つかの間の平穏

     ★☆★☆★


 当直の交代時間をむかえ、クレアはニーナとともに母屋のダイニングキッチンで食事をとっていた。ふるきよき時代を彷彿ほうふつとさせる部屋だ。よく使いこまれた素朴な木のインテリアに、天井からそそぐ明かりがやわらかな色合いをそえている。

 クラムチャウダーとサラダ、パンの夕飯を食べおえたニーナが、満足げにため息をもらした。

「ごちそうさま。監視任務って長期戦で気がめいるけど、シュリがいてくれるのは救いだったわね」

「なぜですか?」

 透明な声音は、クレアの食事を介助する手をとめぬまま応じた。

「あなたが作ってくれる食事がおいしいからよ。ちかくに何もない農場がJOCになるってきいたとき、ろくでもない食生活を覚悟してたんだけど、あなたの料理はうれしい誤算だったわ」

「よろこんでいただけているようなら幸いです」

「ありがとう、シュリ」

 立ちあがって食器をはこんだニーナが、キッチンから顔をのぞかせてワインのボトルをみせた。

「ねえ、クレア。一杯だけ付きあわない?」

「いただくわ」

 テーブルにもどったニーナは、なれた手つきで瓶からコルクをぬくと、用意したふたつのグラスをみたした。グラスをかかげた彼女にクレアがたずねる。

「何に乾杯するの?」

「もちろんシュリのお料理に」

「じゃ、シュリのお料理に」

 クレアのかわりにシュリがかるくあわせたグラスから、すんだ音がひびいた。ワインをひとくち飲んだニーナは頬杖ほおづえをつき、笑顔をうかべた。

「すこし、昔話をしてもいいかしら」

「ええ」

「あたしが女だてらにSWATなんかにいるのはね、実はむかしの恋人の影響なのよ」

「そうなの? ちょっと意外、ニーナって自分のことは自分できめてそうなのに」

「自分でも想像しなかったわ。まさかあたしがSWATに入るなんて。まあ、彼と一緒に働いたことはないんだけど。で、その彼ね、なかなかハンサムで、とても正義感のつよい人だったの」

「すてきね」

「でしょ? でもまあ恋人がSWATなんてやってると、出動のたびに気が気じゃないわけ。いつもいつも祈るような気持ちでまってたんだけど、ついにある日、彼は本当にかえってこなかった」

「……そう、だったの」

「強盗の籠城ろうじょう事件じけんでね、それほどむつかしい任務ではなかったのよ。でも突入の直後にいきなり政治家が介入してきて現場が混乱したの。人質のなかに彼の息子がいたっていうのがことの真相なんだけど。で、指揮系統がみだれているあいだに人質がパニックをおこし、彼はそれをかばってうたれた。即死だったわ。さらにわるいことに、彼をうった被疑者はそのまま逃走」

 彼女はワインを口に運ぶと、吐息をこぼした。

「それからはね、死に物ぐるいで被疑者を追いつづけたわ。彼をころした男をつかまえることだけが、あたしのすべてだった。で、その人物の居場所は簡単にわれた。何日も張りこんで、散々追いかけっこをして、ようやく捕まえてみて、本当に愕然がくぜんとしたわ。なんとね、まだ十代の子供だったの」

 自分の右手をじっとみつめたまま、ニーナがいう。

「それなのにあたし、なきながら命乞いのちごいするその子にむけた銃を、どうしてもおろせなかった。同僚がとめてくれなかったら、きっとうってたわね。それからはずっと泣きくらしたわ。で、しばらくしたある日、彼のご両親がたずねてきたの。彼があたしにのこした手紙と、これをもって」

 彼女が首元からすくった銀のチェーンのさきには、かがやく指輪がとめられていた。

「彼が万が一のときのためにのこしていたもので、何があっても君に生きてほしい、ですって。本当に勝手よね、男って。でもいまはね、命がけの任務を通じて彼が何をみていたのか、それをしりたいとおもってる。だからあたしはいきて、SWATにいる」

「よかった……。でもどうして、こんな大切な話をしてくれたの?」

 クレアに微笑ほほえみみかけてニーナがいった。

「ねえクレア。あなたにはこんな無駄な時間をすごしてほしくないわ。できるだけ早くあたらしい人生をつかむきっかけをみつけてほしいって、そうおもってる」

「あたらしい、人生?」

「あなたをしばっている鎖よ。なんなのかはわからないけど、それがなければきっと、あなたはもっと幸せになれる。そんな風にね、感じるの。あなたをみてると」

「そう……」

 じゃ、しめっぽい話はおしまい、とかるく手をたたいたニーナは、

「そういえば、ダニエルはどこにいったの?」

「さあ。みてないわね」

「バディ失格ね。クレアに何もいわずにいなくなるなんて」

 本当ね、と応じかけたとき、拡張現実にメッセージの着信が通知された。ニーナにことわって受信する。光にみちたリビングを背景に、ミシェルがまぶしい笑顔をうかべていた。

『ねえクレア。わすれてるかもしれないけど、来週はあなたのお誕生日よ。そこで、つつしんであなたをうちに招待します。ほらほら、ママも何か言って』

 手をのばしてきたミシェルがカメラをうばったらしく、映像は反転して彼女の母親のアシュレイを映しだした。

『クレア、こんにちは。お仕事でいそがしいでしょうけど、よかったらきてね。あなたの好きなものをたくさん用意しておくから』

 にぎやかであたたかな言葉ののちに、メッセージはとぎれる。映像ごしにつたわってきたぬくもりに、つい笑みがもれた。


     ★☆★☆★


 そのころダニエルは、資材庫としてつかれている納屋で壁にもたれ、煙草たばこをくわえていた。

 やみに浮かびあがる火が吸気にあわせてあかるくなり、わずかな燃焼音を発する。かわいた土の香りのなかに吐息してつぶやいた。

「最終段階か、もうそろそろ」

『She's getting stronger.(彼女はつよくなっている)』

 拡張現実にかえってきたメッセージにこたえる。

「そうだな。不意をつかなければむつかしいだろう。だが、どうにかなる。フレッドが仕込んでくれたあれをつかえば」

 普段はみせることのない決意にみちた表情だ。ふたたび吐きだした紫煙は、すぐに夜の闇にまぎれた。

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