痛みをともにするものたち

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 クレアはシュリとともに目的のノードに到着ランディングした。

 地平線の彼方かなたまでつづく光にみちた平原は、初期状態のノードに設定されている標準の景観だ。いかにも不慣れなものがつくったとみうけられる半透明のプレートが空中に固定され、ノードの案内を映していた。

「ピース・フォー・ファミリーズ。こんな活動をしている人たちもいるのね、実際にみるまではしんじられなかったけど」

 ずっとあってなかった幼なじみがとおい異国で活躍していることをしったような声でつぶやいたクレアは、プレートに表示されたノードの所有団体の活動内容に目をおとす。一緒にかんがえましょう、そんな言葉からはじまる組織の紹介は、あるカルト教団の被害者を支援する民間の非営利団体の、素朴な誠実さを感じさせた。

「連絡のつかないクローラーが最後にデータをおくってきた座標にいってみましょう」

 クローラーとは電脳空間を巡回し、あらかじめ指定された条件に合致するデータを収集、データベース化をおこなうプログラムだ。クレアがはなったクローラーは、事件に関連した情報をたどるうちに、被害者の支援団体のノードまで辿たどりついていた。

 車椅子くるまいすは、シュリとともにゆるやかな坂道をくだる。すこしいくと、数枚のパネルがおかれた一角に辿りついた。先頭のものには老年に差しかかった男性と、その娘らしい女性が寄りそう画像がおさめられており、私たちのケース、と標題がしるされている。

 団体の代表であるディラン・ベンソンが娘エレンをさずかるところから始まる展示は、娘の成長をよろこぶ家族のささやかな幸せをおったものであった。感謝祭やクリスマスなど、一家の中心にはつねに屈託のない表情をうかべたエレンの姿があり、ありふれた、けれども世界中でここにしかないあたたかな空気をつたえている。ところがその幸福の記録は、ある男とそれを取りまく集団をとらえた写真から、雰囲気を一変させた。

 簡素なしろい服を身につけた数百の背中だ。彼らはみな額の高さで両手をあわせ、写真中央にとらえられた祭壇にむかって祈りをささげている。ふたはしらの神像がまつられた祭壇はきらびやかに飾りつけられ、そのわきでは僧たちが儀式を執りおこなう。彼らの中心にいるアンガヴァストラムとよばれる肩布をかけた中年の男性こそがエルトン・ウォルシュ、ヒンドゥー教シャクティ派の分派を標榜ひょうぼうしたカルト教団マハー・アヴァター・サマージの教祖である。

 マントラとよばれる呪文じゅもん瞑想めいそう、ヨガなどの修行によって、一切を超越した解脱へいたるという東洋的な神秘思想をかかげた同教団は、もともとちいさな宗教団体にすぎなかったが、自らを神の化身アヴァター、マヘーシュヴァラであると称しはじめた教祖の求心力によって次第に信者を増加させ、十数年をかけて拡充した結果、最盛期には本拠地のほかにも、いくつかの州に寺院をかまえるほどに肥大化し、寺院に住みこんで修行をおこなう出家信者が数千人、家庭にとどまる在家信者が一万数千人におよぶほどの発展をとげた。

 他の信者たちとともに加入儀礼をうけるエレンの画像よりあとに、父親の写った写真はない。寺院で他の信者と一緒に修行にはげむ彼女の姿をとらえた画像とともに、友人をつうじてふれた同教団の思想にのめりこみ、ついには出家を決意するまでの経緯けいいがエレン自身の言葉でつづられている。

 向かいあわせにおかれたパネルであかされるのは、父親ディランの胸のうちだ。娘が自分の言葉より教団を信用するようになり、確執をふかめて家をでていったときの絶望や、家族のきずなを取りもどそうとあがく父親の姿が克明にかたられている。

 つづいての展示で、ふたたび空気は一転した。

 紺地に黄色い字で連邦捜査局の頭文字がしるされたレイドジャケットとよばれるユニフォームをまとった数百人の捜査官たちが、同教団の本拠地の強制捜査をおこなう模様である。そのなかに一枚、女性捜査官に抱きかかえられた少女をとらえたものがあった。人形のように透明な視線を宙にむけた、プラチナブロンドの髪をもつ少女は、施設内で生まれそだったエルトン・ウォルシュの娘である。

 急速な発展をとげたマハー・アヴァター・サマージには、つねにくろいうわさがつきまとっていた。修行と称した暴力や性的暴行、信者の拉致らち監禁かんきんや行方不明、あるいは教育どころか医療すらうけられない出家信者の子供等、元信者や信者の家族たちによるそれらの訴えは、教団の規模が拡大するにつれておおきく取りあげられるようになり、ついには当局による捜査の手がいれられることとなった。

 判明した教団の腐敗しきった実態は、風説をはるかに凌駕りょうがし、連日マスコミをにぎわせた。搾取した富で享楽にふける教祖や幹部たちとは対照的に、外部との連絡手段をたたれた出家信者たちは、恒常化した暴力やマインドコントロールによって抵抗する気力をうばわれて、劣悪な生活環境下で互いを監視しあい、彼らのくらす施設からは十数名の遺体が発見されたが、消息をたった信者の大半がいまだ行方不明のままである。さらには修行と称して不特定多数の女性信者と関係をもった教祖エルトン・ウォルシュの放埓ほうらつな欲望は、十代なかばにもみたない実の娘にまでむけられていたことがあきらかになった。

 逮捕されたエルトン・ウォルシュは終身刑を言いわたされ、カリスマをうしなって急速に凋落ちょうらくした教団は、裁判所からくだされた解散命令によって消滅した。質素な修行服を身にまとったエレンが、教団の寺院前でディランと抱きあう写真が掲載され、あとには出家信者としてすごした数年間の喪失を取りもどし、社会復帰するために努力する彼女の日々の記録がつづいている。

 つぎのパネルをみたクレアは表情をけわしくした。警察の誘導で避難してくる人々と、封鎖線のそとにできた人垣をとらえた写真である。いくどとなく報道につかわれた画像で、だれもがみな、不安そうにひとつの超高層ビルをみあげている。ミルキーオーシャン・サイバネティックス・テクノロジーズの本社ビルだ。

 事件はおわらなかった。熱心な信者たちが、ひそかに教団を存続させていたのだ。数年後にエルトン・ウォルシュが刑務所内で自死すると、信者たちのあいだで教祖の妻たちはサティーするべきではないかという議論が巻きおこった。ヒンドゥー教における葬儀のふるい習慣サティーとは、寡婦が夫の遺体とともに焼身自殺をはかることで、貞淑な女性の模範的な行いとして奨励されたものだ。当然ながら現代社会でおこなうべきものではないという意見が大半をしめたが、ひとりの狂信的な男が最悪の形でそれを実行にうつした。教団では神妃しんひとよばれていたエルトン・ウォルシュの娘をねらった凶行は、彼女を引きとった女性、そして義理の姉となった少女をも犠牲にした。ミルキーオーシャン・サイバネティックス・テクノロジーズ本社ビル爆破事件である。

 そしてもう一枚。光にみちた草原にあつまった一団をうつしたパネルがあった。おもいおもいのトレーニングウェアに身をつつみ、さわやかな色合いのヨガマットのうえで、組みあわせた足をもものうえにのせる蓮華座パドマアーサナとよばれる座り方で瞑想する様子は、誰もが一度は目にしたことのあるヨガのカルチャースクールの活動そのものだ。

 ところが彼らの先頭で指導をおこなう端正な顔立ちの若者ダレル・ウォルシュは、エルトン・ウォルシュの息子である。元信者たちで結成された宗教団体ディヤーナ・マンディールは、マハー・アヴァター・サマージからの決別をスローガンにかかげて電脳空間を中心に活動をはじめ、代表としてすえられたダレル・ウォルシュは父親譲りのカリスマ性を発揮して、着実に入信者を増加させつつあった。

 表情をけして二枚のパネルをみすえるクレアから、つぎの展示へと目を転じたシュリは、数度のまばたきののちに声を発した。

「クレア、あれを」

 彼女がしめしたさきでは、はとの姿をとったクローラーが引きさかれ、破壊されていた。

 そばまで移動したクレアはなまぐさいにおいに顔をしかめる。粘度のあるあかい液体がそこかしこに飛散し、展示されたパネルをけがしていた。血を再現した液体でえがかれた文字をみた彼女におびえの色がうかぶ。

 神の神性をけがす者たちにしかるべき報いを。そんな書き出しではじまる文章は、ゲイリー・ストーンを英雄とたたえ、神の化身であったエルトン・ウォルシュの娘にして妻である神妃は殉死するのが当然であったと主張し、涜神者とくしんしゃには神がしかるべき報いをもたらすだろうという脅迫でしめられている。

 瞬きするほどの時間ののち、恐怖は瞬時にベクトルを反転させ、視界があかくそまるほどの怒りへとかわった。変化を感じとったシュリは腰をおとし、爆発寸前のクレアを抱きよせる。まぶたをとじた。そしてその後の数度の深呼吸が平静を呼びさます。生身の体であったころにくらべればあまりに早すぎる情動の集束も、いまの彼女にとっては極めて普通の心の動きでしかなかった。

 シュリが体をはなしたあと、クレアは一言一言をならべるように宣言した。

「クラッキングね。このばかげた改竄かいざんをほどこした人間をみつけだして、かならずとらえるわ。ノードの管理者は誰?」

「ピース・フォー・ファミリーズの代表、ディラン・ベンソン氏です」

「私の名前でノードがクラッキングされていることを報告しておいて。クラッカーをおいましょう」

「承知しました」

 クレアの歌声が速いパッセージを紡ぎだす。捜査官権限でノードのアクセスログを確認したクレアは、クラッカーの追跡を開始した。


 特殊部隊の作戦行動のなかに、ステルスエントリーとよばれる屋内への突入がある。極秘裏にすすめられるこの行動は、相手にきづかせることなく施設内へと侵入し、敵を発見したら一気に制圧するというものだが、電脳捜査時の追跡においてもおなじことがいえる。追跡にきづいたクラッカーは、たちまちのうちに浮出エキジットして物理的に逃亡するため、確保直前までは相手に勘づかれぬよう、細心の注意をはらって行動する必要があるのだ。獲物に忍びよる猫科の大型獣のごとく。

 電子の歌声をひびかせながら、クレアはシュリとともに踏み台ピヴォットポイントにされたコンピューターをたどっていく。電脳空間上の位置を調査して周囲との通信状況を確認、さらに上流の踏み台へとさかのぼる。わるくすれば一台あたり数十分を要する作業をまたたく間に完遂し、数度の跳躍でクラッカーの接続元を特定した。

 そこは郊外の一軒家にあるタブレット・コンピューターであることが判明する。だが、あまりに不用心すぎた。標準のセキュリティーしか設定されておらず、クラッカーの所有物としてはあまりにお粗末だ。慎重に検証する。囮としてもちいられるシステム、ハニーポットである可能性を警戒するが、それはまちがいなくクラッキングのコマンドを発行したコンピューターであった。クレアはシュリと視線をかわし、クラッカーの接続元に侵入する。

 コンピューターの利用状況を確認する。数十分まえから一切の入力を受けつけておらず、放置されていることがわかった。ふときづく。タブレット・コンピューターにはビデオカメラが搭載されており、それを利用すれば周囲の状況をうかがえることに。おおきく深呼吸してから決意する。慎重にカメラに接続したクレアは、息をのんだ。

 ガレージとおもわしき空間だ。天井からそそぐ冷涼な明かりは、上半身裸の男の背中と、足元で首を固定された状態でよわよわしくもがきつづける山羊やぎを照らしだしており、おくには小規模な祭壇らしきものがみえた。

 男が振りかえる。むけられた異形に声をもらしかけたクレアは、二度ほど瞬きする時間ののちに、それが仮面であることにきづいた。おおきくみひらかれた目は爛々らんらんとかがやき、耳までさけた口から四本の犬歯がのぞく。以前に出没したクンバカルナをおもわせる相貌そうぼうだが、嫌悪感をもよおさせる前者とはことなり、そのあおじろい顔は、一晩のうちに繰りかえしみる悪夢にあらわれる幽鬼のような、とらえどころのない不気味さにみちている。

 クレアがアクセスしたカメラのレンズをまっすぐにみすえた男は、反りが逆になった蛮刀を振りあげる。これからおこる事態を予測しながらも、目をはなすことができない。機械仕掛けの心臓の鼓動が、次第に早くなっていく。にぶい輝きは渾身こんしんの力とともに、山羊の首めがけて振りおろされた。

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