事件後

     ★☆★☆★


 爬虫類はちゅうるいをおもわせる冷淡なかおつきの男を映しだしていた拡張現実ARの映像は、ニュースキャスターのものに切りかわった。

『なお、逮捕された陸軍武器科所属の特技兵トーマス・ウィルソンですが、このほかにも複数のサイバーテロと殺人事件にかかわった可能性があるとして、取り調べをうけています。その背後には、陸軍武器科の兵器開発をめぐる企業との不透明な金銭の授受等が沙汰ざたされており――』

「まあ、私たちができるのはここまでだ。あとはデニスの部署にまかせるほかない」

 ふかい色合いの木の床でしろい壁紙がはられた廊下をあるくダニエルが振りかえった。車椅子くるまいすから応じるクレアのとなりにはシュリの姿がある。

「DTSの担当範囲からは随分と逸脱していた気もするけど」

「いやいや、私たちはあくまでもテロリストをおっていただけだし、証人の保護に尽力した結果として――」

『――ばあっ!』

 突如、うすい緑色のひとみをもつ少女の顔がダニエルの目前にぶらさがった。

「……いきなりでてくるのをやめてもらえるとたすかる。のこりすくない寿命がいまのでまちがいなく三日はちぢんだ」

『だっておじさんも空とぶお姉さんも、全然きてくれないんだもーん』

 くるりと地面に降りたったシーラは、はずむような笑い声をひびかせて一行をみちびく。

「すまない。君がとどけてくれた情報の他部署への引き継ぎと友人の葬儀で、立てこんでいたんだ。おかげさまでやつりのこした仕事の目処めどがたった。本当にありがとう」

『どういたしまして。あなたの街の運び屋さん、コンピューター・アンド・プラウドは、いつだってお客さまの味方だよっ』

 ひとつのドアのまえで立ちどまった彼女は、金の髪をなびかせて振りむいた。

『はいってはいってー』

「お邪魔させてもらうよ」

 ダニエルが扉をひらく。室内は清潔そのもので、直線を組みあわせた模様の透し彫りがほどこされた窓からさした、おだやかな陽光がみちていた。中央におかれたベッドでは、すけるほどにしろいほおの少女が微笑ほほえむような表情でねむっている。

 看護用ガイノイドに手のひらを彼女の額にあてさせ、手元のモニタをみていたフレデリックが顔をあげる。

「ようフレッド。患者の容態はどうだ?」

「健康そのものだ。……ところで」

 フレデリックは暗殺者がターゲットをみるような目をダニエルにむけた。

「なぜお前はやっかいな患者ばかりつれてくる」

「なぜってそりゃおまえ、この都市で一番頼りになる医師がいるからにきまってるだろう?」

「世辞はいらん」

 むっつりとこたえた凶相の男は、立ちあがると部屋をあとにした。

 あいかわらず照れ屋だな、とつぶやいたダニエルは、ARのシーラにたずねる。

「あたらしい隠れ家はどうかな?」

『ん。いいとおもう。最初にそとからみたときは、ぼろっちぃから絶対やだっておもったんだけど、なかはすっごい綺麗きれいだし。リードせんせみたい、顔はこわいけどほんとはいい人っぽい感じ』

「うまいことをいうな。今度私もそういってみよう」

 あかるくわらったシーラは目をほそめた。

「なんか、いいものだね、お見舞いにきてくれる人がいるって。あたしの体はねむっちゃってるけど」

「それはよかった。なるほど、お嬢ちゃんが見舞いをせかした理由はそれか」

「……余計なことはいわなくていいわ」

 早口でいったクレアが目をそらす。

『ねね、空とぶお姉さん。たまーにでいいからイーサンとあってくれないかな、お姉さんのファンみたいだから。あの子すっごく恥ずかしがりで、自分からは絶対いえないとおもうの』

「そうさせてもらうわ、私でいいのなら」

『どうしてイーサンはお姉さんのこと、天使っていうのかな?』

「彼にきいてみれば? 私にわからないわ。天使だとか、迦陵頻伽カラヴィンカだとか、分不相応きわまりないもの」

『話してもらっても多分わかんない。イーサンはさ、あたしにみえないものをみて、あたしにきこえない音をきいてる。だから、どんなにわかりたくっても、あたしにはイーサンのこと、わかれないよ』

 表情をくらくしたシーラと、シュリは目の高さをあわせた。

「人が六百二十から六十五テラヘルツの光をあおいと知覚したり、四百四十ヘルツの音をラの高さだと感じたりするような、外部からの刺激によって内面に生じる体験の質を、クオリアといいます」

『へ?』

「たとえば色覚のない人に青とはどのような感じかを説明すること、あるいは他者がラの音をどのように感じているかをしることが困難であるように、クオリアを言語化したり他者から観測したりすることは困難です。ですがクレアはしばしば、私とクオリアを交換しようとこころみます。そしてそれは私にとっても不快なことではありません」

『えっと、……どういうことかわかんない』

 笑みをうかべたクレアがシーラをみる。

「シュリがいいたいのはね、だれかと分かりあおうとするのは、大変かもしれないけど、わるいものじゃないってことよ」

 自身のパートナーである日陰におかれた白磁のようなドリーと視線をかわし、クレアが微笑んだ。陽射ひざしをあびる金細工のごとく。

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