第3話


 一時間目の授業が終わり、十分間の休み時間に入った。あたしは今日、日直で、朝の会の時に二時間目の授業でプロジェクターを使うから、二時間目の授業が始まる前に、資料室にあるプロジェクターを教室まで運んでおくようにと井岡先生に言われていた。秋実たちが手伝おうかと申し出てくれたけど、こういう時に力強さをアピールしておくことにより、あたしをからかってくる男子の数が減らせると思うし、手伝ってもらってる姿を見られたら、今あたしを恐れている男子たちになめられて、あたしのことをからかってくるようになるかもしれないので、それを防ぐために断った。しかしいざ資料室に行ってプロジェクターを一人で持ち上げてみたら、これがかなり重たかった。なんとか持てはしたものの、ふらつかないようにゆっくりと歩くのがやっとで、重量で底が指の腹に食い込み、かなり痛い。秋実たちの申し出を断ったことを後悔したけど、余裕で一人で運べるからと言った手前、今更手伝ってなんて言うのは格好悪くてできないから、仕方なく一人で運んでいく。

 資料室を出て廊下をのっしのっしと歩いていると、菱田に気づかれてしまった。

「よっ! さすが男女! 一人で運べるなんて大したもんだ。女子だったら絶対無理だもんな。頑張れたいぼく!」

「うっせえ! 誰が男女だよ、あたしは女子だ!」

 もし運ぶのを誰かに手伝ってもらってたら、それはそれで「男の癖に一人で運べないのかよ!」とか言ってからかってきたに違いない。

 底がくいこんでいる指が千切れそうに痛くて、もう限界だった。でもここで菱田たちに手伝ってくれなんて言っても手伝ってくれるわけもないし、余計からかわれるだけに決まってるし、そんなこと口が裂けても言えない。歯を食いしばって耐えていると、

「手伝うよ」

 そうちゃんがあたしの手からプロジェクターを取り上げた。そして一人でプロジェクターを運んでいく。そのそうちゃんの姿は、あたしとは違って歩く速度が速くて、しっかりとした足取りだった。それが、ああ男の子なんだなと感じさせる。

 これは話しかけるチャンスだ。

「ありがとう。……柊君」

 思わず柊君って言っちゃったよ! あたしのこと覚えてくれてるのか、あたしだって気づいてくれてるのか、忘れられてないだろうかって考えてしまい、つい他人行儀な呼び方になってしまった。昔はそうちゃんって呼んでたのに、なにしてんだよあたし! 

 そうちゃんは一瞬あたしを見つめてからこう言った。

「どういたしまして、たいぼくさん」

「あたしの名字は大木(おおき)だよ!」

「あ、ごめん。大木さんって言うんだ。さっきたいぼくって呼ばれてたからさ」

「あれはあだ名みたいなもんだから」

 やっぱりあたしだって気づいてない。というかあたしのことを覚えてるかどうかも怪しい。やっぱり忘れられてるんじゃ……。

 あたしの方が先に他人行儀な呼び方しといてなんだけど、昔はあたしのこと小鳥って呼んでくれてたのに、違う呼び方されたことがちょっぴり悲しくて傷ついた。

 一度柊君って呼んじゃった手前、さっきよりもあたしのこと覚えてるのかどうか訊きづらくなってしまった。あたしはそれ以上なにも言えなくなってしまい、そうちゃんも口を閉ざし、気まずい空気を纏ったまま、プロジェクターを教室に運び終えた。

 それからのあたしたちは、変な感じになってしまった。やっぱり気になってそうちゃんの方を見てみると、向こうもこっちを見ていて、何度も目が合った。教室の中や廊下ですれ違う時、そうちゃんは不自然にあたしから目を逸らした。あれは多分あたしのことに気づいているんだと思う。そうちゃんもあたしを意識してて、でも意識してることを隠そうとするから、あんな風な不自然な変な感じになってるんだろう。それは多分あたしも同じで、そうちゃんが近くに来るだけで変に意識してしまって、無意味に髪を弄ってみたりしてしまう。だからそうちゃんの目にも、あたしが不自然で変な感じに見えてるんだろうな。ということはあたしがそうちゃんだって気づいてることに、そうちゃんも気づいているということだ。あたしたちはそういうなんとも言えない変な感じのことを、何度も繰り返した。

 その原因を作ったのはあたしじゃないのか。プロジェクターを運ぶのを手伝ってくれた時そうちゃんは、あたしがそうちゃんのことを覚えているのか確かめようとして、話しかけてきてくれたんじゃないだろうか。それなのにあたしが柊君って呼んじゃったもんだから、あたしがそうちゃんのことを忘れてると思って、そうちゃんもあたしのことを昔とは違う呼び方で呼んだんじゃないだろうか? そうちゃんはあたしの不自然な変な感じを見て、あたしがやっぱりそうちゃんのことを覚えてて、あの時は長い時間によってできてしまった心の距離のせいで、あたしが思わず柊君って呼んじゃったんだってことも、もうわかったと思う。そうちゃんがそう理解してることをあたしがわかってるってことも、そうちゃんはわかってると思う。そこまでお互いわかっているのに、あたしもそうちゃんもどう話しかけていいのかわからなくて、結局話しかけないんだ。

 休み時間に秋実と理沙と話していると、そこに遥がやってきた。

「高岡君、やっぱり春比奈のこと好きなんだって。今、城嶋君が言ってた」

 秋実は奥手で、片思いしている高岡君に自分から話しかけることができずにいた。そこで理沙と遥が代わりに高岡君や、高岡君と仲の良い男子に話しかけたりして、情報収集しているのだ。あたしも偵察を頼まれたけど、あたしは男子全般が嫌いだから断った。

「そっか」

 秋実の瞳に落胆の色が浮かぶ。

「でもまだ付き合ってるわけじゃないんだから、諦めちゃダメだよ」

「うん……」

 秋実は悄然と呟いた。


 技術の授業であたしたちは今、木製の椅子を作っていた。のこぎりで木材を切って、釘を打って椅子の形にしていく。

 技術室の中は木屑の匂いが充満していた。のこぎりで木材を切る音や、釘を打ち付ける音に混じって、

「いてっ!」

 という声がした。振り向くと高岡君が手を押さえて顔を歪めていた。

「大丈夫!」

 春比奈さんが高岡君に駆け寄る。

「うん、ちょっと切っただけだから」

 高岡君が傷を見せる。指を少し切っただけのようだ。そこから血が出ていた。

「あたし絆創膏持ってるよ」

 春比奈さんはポケットから絆創膏を取り出し、それを高岡君の指に巻いた。

 巻いてもらっている間、高岡君は惚けた表情で、目の前の春比奈さんの顔をずっと見つめていた。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 春比奈さんは天使みたいな綺麗な笑顔で言った。

 春比奈さんが立ち去ると、高岡君の周囲に数人の男子が寄ってきた。

「よかったな高岡。怪我の功名じゃんか」

 肩を叩かれた高岡君は、嬉しそうに照れ笑いを浮かべた。

「いいなあ。おれも春比奈さんに絆創膏張ってもらいたい」

「じゃあ、全員でわざと怪我するか?」

 男子たちが一斉に笑う。

 そんな様子を秋実が冷たい目で見ていた。

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