スノーフレーク

雪月風花

第1話

「げっ! な、なんで大木まで来てるんだよ!?」

「理沙に一緒に来てくれって頼まれたんだよ」

 神崎が裏切られたと言いたげな表情を理沙に向ける。

「おい神崎、理沙に告るのこれで十回目なんだって? いい加減、もう理沙に言い寄るのはやめろ」

 神崎が指定してきた告白の舞台は、壊れたりして使われなくなった机や椅子が所狭しと押し込められている、物置状態の空き教室だった。

「なんでお前にそんなこと言われなくちゃいけないんだよ。おれは理沙ちゃんと話がしたいんだ。お前は関係ないだろ!?」

「神崎君、何度も言ってるけど、わたし神崎君と付き合う気はないから」「そういうことだ。諦めるんだな」

「そんなこと言わないでよ理沙ちゃん。付き合ってから好きになることだってあると思うんだ」

 あたしは教室の中に置いてあった机を思いっきり蹴り飛ばす。盛大に音を撒き散らしながら机は飛んでいき、そして壁に当たって一際大きな音をたててから静かになった。

「ひいっ!」

 驚いた神崎がビクッと体を竦めてあたしを見上げた。身長が百七十八センチあるあたしよりも、一回り以上背の低い神崎を睥睨しながら間髪いれずに脅す。

「てめえ、理沙が迷惑がってんのがわかんねえのか! 二度と理沙に近づくな! もし近づいたらあたしがただじゃおかないからな!」

「ひぃええ! ごめんなさあい!」

 神崎は何度か転びそうになりながら、ほうほうのていで空き教室から逃げていった。それを見送ってから、あたしは理沙に顔を向けた。

「もしもまたあいつが懲りずに言い寄ってきやがったら、すぐにあたしに言いなよ。いくらでも追っ払ってやるから」

「うん。ありがとう小鳥」

 あたしたちは空き教室を出て、自分たちのクラスである一年四組の教室に戻った。

 昼休みで賑々しい教室の中、あたしたちは秋実と遥のところに向かう。

 秋実があたしたちに気づく。

「どうだった?」

「余裕で撃退してやったぜ」

 あたしは得意げな顔をしてみせた。

「よかったじゃん理沙」

「うん」

 友達の平和な日常を守れてあたしも嬉しい気分だ。

「なあたいぼく」

 嫌な奴の声がして、あたしは顔を顰めた。

「おいたいぼく、呼んでんだろ」

 あたしはバッと振り向いて怒声を放つ。

「おい菱田、何度言ったらわかるんだ! あたしの名字の読み方は大木(おおき)だ!」

「だってどっからどう見てもたいぼくじゃんかよ! ぎゃはははは!」

 菱田があたしを見上げながら大口開けて笑った。

「うるせえ!」

「おおこわ! 女型の巨人が怒った!」

 菱田はことあるごとにあたしをからかってくる、同じクラスの男子の一人だ。男子のあたしに対する態度は、神崎のように恐がっているか、菱田のようにからかってくるかのどちらかだ。

「なあたいぼく」

「あんだよ」

「お前も女だろ」

 菱田があたしを女だと言うなんて珍しい。

「あたりめえだろ。それがどうしたんだよ」

「だったらさ。お前も乳膨らんでんの?」

「はあ!? いきなりなに訊いてくるんだよ」

「気になったから訊いてるんだよ。でさ、膨らんでんの?」

「ったりめえだろ」

「それでか?」

 菱田があたしの胸を注視する。

「うっせえ! あたしは着やせするタイプなんだよ!」

 あたしは限りなくBに近いAカップだ。だから周りにはBだと公言している。着やせしているわけではなく、ただ単に胸が小さいのだ。

 人が気にしてること言いやがって。

「ったくいきなり何なんだよ」

「じゃあさ、お前の乳揉ませてくれよ」

「はあ!?」

「おれ女の乳揉んだことねえから、揉んでみたいんだよ」

「揉ませるわけねえだろ! バッカじゃねえの!?」

「お前ってほぼ男なんだからさ、別にいいじゃん」

「誰がほぼ男だ! あたしは女だ! あっち行けよ!」

 菱田の太ももに蹴りを食らわしてやる。

「いってえな、この暴力女。あ、暴力男か」

「うっせーんだよ!」

 友達のところに戻っていった菱田は、不満そうに唇を尖らせた。

「ちぇっ、たいぼくだったら揉ませてくれると思ったのにダメだったわ」

 菱田の周りの男子たちが一斉に笑う。その中の一人が笑いながら言う。

「惜しかったな」

 惜しくないわ!

「最低だな菱田の奴」

「ほんとほんと。小鳥気にしちゃだめだよ」

「うん」

 あたしの身長は小学校中学年くらいから、ぐんぐんと伸び始め、小学六年生の時点で百七十センチを超えた。あたしの身長が高くなるにつれ、周囲のあたしに対する態度は変わっていった。街を歩いていたら、すれ違う人たちが無遠慮に「でかっ!」「あいつ男みたい!」などと言ってくるようになった。あたしの背の高さに驚いた顔になり、あたしの足元を見て、あたしがヒールの高い靴を履いているかどうかを確認し、履いていないとわかると再度驚いた顔をあたしに向ける人もいる。友達と放課後や学校が休みの日に遊ぶ約束をしている時、その集まりの中に男子がいると大抵の場合、その男子から「お前みたいな背の高い女と一緒に歩いたら、惨めな気分になるから嫌だ」という内容のことを言われ、あたしだけ仲間に入れてもらえなくなることが増えていった。その度にあたしの心は傷ついた。そして学校では、男子があたしのことをからかってくるようになっていった。やめてといくら言っても、からかってくる男子はあたしをからかうことをやめてくれなかった。じゃあどうすればいいのか、あたしは考えた。そしてあたしが出した結論が『強くなる』だった。あたしの中の強さの象徴は男だった。だからあたしはわざと男っぽい言動をすることに決めたのだ。足を大きく開いて座ったり、がに股で歩いたり。そのせいでパンツが見えるのは恥ずかしいし、短くしていたら男子がからかうネタになってしまうので、制服のスカートは他の女子たちと比べて長く、膝下まで伸ばして穿くようにしている。からかわれた時に黙ってたり、やんわりと拒絶の意志を示してもやめてくれないから、乱暴な言葉を使って大きな声で言い返すようにした。それでも菱田のようにからかってくることをやめてくれない男子は今もいるけれど、そうすることによって、あたしをからかってくる男子の数は減った。あたしは男みたいに振舞うことで抑止力を生み出し、自分を守っているのだ。

 男っぽい言動をすることで、更に男っぽさに磨きがかかり、そのせいで男みたいだと言われることもある。でもそれは別にいいのだ。あたしが嫌なのは、女っぽい格好や言動をしている時に、男のくせに女みたいなことしてやがる、とからかわれることだ。それをやられるとあたしの女としてのプライドが凄く傷つく。男っぽい言動をしていて、男みたいだと言われるのは、自分で意識してやってることなんだから、言われて当たり前と思っておけば傷つかない。

「男子ってほんとバカだよね」

 秋実が吐き捨てるように言った。秋実の視線は最初菱田たちに向いていたが、春比奈桃に向かってスライドしていく。

 春比奈さんは男子に囲まれて談笑していた。

 春比奈桃は一年四組の、いやこの高校の中で一番の超絶美少女だ。ぱっちりした大きくて綺麗な二重の目に形の良い眉。アイドルのオーディションを受けにいけば、すぐにでもデビューできるんじゃないかと思えるほどに可愛らしい整った顔立ちをしている。声まで可愛らしくて、まるで高くて澄んだ美しい音を奏でるバイオリンのよう。艶のある綺麗な黒髪で、分けていない前髪は、眉毛までの長さ。後ろ髪はあたしと同じで背中までのロングヘアーだ。そして、あたしとは違って、男子が思わず守ってあげたい気持ちになりそうな小柄で華奢な体は、あたしよりも二十センチ以上も背が低い。にも関らず、あたしの目測でGカップはあろうかという巨乳の持ち主なのだ。女の子の可愛らしい要素の全てを凝縮したような存在。ザ・美少女。あたしが欲しくて欲しくてたまらないものを全て兼ね備えている、それが春比奈桃という女の子なのだ。だから春比奈さんは男子から大人気だった。そしてその人気に拍車をかけているのが、性格がぶりっ子だということ。しかしそのせいで女子から嫌われていて、春比奈さんはクラスに女子の友達が一人もいなかった。

 男子に囲まれながら談笑している春比奈さんに目をやりながら、秋実がしかめっ面になる。

「なんで男子ってああいうぶりっ子が好きなんだろうね。わたし見てるだけで吐き気すんだけど」

 春比奈さんと男子が談笑している会話がここまで聞こえてくる。

「へえ、春比奈さんって動物好きなの?」

「うん、わたし動物大好きなの!」

 春比奈さんは満面の笑顔を浮かべながら、握った両手を顔の横でブンブン上下させた。

 それを見た理沙も眉間に皺を寄せた。

「なにあのぶりぶりした動き、ウザッ!」

「男子に媚売ってばっかだから、女子の友達が一人もできないんだよあいつ。体育の時とかボッチのくせに。イラつくわあ」

 春比奈さんと談笑している男子の中に、高岡君がいた。秋実は同じクラスの高岡君のことが好きだった。その高岡君が、よく春比奈さんと談笑しているのも、秋実が春比奈さんを毛嫌いする理由だった。

 あたしとは正反対すぎる容姿、あたしとは正反対すぎる男子の態度。どれもあたしが欲してやまないものを全て持っている春比奈さんのことが、あたしはものすごく羨ましかった。そして正直に言えば、秋実たちと同じようにあたしも嫉妬している。でもあたしの嫉妬は、秋実たちのように陰口を言いたくなるほどの嫉妬じゃない。少しだけだ。その理由はあたしが秋実たちとは違って、今恋をしてないからだろう。長いことしていないから、恋してた頃の気持ちがどんなだったかもよく覚えていない。からかってくるか、あたしを恐がるかしかしてこない男子のことなんか、好きになりようがないのだ。そしていつの間にか、あたしは恋愛に興味がなくなっていた。

 遥が秋実を呼んで、目配せした。

「ほら、ミミズがまた秋実のこと見てるよ」

 尾上は、もじゃもじゃというよりも、ぐちゃぐちゃという表現の方がしっくりくる天然パーマの髪のうねり様と、なぜかいつも挙動不審なことから、みんなから気味悪がられ、ミミズという蔑称で呼ばれている男子生徒だ。

 尾上の色白で面長の逆三角形の輪郭をした顔にはそばかすが目立っている。いつも怯えたように眉尻が下がっており、八の字眉毛になっている。肩幅の狭い猫背の体躯に脂肪はほとんどついておらず、もやしのようなひょろひょろの細身だ。みんなに避けられていてクラスで浮いている尾上は、休み時間はいつも独りで自分の席に座っている。今も自分の席に着席している尾上は、猫背になって上目遣いで秋実のことをじっと見つめていた。しかし尾上は、秋実と目が合うとすぐに目を逸らした。

「またかよ……」

 秋実が嫌そうな顔になって呟いた。

 理沙が面白がるように、いやらしい笑みを浮かべる。

「あれ絶対秋実のことが好きなんだって」

「やめてよ、気持ち悪い」

 本当に嫌そうな様子の秋実を見て、理沙と遥がおかしそうに笑う。

 あたしたちの年頃になると、誰も彼もが恋をするらしい。そんなに恋って良いものなのかな。恋愛に興味のないあたしは、みんなが恋の話ばかりすることが不思議でしょうがなかった。

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