第7話


 昼休みになり、あたしはいつものように、教室の中で秋実たちと四人でお昼ごはんを食べていた。

 周囲でお昼ご飯を食べている生徒たちが、春比奈さんのスケッチブックに落書きがしてあったことについて話している声が聞こえてくる。それに触発されてか、隣の遥がお弁当をつつきながら言った。

「小鳥、さっきは災難だったね」

「うん」

 なんでかばってくれなかったの? って訊きたかった。でもそんなこと訊いても場の空気が重くなるだけだから、訊けなかった。

 あんな状況で口を挟むなんて勇気いるもんね。誰だって恐いもんね。と思うけれど、やっぱりなんでかばってくれなかったのって思ってしまう。

 友達だよね? あたしたち。もしかしてあれをやったのって……。だったらどうしてあたしのロッカーに春比奈さんのスケッチブックを入れたの? さっきからずっと同じ思考を繰り返してる。ぐるぐる同じことで悩むんだったら直接訊けばいい。さあ訊こう。

「犯人誰なんだろう?」

「さあ、誰だろうね」

 秋実が興味なさげに答えた。

 訊くのが恐くて、あたし別のことを口にしちゃったよ。あたしのへたれ。

 お昼ごはんを食べ終えたあたしたちは、いつものように他愛のない話に花を咲かせていた。そして昼休みがあと五分ほどで終わるという頃になった時、なにかを思い出したらしい理沙が「あ!」と声を上げた。

「小鳥、前の数学の授業の時に、山下に指名されてなかった?」

「あ! いっけね!」

 次の五時間目の授業は数学Aだ。

 数学の山下先生はいつも授業の終わり際に全員に対して宿題を出す。その際、山下先生は生徒を何名か指名する。指名された生徒は次の授業の始めに、その宿題を黒板に書いて解かなければならない。そして必ずといっていいほど、その解答に対して色々質問してくるので、黒板に解答を書いた生徒はそれについても答えなければならない。指名した生徒がもしも宿題をやってきてなくて解けなかったり、山下先生の質問に答えられなかったりしたら、山下先生の怒髪が天を衝き、生徒に雷が落ちるのだ。なので山下先生は生徒たちの間で、めちゃくちゃ恐い先生として知られていた。

「ヤバい、やってくるのすっかり忘れてた!」

 あたしは前回の授業の時、指名されていたんだった。

「誰かやってきてない? 写させて」

「やってきてないよ」

「わたしも」

「わたしもやってない」

 指名されなかった生徒は、指名されていた生徒が黒板に書いた解答と、自分がノートにやってきた解答を見比べて、答え合わせをする。ノートを提出したり、先生がやってきたかどうかチェックすることはないので、指名されなかった生徒が宿題をやってきてなくても怒られる心配はない。だからやってこない生徒も多かった。

「じゃあ解くの手伝って!」

「えー、もう時間ないし諦めて怒られるしかないって」

 秋実の面倒くさそうな返答に、理沙と遥も「そうそう」と賛同する。

「薄情者!」

 あたしは急いで自分の席に戻って、問題を解くことにした。

 秋実たちとの友情を疑っているからか、こんな小さなことでも、手伝ってくれなかったってだけで、傷ついた。

 なんで手伝ってくれないの? あたしたちって友達だよね?

 数学の教科書とノートを開いて、解くように言われていた設問を解きにかかる。一瞬、教室の時計を見る。どう考えても五分で解けそうにない問題だった。

 時間がない、どうしよう! 怒られたくない! 間に合わないよ! 

「大木さん」

 声に振り向くと、あたしの席の横に立った春比奈さんが、ノートを差し出していた。 

「わたしやってきたから、よかったら写して。嫌ならいいけど」

 さっきあたし慌てた時、大きな声出しちゃったから、それが聞こえてたらしい。

 保健室で話した時、春比奈さんは自分が女子から嫌われてることに気づいていた。さっきの嫌がらせもそのせいだろうということも、きっとわかってる。そんな自分なんかと交流を持ってしまったら、あたしまでもが他の女子から白い目で見られるようになるかもしれないということも、春比奈さんはわかってるはずだ。でもやっぱり独りは辛いんだ。休み時間は男子と喋っているけれど、体育の授業などで女子だけの時に、先生が何人かでグループを作れと言った時、春比奈さんはいつも最後まで取り残されて、所在なげにポツンとしている。仕方なく先生が、他のグループの子たちに入れてあげろと言って、歓迎されてないグループに入れられて、肩身の狭い思いをしていた。だからこれは単にノートを貸してくれようとしてるんじゃない。だってこういう時に「嫌ならいいけど」なんて言う必要はない。自分と関れば、あたしに迷惑がかかるかもしれないことがわかってるから「嫌ならいいけど」と付けたしたんだ。

 春比奈さんもやっぱり女子の友達が欲しいんだ。もしかしたらあたしだったら、自分と友達になってくれるかもしれないって思ってくれてるんだ。

 保健室で話してから、あたしの春比奈さんに対する印象は変わった。あたしの中で、春比奈さんともっと話してみたいという気持ちが生まれていた。でも春比奈さんと仲良くすることで、女子たちから白い目で見られるかもしれないという恐怖も、正直に言えばあった。

「嫌ならいいけど」なんてわざわざ言ったということは、おそらくここで断れば、春比奈さんはあたしに二度と関ろうとしてこない気なんだろう。

 あたしは自分が昔、クラスメイトたちから避けられていた時のことを思い出す。あの時、そうちゃんが話しかけてきてくれた時、どれだけ嬉しかったことか。味方が一人できるだけで、どれだけの安心感が得られたことか。

 あたしは春比奈さんに笑顔を向けた。

「ありがとう。写させてもらうよ」

 あたしが笑顔で受け取ると、春比奈さんも嬉しそうな笑顔になった。

「うん!」

 急いで写し終えると、あたしは春比奈さんの席に行って、山下先生の質問に答えられるように、春比奈さんから解答の説明を受けた。その甲斐あって、あたしは怒られることなく、無事に五時間目の授業を乗り切ることができた。

 春比奈さんはさっき、勇気を出してあたしの所にノートを持ってきてくれた。あれはかなりの勇気が必要だったことだと思う。昔クラスで浮いてた経験のあるあたしには、それが痛いほどわかる。だったら今度はこっちから話しかけるべきだ。

 六時間目の授業は音楽で、音楽室に移動しなければならない。

 理沙があたしの席までやってくる。

「小鳥行こう」

「ごめん。あたしはいいから三人で行って」

「どうしたの? トイレだったら付き合うよ?」

「ううん。春比奈さんと行こうと思って」

「え!? なんで!?」

「春比奈さんと行きたいと思ったから」

「ちょっと!?」

 あたしは理沙を置いて、春比奈さんの席に向かった。

「春比奈さん、一緒に行こう」

 少し緊張してあたしが言うと、

「うん!」

 春比奈さんは満面の笑顔になって頷いてくれた。

 春比奈さんと一緒になって、二人で廊下に出る途中、

「あれ、どういうこと?」

 と理沙に訊いてる秋実の声が聞こえてきたけれど、あたしはそのまま春比奈さんと一緒に廊下に出た。

 みんなは春比奈さんを誤解してるだけだ。その誤解はあたしがこうやって春比奈さんと一緒にいることで解いていけばいい。そうしていれば、その内みんなも少しは春比奈さんのことをわかってくれるようになると思う。

 春比奈さんと二人で廊下を歩いていく。

 春比奈さんが窺うようにあたしを見上げる。

「あのね、小鳥ちゃんって呼んでも、いいかな?」

 あだ名で呼んでくれようとしている、ただそれだけのことが、なんだかむしょうに嬉しくて、あたしは胸の辺りがじわーっと温かくなるのを感じた。

「いいよ。じゃああたしは桃って呼んでいい?」

「うん! もちろん!」

 あたしと桃は笑顔を見合わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る