終章 Lullaby of Birdland

死に神の魔窟

 続々とエントランスから吐きだされる人々はみな、夜空にそびえる超高層ビルを不安そうにみあげたあと、消防の指示にしたがって小走りにその場をはなれていった。切りかわった映像は、外見上はなんの異変もみうけられない空撮につづいて、ミルキーオーシャン・サイバネティックス・テクノロジーズを代表する場所ともいえるプレゼンテーション・ルームの焼けこげたロゴタイプをながしたあと、スタジオの男性アナウンサーをうつす。

『ミルキーオーシャン・サイバネティックス・テクノロジーズの本社ビル、マウントマンダラで先日発生した爆発について、事件と事故の両面から検証をおこなっていた市警察から、実験区画においてなんらかの事故がおこったという見解がしめされました。爆発の規模とは対照的に、一名の死傷者もでていないと報告されていた本件でしたが、今日現在、同社CEOのパトリック・ベネット氏と連絡がつかなくなっているため、この事故に巻きこまれた可能性もあるものとして、もっとも被害のはげしかった実験区画最奥を中心に、捜索がすすめられる模様です。つづいてミルキーオーシャン・サイバネティックス・テクノロジーズ社の記者会見を――』

『――せんせ、リードせんせってばっ』

 視界に突然、うすい緑のひとみが割りこんできた。フレデリックは至近距離にあらわれた愛くるしい少女の顔に、容赦なく不機嫌な視線と声音をむける。

「なんだ?」

『ちょっとは構って。あたし、ひさしぶりのオフなんだから』

「よそをあたれ」

『あたし患者だよ? ここのお客さんだよ?』

「子守は契約にない」

 ジェスチャーで報道の再生を終了したフレデリックが机のうえのぶあつい医学書をひらくと、命知らずにもシーラは机と本を擦りぬけ、なおも主張をつづけた。拡張現実上に存在する少女ならではの手段である。

『eスポーツ界期待の超新星であるあたしが、みんなのあこがれシェラCが、直々にお声がけしてあげてるんだよ?』

「しらん」

『あのね、これはとっても名誉なことなの。そしてあたしはいま、とっても退屈してるの。最近はクレアもダニエルも全っ然あそびにきてくれないし。あ、カイルっ。ねね、あなたからも何かいってよ』

 ダンボールをかかえてあらわれた端正な顔立ちの男性は、にこやかにシーラに応じた。

「ドクターをあまりこまらせないでくれるとうれしいな、眠り姫様。ドクター、青林セーリンからの荷物は、処置室の棚にしまっておきますか?」

「そうしろ」

「はい。それからリーリンがランチをどうするかとたずねてきています」

青椒肉絲チンジャオロウスー

「わかりました。今日は十二時からワン様の予約が入っていますので、十三時の配達で依頼しておきます」

「それでいい」

『何よ何よ、ふたりして。だったらあそんでくるからいいわ。みてなさい、いまに世界のシェラCになってやるんだからっ』

 ほおをふくらませた少女の姿は、バプリックレイヤーから忽然こつぜんと消えうせた。おだやかな笑みをうかべたカイルがフレデリックをみる。

「シーラはちかごろ、随分といきいきしていますね。それにしてもeスポーツ界期待の超新星とは、いまの彼女を表現するのに実に適切な言葉です」

 ビデオゲームをスポーツとしてあつかうeスポーツは着実に裾野をひろげて普及し、ショービジネスとしての興行は実際のスポーツと同程度の経済規模を有するほどに成長した。有力なプロモーターによる異例のマッチングで、無名の新人にもかかわらずデビュー戦でいきなり全米ランキング所有者と対決したシーラは、それをはなばなしい勝利でかざって以来、破竹の勢いで勝利をかさねて着実に知名度をあげている。

「イーサンもプログラマーとして活躍しているようですし、ふたりがあやうい橋をわたる必要はもうなさそうですね」

「どうでもいい。支払いがとどこおらなければな」

「シーラについたプロモーターもイーサンのマネージャーも、あなたの仲介だときいています」

「ウェイの奴が勝手にやったことだ。おれには関係ない」

「僕には体と仕事を与えてくださいました」

「うちに人手が必要だっただけだ」

「ではリーリンに学びながらはたらける場所を紹介してくださったのは?」

「たまたまだ、勘違いするな」

 ドクターリード、とカイルは姿勢をただす。

「僕たちはどれだけ感謝しても十分だとおもえることはないでしょう。ドクターに、そしてモーリスさんとバードさんに。本当にありがとうございました」

 目のまえにいる男の殺害方法を検討しているとしかおもえない凶相は、不意に立ちあがるとカイルのわきを擦りぬけた。

「ドクター、どちらに?」

煙草たばこだ」

 みじかい返答をのこし、振りかえることもなくフレデリックは診療所をでていく。

 通りにでると並びにある一軒の商店に工事が入っていた。数年来かわっていないようにみえる路地裏であっても、中華街の代謝からのがれることはできない。やむことなく街を成長させるそれは、となりのリトルイタリーとの境界をあいまいにしながらそこを牛耳るマフィアたちにさえ取りいって、いつの間にか領分をひろげていく彼らのしたたかな生命力の具現そのものだ。

 突きあたりの丁字路に一台の車がとまった。運転手がひらいた後部座席のドアから、遠目にも仕立てのいいスーツをきたアジア系の男性が降りたつ。

 擦れちがう同胞たちからの挨拶あいさつに鷹揚に応じながら、まっすぐに列得氏針灸所の入った雑居ビルまであるいてきた右目のわきに傷のあるその人物は、フレデリックの真正面にたち、無言のまま懐から煙草の箱を差しだした。

 だまって一本ぬいたフレデリックにつづくと、前時代的なオイルライターでたがいの煙草に火をつける。ならんで壁にもたれ、ふかぶかとすった煙を吐きだした。栄養失調の死に神のような男がつぶやく。

「予約は十二時のはずだが」

「俺たちの幼馴染おさななじみを悼む時間がほしくなってな」

 龍のレリーフがほどこされたライターをしまって、精悍せいかんな顔立ちの男が応じた。

 ふたりがみあげた空はあつい雲におおわれ、そこに緋色ひいろの鳥の姿はない。吐息された紫煙は、沈黙のまま空にまぎれていった。

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