痛みをともにするものたち
★☆★☆★
クレアはシュリとともに目的のノードに
地平線の
「ピース・フォー・ファミリーズ。こんな活動をしている人たちもいるのね、実際にみるまではしんじられなかったけど」
ずっとあってなかった幼なじみがとおい異国で活躍していることをしったような声でつぶやいたクレアは、プレートに表示されたノードの所有団体の活動内容に目をおとす。一緒にかんがえましょう、そんな言葉からはじまる組織の紹介は、あるカルト教団の被害者を支援する民間の非営利団体の、素朴な誠実さを感じさせた。
「連絡のつかないクローラーが最後にデータをおくってきた座標にいってみましょう」
クローラーとは電脳空間を巡回し、あらかじめ指定された条件に合致するデータを収集、データベース化をおこなうプログラムだ。クレアがはなったクローラーは、事件に関連した情報をたどるうちに、被害者の支援団体のノードまで
団体の代表であるディラン・ベンソンが娘エレンをさずかるところから始まる展示は、娘の成長をよろこぶ家族のささやかな幸せをおったものであった。感謝祭やクリスマスなど、一家の中心にはつねに屈託のない表情をうかべたエレンの姿があり、ありふれた、けれども世界中でここにしかないあたたかな空気をつたえている。ところがその幸福の記録は、ある男とそれを取りまく集団をとらえた写真から、雰囲気を一変させた。
簡素なしろい服を身につけた数百の背中だ。彼らはみな額の高さで両手をあわせ、写真中央にとらえられた祭壇にむかって祈りをささげている。ふたはしらの神像がまつられた祭壇はきらびやかに飾りつけられ、そのわきでは僧たちが儀式を執りおこなう。彼らの中心にいるアンガヴァストラムとよばれる肩布をかけた中年の男性こそがエルトン・ウォルシュ、ヒンドゥー教シャクティ派の分派を
マントラとよばれる
他の信者たちとともに加入儀礼をうけるエレンの画像よりあとに、父親の写った写真はない。寺院で他の信者と一緒に修行にはげむ彼女の姿をとらえた画像とともに、友人をつうじてふれた同教団の思想にのめりこみ、ついには出家を決意するまでの
向かいあわせにおかれたパネルであかされるのは、父親ディランの胸のうちだ。娘が自分の言葉より教団を信用するようになり、確執をふかめて家をでていったときの絶望や、家族の
つづいての展示で、ふたたび空気は一転した。
紺地に黄色い字で連邦捜査局の頭文字がしるされたレイドジャケットとよばれるユニフォームをまとった数百人の捜査官たちが、同教団の本拠地の強制捜査をおこなう模様である。そのなかに一枚、女性捜査官に抱きかかえられた少女をとらえたものがあった。人形のように透明な視線を宙にむけた、プラチナブロンドの髪をもつ少女は、施設内で生まれそだったエルトン・ウォルシュの娘である。
急速な発展をとげたマハー・アヴァター・サマージには、つねにくろい
判明した教団の腐敗しきった実態は、風説をはるかに
逮捕されたエルトン・ウォルシュは終身刑を言いわたされ、カリスマをうしなって急速に
つぎのパネルをみたクレアは表情をけわしくした。警察の誘導で避難してくる人々と、封鎖線のそとにできた人垣をとらえた写真である。いくどとなく報道につかわれた画像で、
事件はおわらなかった。熱心な信者たちが、ひそかに教団を存続させていたのだ。数年後にエルトン・ウォルシュが刑務所内で自死すると、信者たちのあいだで教祖の妻たちはサティーするべきではないかという議論が巻きおこった。ヒンドゥー教における葬儀のふるい習慣サティーとは、寡婦が夫の遺体とともに焼身自殺をはかることで、貞淑な女性の模範的な行いとして奨励されたものだ。当然ながら現代社会でおこなうべきものではないという意見が大半をしめたが、ひとりの狂信的な男が最悪の形でそれを実行にうつした。教団では
そしてもう一枚。光にみちた草原にあつまった一団をうつしたパネルがあった。おもいおもいのトレーニングウェアに身をつつみ、さわやかな色合いのヨガマットのうえで、組みあわせた足を
ところが彼らの先頭で指導をおこなう端正な顔立ちの若者ダレル・ウォルシュは、エルトン・ウォルシュの息子である。元信者たちで結成された宗教団体ディヤーナ・マンディールは、マハー・アヴァター・サマージからの決別をスローガンにかかげて電脳空間を中心に活動をはじめ、代表としてすえられたダレル・ウォルシュは父親譲りのカリスマ性を発揮して、着実に入信者を増加させつつあった。
表情をけして二枚のパネルをみすえるクレアから、つぎの展示へと目を転じたシュリは、数度の
「クレア、あれを」
彼女がしめしたさきでは、
そばまで移動したクレアはなまぐさい
神の神性を
瞬きするほどの時間ののち、恐怖は瞬時にベクトルを反転させ、視界があかくそまるほどの怒りへとかわった。変化を感じとったシュリは腰をおとし、爆発寸前のクレアを抱きよせる。
シュリが体をはなしたあと、クレアは一言一言をならべるように宣言した。
「クラッキングね。このばかげた
「ピース・フォー・ファミリーズの代表、ディラン・ベンソン氏です」
「私の名前でノードがクラッキングされていることを報告しておいて。クラッカーをおいましょう」
「承知しました」
クレアの歌声が速いパッセージを紡ぎだす。捜査官権限でノードのアクセスログを確認したクレアは、クラッカーの追跡を開始した。
特殊部隊の作戦行動のなかに、ステルスエントリーとよばれる屋内への突入がある。極秘裏にすすめられるこの行動は、相手にきづかせることなく施設内へと侵入し、敵を発見したら一気に制圧するというものだが、電脳捜査時の追跡においてもおなじことがいえる。追跡にきづいたクラッカーは、たちまちのうちに
電子の歌声をひびかせながら、クレアはシュリとともに
そこは郊外の一軒家にあるタブレット・コンピューターであることが判明する。だが、あまりに不用心すぎた。標準のセキュリティーしか設定されておらず、クラッカーの所有物としてはあまりにお粗末だ。慎重に検証する。囮としてもちいられるシステム、ハニーポットである可能性を警戒するが、それはまちがいなくクラッキングのコマンドを発行したコンピューターであった。クレアはシュリと視線をかわし、クラッカーの接続元に侵入する。
コンピューターの利用状況を確認する。数十分まえから一切の入力を受けつけておらず、放置されていることがわかった。ふときづく。タブレット・コンピューターにはビデオカメラが搭載されており、それを利用すれば周囲の状況をうかがえることに。おおきく深呼吸してから決意する。慎重にカメラに接続したクレアは、息をのんだ。
ガレージとおもわしき空間だ。天井からそそぐ冷涼な明かりは、上半身裸の男の背中と、足元で首を固定された状態でよわよわしく
男が振りかえる。むけられた異形に声をもらしかけたクレアは、二度ほど瞬きする時間ののちに、それが仮面であることにきづいた。おおきくみひらかれた目は
クレアがアクセスしたカメラのレンズをまっすぐにみすえた男は、反りが逆になった蛮刀を振りあげる。これからおこる事態を予測しながらも、目をはなすことができない。機械仕掛けの心臓の鼓動が、次第に早くなっていく。にぶい輝きは
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