綺麗なもの

     ★☆★☆★


 かびくさい階段を五階までのぼったダニエルは、つかれた表情のまま歩きだした。

 ひとつのドアのまえで立ちどまると、わきにすえられた前時代的なボタンをおす。単音の矩形波くけいはで構成された電子音が扉のおくからひびいた。

 うすくドアがひらかれる。隙間すきまから光とともに、警戒心もあらわな声がさした。

だれ?」

「連邦捜査局です、IDをだしてもいいかな」

「どうせみてもわかんないよ」

 なげやりな響きにつづき、一度とじられたドアが金属のこすれる音ののちにおおきくひらかれる。

 小柄な女性だ。気のつよそうな目とみじかい髪はくろく、年齢よりおさなくみえる東洋系の容姿に、挑みかかるような態度がくわわり、小型犬をおもわせた。

 ダニエルはスーツの内ポケットから徽章きしょうのついた身分証をみせる。

「私はダニエル・バードです。リーリン・ルゥさん?」

「そうだけど、なに? あたしをつかまえにきたの?」

「いやいや。カイル・クリフさんに話をうかがいたくて。ここにいるでしょう?」

「しらない。いないよ、そんな人」

 ふてくされた子供のような早口でリーリンが言いはなつと、そのうしろからおだやかな声がした。

「だめだよ、リーリン。そんな言い方しちゃ」

 ひとりの男がでてきて、虚をつかれた表情の彼女の肩をだく。

「普段どおりにしていればいい。やましいことはなにもないんだから、僕にも君にもね」

「……でもさ」

「大丈夫だよ。なんの心配もいらない」

 男はダニエルに微笑ほほえみかけた。作りもののようにうつくしい顔立ちで、あかるい茶色のひとみが陽光をうけて緑がかった色彩をおびる。

「こんにちは、バードさん。僕がカイル・クリフです。すみません。彼女、僕を心配しただけなんです」

「ダニエル・バードです。わかりますよ。誰だっておどろく、いきなり連邦捜査局がおしかけてきたら。それで、すこしあなたに話をうかがいたいんだが、IDを開示してもらってもいいかな、念のため」

統合社会保障番号Unified Social Security Numberでかまいませんか?」

「もちろん」

「では」

 ダニエルは手を伸ばしてきたカイルと握手をかわした。P2Pピア トゥ ピア、サーバを介さずデータを受送信する際のジェスチャーだ。送られてきたIDは即座に社会保障局のデータベースとNCICで検索され、結果が拡張現実ARに反映された。実在の人物であり、前科等は一切ない。理想的なプロフィールである、ここにいることをのぞけば。

「まちがいないようですな。では早速……、五日まえのことなのですが、ブルックリン橋のうえである企業の輸送車が強盗にあいまして――」

「――おっさん、カイルのこと疑ってんの!?」

 みつきそうな勢いのリーリンから距離をとったダニエルは、

「ちがうちがう。被疑者たちは、もうつかまってね。ただ、不可解なことがおおい事件なので、なるべく証言をあつめておきたいんです。それで証言がもらえそうな人をしらみつぶしにあたっていると、そういうわけです。納得していただけましたかな?」

「カイルはわるいことしてないから」

「もちろん。ではクリフさん、事件当日の深夜二時ごろ、犯人たちの逃走ルートと見込まれているチェンバーズ通りの街頭カメラに、あなたによく似た人物がうつっていたんです。もしあの場所にいらしたようなら、印象にのこるようなことがなかったか、おきかせいただけませんか?」

「それは僕ではないとおもいます」

「ありゃ、そうでしたか」

「僕はその時間、別の場所にいたみたいですから」

「みたい、ですか?」

 あたしがはなすよ、とリーリンがいった。

「五日前の午前三時ごろ、この人はあたしと一緒にブルックリン・ブリッジ・パークにいたよ。そうだ、鍼灸院しんきゅういんのリード先生だってしってる」

「そうでしたか、どうやらここも無駄足だったようですな。お騒がせして申し訳ない。私はこれでおいとますることにしよう」

 きびすをかえして一歩踏みだしたダニエルが、振りかえった。

「ああ、そうそう。あとひとつだけ」

「なんでしょう」

「君は、人間かな?」

 真正面からダニエルとカイルの視線がぶつかりあう。カイルは、花もはじらうような笑みとともにこたえた。

「もちろんです」

「そうか。ありがとう。では、よい午後を」

「さようなら、バードさん」

 手をふったダニエルは手すりから階下をのぞきこんだあと、だるそうに階段をくだっていく。靴音がとおく離れたあとも、リーリンは険しい目を無人の階段に向けつづけた。


 扉がしまるやいなや、リーリンはぶつかるようにカイルの背中に抱きついた。

「どうしたの?」

「あたし、あんたが好き」

 僕も好きだよ、と応じた彼は彼女の手を包みこむ。

「そろそろ仕事をさがそうとおもうんだ。君の世話になってばかりはいられないからね」

「無理しなくっていいよ。あんなこと、あったばかりなんだからさ」

「十分やすんだよ。それに、はやく始めたいんだ。君と一緒に、この街で」

「なんかさ、うそみたいだ。あたしがいる場所は日陰で、きたなくて、綺麗きれいなものなんて絶対に手に入りっこないって、ずっとそうおもってたのに」

「日陰にだって花はさく。それに君は、とても綺麗だよ」

「ううん。綺麗なのはあんただよ。あんたといると、いやな客だって、警察や役人だってゆるせる気がする。きたないあたしにだっていいことがあるんだって、そう信じられる。……だからさ、あんただけは失いたくないんだ……何があっても」

「……ないてるの?」

 かぶりをふったリーリンは、彼の背中からまわした腕に、さらに力をこめた。


 おなじころ、階段をくだるダニエルは、車内でまつクレアにARで呼びかけていた。

『どうおもった?』

『正直しんじられません』

『まったくもって同感だ』

 しぶい顔で頭をかいた彼の胸ポケットから、蜜蜂みつばちに似たものがいだした。GNR革命の成果の一側面である、昆虫をベースにした遠隔操作型ロボット、インセクトボットだ。

 小型化されているため出力こそちいさいが、各種センサーを搭載し、オペレーターによるリアルタイム操作とプログラミングによる自動運用を実現したこの小型ロボットの登場は、諜報ちょうほう、および捜査機関の業務に多大な恩恵をもたらすこととなった。

『インセクトボットのセンサーで、たかい機械化率が検出されました。ですが私たちのようなケースもありますから、それだけを根拠にアンドロイドだと決めつけることはできません。それに……』

『開示義務、か』

『そうです。カイル・クリフとはなしていて、違和感を感じる部分はありましたか?』

『いや、まったく』

『彼をアンドロイドだと仮定するなら、あれほど完成度の高いAIを何者かが一から組みあげたことになりますが、それが実現できる可能性はかぎりなくひくいです。本音をいうと、リード医師の誤診なのではないかと、疑いたくなります』

『だがフレデリックは五日前、省エネルギーモードに入っていたやっこさんを起動させたといっている』

『倉庫でバードさんと話した男性と似てはいましたね。……あくまでも主観ですが』

『あの馬鹿丁寧ばかていねいで人のよさげなところとかはな』

 エントランスをでたダニエルは駐車しておいた車に乗りこんだ。後部座席のふたりの女性に力なく微笑みかける。

「やっぱり、もう時間ぎれかな」

「当然です。はやく局にむかってください」

「……了解だ」

 肩をすくめたダニエルが車を発進させた。

 大通りに合流したところでダニエルが口をひらいた。

「すこし、情報整理に付きあってもらっていいかな。気になっていることがある」

 ダニエルが拡張現実に地図と複数のプロフィールを展開する。

「バード上級捜査官。まえからいおうと思っていたんですが」

「なにかな?」

「車を運転しながら別のことをするのをやめていただけませんか。正直、とても不安です」

「いや、心配ない。随分と楽になったんだ、むかしにくらべると」

 ステアリングをひざで操作しながら、ダニエルはジェスチャーをまじえて話しつづける。

「携帯電話、という通話やネット用のデバイスを複数個、捜査局内の通話に使われる無線機、報道を聞くためのカーステレオ、こいつらをやりくりしながら膝で車を運転できるっていうのが、昔の捜査官には最低限必要なスキルだったんだ」

「捜査官というよりは曲芸師にきこえますが」

「いまはARで全部すんでしまうからな、曲芸をおぼえる必要もないし、ドライヴ・アシストも優秀だからヘマをやらかすこともない。実は以前、トレイヴを訓練していたんだが、一度派手にアラートをならしてから、奴さん運転中は絶対にステアリングをはなさなくなっちまった」

 伝統が途絶えそうで非常に遺憾だ、と投票率の低下をなげくようにいったダニエルに、クレアはため息でこたえる。

「さっさとはじめてください」

「了解だ」

 ダニエルは半透明の立体地図を操作してイースト川沿いの公園を拡大し、カイルとリーリンのプロフィールを表示した。

「ブルックリン・ブリッジ・パーク。リーリン・ルゥがこの場所で意識不明のカイル・クリフを発見したのが五日まえの午前三時。人がたおれているという彼女からの連絡をうけたフレデリックが鍼灸院に収容し、診察の結果アンドロイドだと判明したわけだが、再起動した彼は自分を人間だといい、数日分の記憶がないと話した。その後はリーリン・ルゥが彼に宿を提供して、いまにいたる」

 地図が移動してブルックリン橋が表示された。

「そして41アライアンスがこの場所でアスクレーピオスの輸送車を襲撃したのが、その一時間まえ。二つの地点の間隔は約六百五十ヤード程度だ。ここに連中が何かをおとした形跡があったのをおぼえているかな」

「折角の獲物を紛失するのは強盗として稚拙すぎると酷評していましたね」

「もし連中がねらったお宝は輸送中のアンドロイドで、紛失したのがカイル・クリフだったとしたらどうだろう。イースト川におちた彼は、自己保全のために起動してどうにか岸まで泳ぎついたが、ちからつきて休眠状態になった」

「なるほど、筋がとおっているようにきこえますね。アスクレーピオス社は輸送中の貨物は機械化義肢だと証言していますが」

「極秘裏に開発していた人間の振りをするアンドロイドがうばわれたとなれば、必死でかくそうとするだろうな」

「ゆたかな想像力ですね。ではバード上級捜査官流の考え方で反論させていただきます。以前にあなたは人の行動がインセンティヴに起因するとおっしゃいました。では国際条約に違反したアンドロイドをつくるインセンティヴとは一体なんでしょう」

「その通りだな。じゃあ、明日はアスクレーピオスにそれをききにいってみよう。次は私の番だ」

「こりませんね。そこまで彼らがアンドロイドだとうたがうのであれば、カイル・クリフを強制的に検査してみたらどうですか?」

「いや、手荒なことはしたくないし、ただの人間であってくれればいいとおもっている」

「いっていることが矛盾していますが」

「リーリン・ルゥだよ」

 ダニエルは拡張現実から情報を削除して、前方をみつめた。

「もしカイル・クリフが事件の関係者だとしたら、彼女はつらい思いをすることになる。大切なものをうばわれる人間なんて、ひとりでもすくない方がいいにきまっている」

 荒地をふく風のようなかわいた声だった。思いがけず彼のちかくにまで踏みよっていたことに気づいたクレアは、けわしい声でそなえる。

「私情は捜査に支障をきたします」

「まったくだ。そうそう、さっきのインセクトボットでカイル・クリフとリーリン・ルゥを監視することはできるかな」

「あの部屋の付近に巣箱ビーハイヴを設置すれば」

「それは心強い。それで申請をあげることにしよう」

 不機嫌をよそおってクレアは窓のそとに目をむける。不意にふいた風のむこうにみえた景色の色合いにうろたえながら。

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