レクイエム
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聖書の一節を
無数の花でかざられた棺のかたわらにたたずむ、いまにもたおれてしまいそうな中年の婦人と、彼女をささえる夫、泣きはらした
マンハッタンの高層ビル群をのぞむ墓地に、
「彼女と、すべての忠実なる故人たちの魂が、神の慈悲によってやすらかでありますように」
司祭の導きで最後の祈りがささげられ、埋葬の儀式をおえた参列者たちはひとり、またひとりと墓から離れていく。したしい人だけがのこされたのち、一番とおくから儀式をみまもっていたクレアは、
どこなくメグミの面影のある東洋人の夫妻をみて、胸のおくに鈍痛が走った。身動きもできないでいるうちに、三人はクレアのまえにたった。
「こんにちは、モーリスさん。来てくださってありがとうございました」
「い、いいえ。……私は参列すべきではなかったのでしょうけれど、それでもどうしてもメグミにお別れをしたくて……。ごめんなさい」
悲痛な顔になったショーンが、何事かを夫婦に語りかけた。あおざめた婦人は足早にちかづいてくる。すぐ目のまえで足をとめる。つよく瞼をとじたクレアは、おとずれた予想外の感触に体をこわばらせた。
やわらかな
「あなたに再会できたことを、メグミはとてもよろこんでいたそうです」
「え……?」
「勇気を分かちあってふたたび歌えたことを、しあわせそうに連絡してきたと、そうおっしゃっています」
「ちがう、ちがうんです。感謝するのは私の方。メグミは勇気を振りしぼって、私に重大な手がかりをわたそうとしてくれました。それなのに、私は……」
声をつまらせたクレアを、婦人はつよく抱きしめた。やさしく背中をさする感触が、ひびわれた心に染みとおっていく。澄みきった風が、重なりあう
悲しみがゆっくりとデクレッシェンドしたあと、婦人は体を放すとメグミによく似た笑顔をうかべて言った。
「もしよければ、彼女のために歌ってほしいと。……ずっと
ショーンの通訳をきいて驚きの表情をうかべたクレアに、彼女がうなずく。
「僕からもおねがいします。メグミが、しあわせな気持ちでたびだてるように……」
「でも、私の歌は……」
困惑するクレアに、かたわらから透明な声音がつげた。
「あなたの歌は本物です。ミシェルもそういっていました。オリジナルの心に春を呼びこんだときと、きっとなにもかわっていません」
うたうことに対して、これほどの恐怖を感じたことはなかった。メグミと歌声をかさねたときにも、おおきなコンクールにも、演奏会にも、この瞬間ほどの重圧はなかった。だがクレアは、懸命に翼をひろげる。たった数度あっただけにもかからず、人生をふかくまじえることになった女性を思いうかべながら。
息をすった。花の香りをかぐ程度に。
「慈悲ぶかきイエズスよ、主よ。
彼らに安らぎをお与えください。
彼らにとこしえの安らぎをお与えください」
たった八語のラテン語の祈りだ。繰りかえし唱えられる言葉が、ゆったりと周囲を
ピエ・イェズ。発表当時は死のおそろしさが表現されていないと批判されたフォーレの流麗なレクイエムの、死とは永遠の安らぎという信念のもとに作曲された一連の曲のなかでも、比類なきうつくしさでしられたソプラノの独唱だ。
誰もが身動きもできないまま、ただ一心に聴きいる。うるわしき歌声が織りなす、清浄な祈りに心をうたれて。
何度も頭をさげて感謝をつたえるメグミの両親から、葬儀のあとに教会でおこなわれる会食にさそわれたクレアは、丁重に辞して別れをつげた。
シュリとともに車椅子で墓地の入り口までもどる途中、一度だけ振りかえった。たかい秋空のした、なだらかな草地には無数の墓標が整然とならんでおり、その一画にぽつりとおかれた棺をかざる花々は、そそぐ
教会にむかう参列者たちからひとりの男性がはなれ、周囲をたしかめてクレアをみつけると、あわてた様子で手をふって駆けよってきた。
「モーリスさん、呼びとめてしまってごめんなさい」
息をきらせてショーンがいう。
「いえ。どうされました?」
「大切なことを失念していました。メグミの部屋の片付けをはじめたのですが、これがみつかったんです」
彼が上着のポケットから差しだしたのは、透明なカバーにト音記号の描かれたメモリーカードであった。受けとったシュリがそれをたしかめ、うらがえしてクレアにみせた。
目をみひらく。クレアへ、と手書きでしるされている。不意に文字がぼやけた。そのまるい筆致があまりに彼女らしくて。
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