。
なぜか泣いている尾上が立ち上がった。
教室中の視線が一気に尾上に向けられる。
尾上が涙を流しながら口を開いた。
「ぼく、犯人を見ました! あの日の放課後、この教室の中で藤木さんと松原さんと鈴森さんが、春比奈さんのスケッチブックに落書きしてました!」
教室内が一斉にざわついた。
「尾上はこう言ってるが、藤木、松原、鈴森、本当にお前たちがやったのか?」
暫くの沈黙の後、秋実が口を開いた。
「そんなことしてません。わたしたちじゃありません」
「藤木さんたちは自分の筆箱の中から取り出したマジックペンを使ってました。落書きをした後に、ペン先を拭いてなかったとしたら、ペン先が絵の具で汚れたマジックペンが、今も藤木さんたちの筆箱の中に入っているかもしれません!」
「それは証拠にならない! 汚れてたとしても、いつ汚れたのかわからないし!」
「藤木の言う通り、それは証拠にはならないな」
尚も泣き続けている尾上が、鼻水を垂らしながら叫ぶ。
「ぼくは本当に見たんです!」
尾上の泣き声だけが教室に響き渡る。
「秋実の地理のノート」
教室内の視線が一気にあたしに向く。
「秋実の地理のノートに、猫のイラストが描いてあります。スケッチブックに落書きされてた猫のイラストとそっくりです」
「今日は地理の授業があるからノートを持ってきてるはずだな。藤木、出しなさい」
「忘れました」
「あたしの知る限り、秋実が忘れ物したことは一度もない。今日もちゃんと持ってきてるんでしょ?」
「どうなんだ藤木」
「忘れたので持ってきてません」
「嘘です。持ってきてるはずです」
「鞄の中を見せなさい」
井岡先生が秋実の席まで歩いていく。そして机のフックに引っ掛けていた秋実の鞄を掴んでフックから外す。
「ちょっと、やめてください!」
先生が鞄を開けようとするのを、秋実が止めようとする。
「見られてまずい物でも入っているのか? 男のおれに見られて嫌なんだったら、女性の先生を呼んできてもいいんだぞ。開けて欲しくないならその理由を言いなさい。見られて困る物がないんだったら、見せられるはずだろ」
秋実が手を静かに鞄から離した。
井岡先生が鞄の中身を秋実の机の上に出していく。そしてやはり地理のノートが出てきた。
「あるじゃないか」
井岡先生がノートのページを捲っていく。そして手を止める。
「大木が言ってるのは、これのことじゃないのか?」
ページを見せられた秋実が最後の抵抗を試みる。
「それはわたしが描いたんじゃありません! 小鳥に貸した時に、小鳥が描いたんです!」
「授業中、退屈しのぎによくノートに絵を描いてるって言ってたから、もしかしたら他のノートにも、スケッチブックに描かれてたのと同じ動物のイラストが描いてあるかもしれません」
「藤木、ノートは全部没収させてもらうぞ。詳しく話を聞くから藤木と松原と鈴森は放課後に職員室に来なさい。尾上は目撃した時のことをもう少し聞きたいから、今から職員室まで来てくれ」
朝の会が終わっても、秋実たち三人は自分の席から動こうとしなかった。
クラスのみんなは秋実たちをちらちらと気にしながら、ひそひそと話し始めた。
職員室に行っていた尾上は教室に戻ってくると、あたしと桃のところにやってきた。泣き腫らした尾上の目は赤くなっていた。
「言うのが遅れてごめん。もっと早く言えばよかったんだけど、藤木さんがあんなことするなんて、ぼく信じられなくて。というか、自分の中で受け入れられなくて」
尾上が顔を歪めてまた泣きそうになる。
桃が首を横に振る。
「尾上君が謝る必要なんてないよ。言ってくれてありがとう」
「お礼だなんて、そんな!」
尾上は両手をわたわたと動かす。
「謙遜すんなよ。尾上、お前結構勇気あるんだな。見直したぞ。スケッチブックの落書きを見た時に、あたしすぐに秋実たちかもって疑ってたんだ。でも、あたしも秋実たちだとは信じたくなくて、というか正直に言うと恐くて秋実たちに訊けなかったんだ」
「うん、尾上君は勇気あるよ。さっきの尾上君、ちょっと格好よかったよ」
「え!? 格好良いだなんてそんな!」
挙動不審な動きで謙遜する尾上が可笑しくて、あたしと桃は笑った。
尾上から詳しく聞いた話ではあの日、秋実宛てのラブレターに放課後体育館裏に来てくださいと書いた尾上は、体育館裏に行って秋実を待っていた。しかしいくら待っても秋実は来なくて、諦めて鞄を取りに教室に戻ったら、例の現場を目撃したのだ。
好きな女の子が酷いことしながら楽しそうに笑ってる姿を見て、ショックを受けた尾上は、翌日から学校を休み、このことを言うべきか言うまいか、自分の部屋にこもってずっと悩んでいたらしい。
「でもやっぱり、あんな酷いことしてるのを見たのに、黙ってるのはおかしいと思って、言ったんだ。あの時先生に訊かれてなかったとしても、自分から先生のところに言いに行くつもりだったんだ」
結局、秋実たちは井岡先生の尋問から逃れられずに自供した。
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