第2話


 翌日の朝の会で、担任の井岡先生の発した言葉によって、教室内がにわかにざわついた。

「今日、うちのクラスに転校生が来ることになった。ていうか既にそこの扉の向こうに来てるんだが」

 先週、体育祭が終わって十月も半ばという、この中途半端な時期に転校生とは珍しい。

「入って来て!」

 井岡先生が呼ぶと、転校生が扉を開けて入ってきた。その転校生を見て、あたしは瞠目する。

 そうちゃんだ!

 そうちゃんこと柊宗一は、あたしの小学生時代のクラスメイトだった男の子だ。

 当たり前だけど、あの頃から成長していて身長も高くなっている。あたしと同じくらいかな。顔つきや体つきが男らしくなっているけれど、昔の面影が残っている。あの転校生は間違いなく、あたしが昔恋をした男の子、そうちゃんだ。

 小学二年生の六月に、父の仕事の都合で、あたしは今住んでいるこの町に引っ越してきた。当時引っ込み思案だったあたしは、新しいクラスになかなか馴染めなかった。転校先の森山小学校では全員が、なにかしらの係にならなければならなかった。

 レクリエーション係になれば、みんなと遊ぶレクリエーションの時に、自然とみんなと話す機会が生まれ、そこから仲良くなれるんじゃないかとあたしは考えた。そしてあたしはレクリエーション係になった。

 森山小学校では毎年七月に、星の集いという七夕のイベントが行われる。短冊に願いを書いて、それを竹に結びつけてお願いごとをしたり、体育館で劇を披露したり、みんなで合唱したりするのだ。

 星の集いの準備を仕切るのは、担任の先生もフォローしてくれるけれど、基本的にレクリエーション係の仕事だった。

 準備しなければいけないことはたくさんあった。劇の小道具や大道具の制作、劇の練習に歌の練習、短冊の作成。そのうえ時間に余裕がないから、七夕までに間に合わせるためには、進捗状況を確認し、遅れていれば、みんなを急かす必要がある。間に合うか間に合わないか、星の集いが成功するかどうかは、レクリエーション係にかかっていると言っても過言ではないと、あたしたちレクリエーション係の生徒たちは先生から念を押された。純粋だったあたしはその言葉に使命感を感じて、星の集いを成功させて、絶対にみんなと仲良くなってやるんだと、強く決意した。

 間に合わせるためにはワークスケジュールを前倒しにしなければならないと必要以上に思ってたあの時のあたしは焦っていた。友達同士で談笑しながら、だらだらと制作作業や劇の練習をするクラスメイトたちに、時間がないから急ぐようにあたしは注意した。でもみんなは急いでくれなかった。みんな準備するのも楽しみながらやりたかったんだろう。言うことを聞いてくれないみんなに対し、あたしの言い方がきつくなっていった。するとそれが、みんなの反感を買ってしまった。

「ちゃんとやってんじゃん」

「お前あんまり手伝ってないくせにえらそーに言うな」

 引っ込み思案だったあたしは、みんなに責められて縮こまった。

「それはあたしにはレクリエーション係の仕事があるからで……」

「お前これ作ってみろよ! どれだけ時間かかると思ってんだよ!」

「そんなにうるさく言うならお前が全部やれよ!」

 そしてあたしはクラスメイトたちからハブられるようになってしまった。

 そんなあたしに、当時同じクラスだったそうちゃんだけが、話しかけてくれた。そうちゃんは快活な笑顔が印象的な明るい少年だった。

 あたしに話しかけるそうちゃんにクラスメイトたちが不満の声をぶつけた。

「そうちゃん、なんでそんな奴に話しかけるんだよ」

 それに対して、そうちゃんは毅然とした態度で応じた。

「星の集いの時、小鳥は悪くなかったと思う。小鳥は準備を間に合わせようと必死だったから、みんなを急かしてただけじゃん。小鳥の言い方きつかったけど、言ってることは間違ってなかったとおれは思うよ。小鳥がレクリエーション係じゃなかったら、間に合ってなかったんじゃないかなあ」

 明るくて勉強もスポーツも得意だったそうちゃんはクラスの人気者で、いつもクラスの中心にいた。そんなそうちゃんがあたしをかばってくれたんだ。嫌がらせをされたこともあったけれど、その度にそうちゃんが助けてくれた。そうちゃんがあたしに毎日話しかけ続ける姿を見ていた他のクラスメイトたちは、次第にあたしを無視することをやめていった。そしてあたしはクラスに馴染むことができたのだ。そしてあたしとそうちゃんは、放課後や学校が休みの日にも遊ぶような関係になっていき、あたしはそうちゃんのことを好きになった。あたしによくしてくれるそうちゃんも、あたしのことが好きなんじゃないかと思っていた。でもある日、休み時間にあたしと喋っていたそうちゃんに、クラスメイトの男子がこう訊いた。

「そうちゃんって大木さんと仲良いけど、大木さんのこと好きなの?」

「別に好きじゃねえし」

 そうちゃんはそっけなく答えた。それを聞いたあたしは急に恥ずかしくなった。そうちゃんは誰にでも優しかった。それなのに自分だけ特別扱いされてると勝手に勘違いしていたとわかったからだ。それから暫く経ったバレンタインデーに、あたしはそうちゃんに告白しようとした。でもあの時そっけなく答えたそうちゃんの横顔が脳裏をよぎり、恐くなってあと一歩勇気が出なくなり、結局肝心の「そうちゃんが好き」という部分が言えず、チョコレートを渡すだけになってしまった。だからその日家に帰ってから、あたしはラブレターを書いた。その翌日は休日だったけれど、昨日の帰り際に遊ぶ約束をしていたから、あたしはラブレターを持って、いつもの待ち合わせ場所であるゾウ公園に向かった。しかしいつまで待ってもそうちゃんは来なくて、結局ラブレターは渡せなかった。

 休みが明けて学校に行くと、担任の先生から、そうちゃんが急に転校したことを知らされた。先生も引っ越し先を教えてもらってなくて、そうちゃんがどこに引っ越して行ったのか、誰にもわからなかった。

 そして徐々にそうちゃんを好きという気持ちは薄れていき、いつしか好きじゃなくなっていた。

 昔、ランドセルに付けていたキーホルダーを、いつの間にかクラスの誰かに取られたことがあった。放課後そうちゃんと二人で探して、運動場の隅に落ちているのを見つけることができたけれど、踏まれたのか、割れてボロボロにされてしまっていた。それを見て泣き出したあたしに、そうちゃんが新しいのをプレゼントしてやると言って、そうちゃんはあたしをゲームセンターに連れて行った。そしてそうちゃんがクレーンゲームで、たった一回のプレイでキーホルダーを取ってくれて、それをあたしにプレゼントしてくれた。そのキーホルダーを、あたしはいまだに家の鍵に付けて使い続けている。アニメかマンガのキャラクターだと思うんだけれど、あたしには一体なんのキャラクターなのかわからない人形のキーホルダーだ。使い続けている理由はなんだろう? 昔好きだった男の子から貰った思い出の品だから、だろうか。

「自己紹介して」

 井岡先生が促し、そうちゃんが口を開く。

「柊宗一です。よろしくお願いします」

 低くなった声。子供の頃の無邪気さが抜け落ちて、落ち着いた雰囲気になっている。あたしの知らないそうちゃんだ。でもなんだろう、小学二年生から高校一年生になったから、子供っぽさが抜けるのは当たり前だと思う。でもそれにしては雰囲気が変わりすぎてる気がする。あの快活な笑顔が印象的だったそうちゃんが高校生になったというだけで、こんな感じになるだろうか? 知らない人たちの前に立って、緊張してるのかな? あ、わかった。目だ。目に覇気がない気がする。あたしたちの方に瞳を向けているけれど、どこか焦点が定まってないというか、ここではない遠くを見ているような、そんな気がする虚ろな瞳。単に寝不足なのかもしれないけれど。

 あたしは一目で気づいたけれど、あれから約七年半も経っている。そうちゃんはあたしのことを覚えてくれているだろうか。もしも話しかけて「誰?」って言われちゃったらショックだなあ。覚えててくれたとしても、こんなに大きくなったあたしを見て、昔一緒のクラスだった大木小鳥だとわかるだろうか? ……普通に考えてわかるわけないと思う。だってまさか、自分よりも背が低かった女の子が、こんなに大きくなってるだなんて誰が予想できるだろう。

 そうちゃんの自己紹介が終わると、朝の会も終わって、一時間目の授業が始まるまでの間の短い休み時間に入った。

 そうちゃんの席はあたしの席から離れた位置の席になった。そうちゃんは自分の席に座りながら、近くの席の生徒と談笑している。あたしは自分の席に座りながら、そうちゃんの様子を窺う。そうちゃんは周囲のクラスメイトたちと笑顔を交えながら普通に楽しそうにしている。でもやっぱりなんか雰囲気が違う。人前に立ってたことによる緊張のせいではなかったみたいだ。なにが違うって笑顔が違う。あたしの知ってるそうちゃんは、もっとパッと周囲を明るくするような笑顔を浮かべるんだ。なんか今浮かべている笑顔が、昔を知ってるあたしには、作り笑顔に見えてしまって仕方がなかった。会わなくなった間にどんなことがあって、今のそうちゃんになったんだろう。知りたい。話してみたい。あたしのこと覚えてるか、訊いてみたい。でも忘れられてたらどうしようって考えると、話しかけることが億劫になってしまう。どうしようか迷った挙句、だったら話しかけてもらえばいいんだという結論に至った。

 あたしは席を立ち、そうちゃんの席の横を通ってみた。……話しかけてくれない。もう一度だ。今度は通る時に咳をしてみたけどダメだった。次に喉の調子を整えるフリをして「んんっ!」と言いながら通ってみたけど、そうちゃんは近くの生徒と談笑を続けるばかりでダメだった。諦めずに何度もそうちゃんの横を通っていると、

「さっきからなにしてんの?」

 怪訝そうな顔をした秋実に怪しまれてしまった。

「え!? な、なんでもないよ別に」

 あたしはそうちゃんに話しかけてもらおう作戦を諦めることにした。秋実と一緒に、理沙と遥のところに向かう。

「小鳥、転校生が格好良いから、話しかけたかったんでしょ?」

 遥がにやにや笑いながらあたしを見る。

「ち、違うって! 別にそんなんじゃねえから!」

 狼狽するあたしを見た三人が笑う。

「格好良いよね、柊君」

 遥の感想に理沙がうんうんと頷く。

 秋実が舌打ちする。そうちゃんの隣の席は春比奈さんで、二人は談笑を続けていた。

「あいつ転校生にもう色目使ってやんよ。尻軽すぎだろ、あーウザッ!」

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