死者と生者

     ★☆★☆★


 広漠たる空間に格子状に表示されたあおじろい基準線は、光量をおとろえさせることなく、はるか彼方かなたで一点に集約する。

 自身の捜査用ノードにシュリとともに降りたったクレアは、虚空をただよいながら配置したデータをみまわした。

「すこし時間があいてしまったわね、最後にここへきてから」

「いろいろなことがありましたから。引きつづき情報の整理をおこないますか?」

「ええ。それがおわったらクローラーのデータをみてみましょう。メタバース上で情報収集をさせておいたの」

「本当にかまいませんか? 被害者たちのプロフィールをみることになります」

 まっすぐにみつめてくる仮想現実に再現された菫色すみれいろひとみに、クレアは微笑ほほえみでこたえた。

「もちろんよ。コマンドのバインドを有効にしてくれるかしら。自分でやりたいの」

「承知しました」

 クレアがみじかい旋律を口ずさむと、複数のプロフィールが展開され、そのうちのひとつが彼女の眼のまえに移動した。

 添付された画像は、ドレスを身にまとい、トロフィーをたずさえた十五歳のクレアだ。

 満ちたりた表情が目をとらえて離さなかった。いまよりおさなく、このさきに待ちうける困難のことなど知るはずもない五年前の彼女が、生身の体で無垢むくな笑顔をうかべている

「クレア」

 ぎくり、とシュリの声に反応したクレアが笑みらしきものをつくった。

「大丈夫よ。……これ、事件のまえの月にあったコンクールの写真ね」

 過去の自分を切りとった瞬間から目をぎはなしたクレアは、つぎのプロフィールをうごかした。

 こちらには彼女とよく似た面差しの黒髪の女性がうつっている。サウンダララジャン・アヴィーラ・ジェイムズ、インド出身の神経科医、心理学・神経科学者で、事件で殺害された二名の被害者のひとりだ。

「ママ……」

 無意識にこぼれた言葉をきいたシュリが、腕をのばしてうしろからクレアを抱きよせた。まぶたをとじてほおをよせたクレアがつぶやく。

「いい写真ね」

「ええ。博士の自然な表情をとらえているとおもいます」

 好奇心旺盛そうな漆黒の瞳をかがやかせ、茶目ちゃめにみちた笑みをたたえた白衣の母親の姿をもう一度みたクレアは、数度の深呼吸ののちに最後のプロフィールを表示させた。

 そえられた画像のヴァイオレットの瞳が目にうつった瞬間に凍りつく。もうひとりの死者の生前の姿は、つよくクレアの心をゆさぶった。

「……シュリ」

 呼吸があさく、みじかくなっていく。瀕死ひんしの重傷をおって体をうしなうことより、ふかい愛情をそそいでくれた母親を亡くすことより、意識を取りもどすまでのあいだに父親まで死んでしまうことより過酷な現実は、五年かけて築きあげた防壁など容易に打ちくだき、もっともよわい部分を容赦なく切りさいた。機械でしかないはずの胸がはげしく痛みをうったえ、声をもらす。

 画像を非表示にしたシュリは、ふるえるクレアの肩に手をそえ、自分の方をむかせるとやわらかく包みこんだ。すすり泣きが漏れはじめる。クレアはすがりつくことすらできなくなった腕のかわりに、あたたかな胸にふかくかおをうずめるしかなかった。

 ミルキーオーシャン・サイバネティックス・テクノロジーズ本社ビル爆破事件は、同社社屋にあったサウンダララジャン博士の研究室で発生した自爆テロ事件である。サイバネティクス、特に脳の研究の第一人者であった科学者と、彼女の十代なかばのふたりの娘が犠牲になったこと、そして事件はカルト教団マハー・アヴァター・サマージの信者ゲイリー・ストーンによって、くるった教義の実践のために引きおこされたことが、世間を震撼しんかんさせた。


 クレアが落ちつきを取りもどすまでには、しばらくの時間を要した。

 最後にふかく息を吐きだした彼女は、シュリをみあげる。

「あなたがいてくれて、本当によかったわ」

「クレアをささえるのが私の務めです」

「ありがとうシュリ、もう大丈夫よ。さあ、のこった作業をおわらせてしまいましょう」

 ぎこちなく微笑んだクレアはちいさなメロディーを口にした。プライベートレイヤーに出力される実行結果を確認しながら、歌声で数度コマンドを発行した彼女が首をかしげる。

「どうしました?」

「クローラーのひとつと連絡がつかないの」

「通信障害でしょうか」

「そういうわけではなさそうね」

 アインザッツ、指揮者の出だしの合図をまつ独唱者ソリストのごとく、クレアは引きしまっていく自身の内面を感じた。

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