列得氏針灸所

     ★☆★☆★


「いやです。いきたくありません」

 すれちがう同僚たちを振りむかせていることにもきづかず、クレアは険のある声音をひびかせながら廊下をすすむ。ブルックリンの倉庫への強制捜査の翌朝、逮捕劇から数時間後の連邦捜査局のオフィスである。

「いまは一刻もはやく彼らの容姿の特徴量を抽出して、アルゴスに設定すべきです」

「でもな、モラン捜査官――」

「――モーリス、クレア・モーリス!」

「おっと、そうだったモーリス捜査官。それでなんだが、今回は私の番だろう?」

 両手をあげながらもついてくるダニエルにため息をもらしたクレアは、車椅子くるまいすをとめた。

「なぜですか? バード上級捜査官」

「前回は君のやり方を尊重したからだ」

「なんですかその理屈は。非合理的な方法で時間を無駄にしている場合ではありません。クンバカルナと名乗った男を取りにがし、倉庫から逃走した男女の足取りがつかめない以上、ことは一刻をあらそいます」

「だからこそ、あのパーツの情報が必要だ、わかるかな?」

「わかりません。あの機械化義肢はアスクレーピオス社製のものだと鑑識が調査結果をだしました。これ以上なにがあると?」

「そいつをしらべにいくんだ。こういうことにとてもくわしい人間をしっている」

「彼らの居場所を特定するより、そちらの方が捜査を進展させると?」

「あの不自然な連中の正体にちかづく手がかりになるだろう」

「正体もなにも彼らはサイボーグです」

「なぜそういえる?」

「ジョナサン・グリフィスたちもそう証言していますし、なにより彼ら自身がそういいました」

「それがなぜ根拠となりうる?」

「アンドロイドのAIには開示義務がプログラミングされているからです。これはOSのコアに組みこまれているものですから、クラッキングでどうこうできるものではありませんし、そもそも人間に攻撃してきた彼らの行動は三原則の第一条に……」

「どうした?」

「説明するのがばかばかしくなりました。一時間です。その後はただちに特徴量の抽出にかかります」

「了解だ。じゃあいこうか」

 反対方向に歩きだしたダニエルは、あとにつづくクレアをみて満足げにうなずいた。

「なんですか?」

「今のやりとりは実によかった。やはりバディはフランクに接しなければな」

 不意打ちでまずいものをたべさせられたような彼女のかおを気にとめることもなく、ダニエルは上機嫌で足をすすめる。


 ダニエルの運転する車は、オフィスからほどちかいエリアにむかった。

 ビルの壁面には複雑な形状の文字がえがかれた袖看板そでかんばんがつらなり、にぎやかな雑踏を構成する人のほとんどがアジア系の顔立ちをしている。車内にまで活力が流れこんできそうな大通りをはなれて小規模な建物が稠密ちゅうみつした区画にはいったあと、ダニエルはここからすこし歩くとつげて車をとめた。

 クレアはシュリにかかえられて車椅子にうつる。はなやかさとあまさがほこりをかぶったような香りが鼻をつき、周囲をみまわした。ダニエルが片側のまゆをあげる。

「どうかしたか?」

「なんですか? このにおい」

「八角のことかな。中華料理につかわれるスパイスの一種だ」

「これを料理に?」

「なかなか病みつきになる。そうだ、今度はうまい中華料理を――」

「――いいんですか? のこり四十五分ですが」

 私のバディはなかなかに厳密だ、とダニエルが歩きだした。あとにしたがってすすむにつれて道はほそく、人通りもすくなくなる。店のまえにしゃがみこんで煙草たばこをすう理髪店員が、食料品店のおくで頬杖ほおづえをついた中年女が、上半身裸の小柄な老人が、無遠慮な視線を絡みつかせ、クレアは表情をけわしくした。

「ここだ」、と一軒の雑居ビルのまえでダニエルが足をとめる。

 彼がしめした黄色の看板には、あかい漢字チャイニーズ スクリプトが流麗な筆致でしるされていた。

「なんと、読むんですか?」

列得氏針灸所リエドシー ジェンジゥスオ

 中国語だけで何事かが箇条書きされた窓はブラインドがてられてなかが一切うかがえず、ショーウインドウには半身に筋肉組織がえがかれ、もう半身にはあちこちに文字が書きこまれた人体の人形や、耳の模型らしいものなどがおかれていた。眉間のしわをふかくして、クレアはまじまじと店をながめる。

「なんなんですか? ここは」

鍼灸院しんきゅういん。中国の伝統的な医療をおこなうクリニックだ、表向きは」

「表向き」

 復唱する声に振りかえりもせず、ダニエルは扉をくぐる。ねずみの群れをみるような目を人形にむけたクレアは、ため息をひとつもらしたあと、シュリとともに店に入った。

 うすぐらい店内には、ありとあらゆるものを乾燥させて粉砕し、混ぜあわせたような匂いがみちていた。壁一面にもうけられた無数のちいさな引きだしや、大量の瓶詰がならんだ棚にかこまれた受付で、ひとりの男がふるそうな書物のページをる。

 白衣の男は一瞬だけ顔をあげ、視線を本にもどした。商売っ気など一切感じさせない声がひびく。

「なんの用だ」

「お前に見てほしいものがある」

 ダニエルはスーツの内ポケットから証拠品袋をだした。包装された機械化義肢のパーツを一瞥いちべつした男は、また本を読みはじめる。

「軍用だ。アスクレーピオス製」

「ほう、そりゃまた物騒だな。スペック的には――」

「――ちょっとまってください。信用するんですか? ちゃんとみてもいないのに」

 男とはじめて目があい、クレアは顔をこわばらせた。髪の色や店の場所から見込んでいた中国系ではなかったが、おどろかされたのはその点ではない。せこけていてひどく目つきがわるく、凶相とよんで差しつかえない相貌そうぼうだ。この栄養失調の死に神のような男に医療行為をほどこされるのは、さぞ生きた心地がしないだろうとおもった。

「EM2500」

「なんですか? それは」

「トーハツのアクチュエーターの最上位モデルだ。軍用は小指の先まで質がちがう」

「一瞬みただけでそれがわかると? そもそも民間人が軍用モデルを目にすることなどないはずですが」

「……お前は、だれだ」

「クレア・モーリス。連邦捜査局捜査官です」

 シュリが提示したIDをみた男はダニエルへ視線をうつしたあと、ふたたび活字を追いはじめた。

「お前から説明しろ。これ以上の面倒はごめんだ」

 まあ、それもそうか、と頭をかいたダニエルがクレアをみた。

「この男はフレデリック・リード。曽祖父ひいじいさんの代からこの街で鍼灸院をいとなんでいる、由緒正しい……なんというかな、そう、闇医者やみいしゃだ」

 クレアはこの日一番のけわしい表情をみせた。

「あなたはなにをいっているんですか?」

「彼について話しているのだが?」

「そうでありません。私たちは捜査官です。目のまえにいる人物が犯罪者であれば、即刻とらえるべきでしょう」

「ああ、そういうことか。しかしな……おそらくすぐ釈放されるだろう、あちこちから手がまわって」

「つまり、後ろ盾があるので逮捕できないと?」

「いや。こいつをつかまえて得られるちっぽけな正義より、こいつがここにいることで守られるものの方がはるかにおおきい」

「いっている意味がわかりません」

「この国の医療は金持ちしかすくわない。たとえば君や私がつかっている機械化きかいか躯体くたい、この右手の人差し指ひとつだって、貧乏人にはとても手がとどかない超高級品だ」

 反論しかけたクレアだったが、ダニエルの目に真摯しんしな光がやどっていることにきづき、口をつぐむ。

「この男の家は曾祖父さんの代から、金持ち、貧乏人をとわずこの街の人間を診ている。まあ、合法ではないかもしれないが、この街でこいつに世話になってない人間はいないし、こんな顔でも皆からしたわれている。

 チャイナタウンのコミュニティは排他的で、彼らは同胞以外を信用しない。そんな場所で中国系でもない人間が、たかだかと自分の名前をかかげていれば白い目でみられるのが関の山だが、列得氏針灸所、つまりリード家の鍼灸院と名乗るようトン――おもてむきには互助会ということになっている組織をさす言葉だが、そこから依頼されるくらいに、なくてはならない存在なんだ、ここは。

 だからつまりだな。フレデリックをつかまえても、いいことはない、そういうことだ」

「まあ、いいたいことは……わかりました」

「そうか、よかった」

 わらいかけるダニエルから不機嫌そうに目をそらしたクレアは、

「あ、あなたが前回は私にあわせたというので、ゆずっただけです。今回だけ」

「また一歩進展だな。譲りあいの精神はバディに必要不可欠だ」

「とにかく! 話をもどします。その部品が軍用だとわかった以外に進展がありましたか? なければ局にかえって作業をはじめます」

「ああ、そうだったな。フレデリックはサイバネティックス医療に精通していて、その筋では名もとおっている。つまりこの界隈かいわいで表にだせないような義肢の修理がおこなわれれば、当然フレデリックの耳に入ってくるはずだ。どうだ? フレッド、こいつの持ち主が修理をおこなったとおぼしき情報はないか? 利き手の人差し指がないのはさぞかし――」

「――きいてない」

「そ、そうか……」

「では、約束どおり私は局にもどります」

「だが数日前、同じモデルの使用者をた」

 クレアが車椅子をとめた。しずかな店内に、フレデリックがページをめくる音がしみていく。

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