応援コメント

事件後」への応援コメント

  • クオリアを交わし合うというのは、それだけで語義に逆らっていて、それが後に来る切ない展開を連想させます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございました。
    文中の言葉を借りるなら、クオリアを共有するために用いる言葉すら、相手が自分と同じ意味で使っているかどうか分かりません。
    でもそうすると、言葉を前提にした会話という行為は、祈りのような、切ない願いのような、そんなものにも見えてきます。