連邦捜査局

     ★☆★☆★


 半円状の大会議室にみちた苛烈かれつな戦意は、仮想現実でありながらたしかな熱量をおびて、数十人の捜査官たちに伝播でんぱしていった。つぎつぎと報告される無数の断片的な情報は、熟練の捜査官たちによって多角的に分析され、適切に組みあわせられることで、交響曲ともいうべき巨大な組織的犯罪を構成する譜面を、末端の一音にいたるまで正確に解きあかしつつある。

 ふたりの捜査官からもたらされた情報によって、犯罪組織ラークシャサの詳細があきらかになり、ラーヴァナと名乗る指導者的人物パトリック・ベネットの指示で、インドラジットと称するルイス・フロイドやクンバカルナことオーウェン・ビショップがおこなった複数の殺人や、ミルキーオーシャン・サイバネティックス・テクノロジーズによる電脳麻薬ソーマの開発、同社とディヤーナ・マンディール、および複数の議員や官僚との不透明な金銭の授受までもが仔細しさいなデータによって裏付けられたため、リチャード・ベイカー主任捜査官に組織された合同捜査本部は、彼の指揮のもと、政界や財界、官界ばかりか、司法機関にまで猖獗しょうけつした巨大な犯罪組織の全容解明のための捜査にあけくれていた。

 矢継ぎ早に各部署へと捜査方針を指示したベイカー主任捜査官は、自身にむけられたつよい闘志をひめたひとみをすべてみかえしたあとで、おだやかに微笑ほほえんだ。

「では解散だ、諸君。この醜悪な犯罪組織の全容を白日のもとにさらすため、引きつづき全力で捜査に当たってほしい。発端となった情報をもたらしてくれた我々の仲間たちのためにも」

 しずかに共有された戦意に突きうごかされるように、強靭きょうじんな意思と屈強な肉体を有する捜査官たちが、続々と仮想現実をはなれ、捜査へとむかっていく。わずかに彼らからおくれて立ちあがりながら、ニーナはベイカー主任捜査官の視線を感じた。となりのトラヴィスにつげる。

「さきにいってて。すぐにもどるわ」

「了解です、姉御」

 毛のながい大型犬に似た男は、瞳に浮かびかけた色をかくすように、仮想現実から浮出エキジットした。

 ふたりだけとなった大会議室で、ニーナのもとまで歩みよったベイカー主任捜査官は、わずかに視線をやわらげると、さきほどのトラヴィスとおなじ色の笑みをうかべる。それにこたえる真夏の夜にさく花にも、普段のあでやかさはなかった。

「ロウ上級捜査官。モーリス捜査官……いや、クレアからなにか連絡は?」

「いえ。あれ以来一度も……」

「そうか。バード上級捜査官からも?」

「ありません」

「もう一週間になるか……」

「ええ……」

 ベイカー主任捜査官が目をほそめた。

 ラークシャサによる一連の犯罪の詳細な情報をニーナのもとへ連名で送信してきた日、ダニエルとクレアは忽然こつぜんと姿をけした。セシル・ハーマンに成りすましていたルイス・フロイドの死体をクレアの自宅にのこして。連邦捜査局がほこる蜂の巣ホーネッツネストを駆使した捜索もむなしく、ふたりの消息はようとしてしれないまま、時間だけが経過している。

「クレアから連絡がきたら、私にも教えてほしい」

「ええ。そのときはかならず」

「……ありがとう、ロウ上級捜査官」

 これまで決してすきなどみせることなどなかったテロリズム対策課の責任者は、力なく微笑んだ。つたわってくる彼の心痛以上に、自身の喪失感の大きさからかけるべき言葉をみつけることができないまま、ニーナは仮想現実空間をあとにした。

 現実の世界へと浮出したニーナがまぶたをひらくと、窓のそとをながめていた運転席のトラヴィスが振りむいた。

「おかえりなさい、姉御」

「またせたわね。さあ、いきましょうか」

 路肩にとまっていた車が走りだす。慢性的な渋滞を罹患りかんしているマンハッタンの車道の両脇りょうわきは、車列にまさるともおとらないほどの人混みでごったがえしていた。ぼんやりと車窓をみていたニーナは、そのなかのひとりと目があった。

 みしらぬ中年の白人男性だ。まったく似ていないにもかかわらず、ダークブラウンの瞳に、なぜか行方不明の同僚の面影をみいだして息をのむ。だがつぎの瞬間、雑踏にまぎれて見失ってしまう。胸のおくがいたんだ。

「どうしてみんな、……いなくなってしまうのかしら」

「え……?」

 ひどく無防備な声がでた。自分以上におどろいた表情がトラヴィスにうかび、あわてて顔をそらす。

「ごめん。いまのわすれて」

 いったそばから鼻のおくがしびれて、つよく瞼をとじた。不意に手が、やわらかなぬくもりにつつまれる。生真面目な新米狙撃そげきしゅは車の進行方向をみつめたまま、真剣な声音でいった。

おれは、いなくなりません。絶対に」

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