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ぼくの思考はこの時も素早かった。
というより、結論は一つしかなかった。
「おまえも死ねないのか?」
ぼくはそう言って、同情の目を自称防衛大臣に向ける。
防衛大臣は不思議そうな顔で、
「なぜ、そんな顔をする。死なない身体、不死、それは人類の夢だ。その限られた存在は素晴らしい。わたしはあの方に選ばれて、この体を手に入れて、心底感動しているというのに。……それは君も同じではないのかね? 『神』によって不死化の施術を受けた同士……」
と言って笑う防衛大臣の身体は全身血まみれだった。
そして、それはぼくも同じだった。
まるで血の海に仲良く浸かって、今さっき出てきたかのような凄惨ぶり。男の首からは千切れた肉の繊維がぶらぶら揺れているし、ぼくの胸にはさっきこの男が突き刺したナイフによって小さな穴が空いている。それでも、ぼくら二人は互いに自らの傷に騒ぎ立てることなく、相手を見つめていた。
「おまえみたいな狂った男に、同士なんて言われたくないな」
と言ってぼくは男を睨みつける。
防衛大臣はぼくの胸を刺して、ぼくの血で光ったナイフを指先で玩んでいる。そうやって、自らのナイフが指先に傷跡を残していくのを恍惚とした表情で眺めながら、
「つれないことを言うものではない。君のことは『神』からよく聞かされていたのだよ。自らが手掛けた最初の同士、二人目の不死。君とわたしは兄弟のようなものではないか」
「ありえない」
ぼくは反射的に答えて、刀の柄を強く握る。
「事実だ。そして、君の兄弟はこれからもっと増える。この町で、『神』は軍隊を組織したといったな。その大半はすであの方に連れられにここを去った。わたしたちと同じ、不死の軍隊だ。君とわたしの兄弟たちはこの独立運動にも大きな成果を残してくれたよ」
もっとも、失敗作もいたが。
防衛大臣はそう言って肩をすくめた。
思い当たる。さっき、この部屋に辿り着く前に見つけた八体の骸。──
「二階の部屋に死体が八体放置されていた。あれは実験をしていたんだ。まっとうな生きた人間を不死にする実験……」
「ご名答。もっとも、彼らの施術はわたしが行ったものだ。戦場において、重大な傷を負っても死ぬことのない死者は何人いてもたりない。だから、『神』がわたしや同士に施したような奇跡を、彼らにも与えてあげようと思ったのだが、残念ながら彼らは選ばれた存在ではなかったようだ」
「勝手なことを」
防衛大臣の言葉に底知れない嫌悪感を感じ、そう吐き捨てる。
しかし、当の本人は、ぼくのつぶやきをなんら気にした風もなく、気味の悪い笑みを浮かべ続けていた。
「勝手ではない。誰もが望むことだ」
「おまえの聞くに耐えないごたくはもうどうでもいい」
ぼくは男の言葉にほんとうにうんざりしながら、
「最後に質問だ、『神』とやらの居場所を教える気はほんとにないんだな?」
「わたしも知らないのだよ」
防衛大臣はふいに厳かな空気を取り戻して言った。
その言葉が本当かどうかはわからない。けれど、もう十分だった。もう、こいつと問答を続けるのは十分。……
「そうか」
ぼくはつぶやいて、手元に握った刀を起立させた。
そして滑らかに、白銀の刀身が円を描き、剣尖が窓の外、雲の切れ間からふとのぞいた月明かりを反射させ光る。
光が捉えていた。
光が防衛大臣を捉え、射抜いていた。現実としては、ぼくの躊躇のない踏み込みに防衛大臣は何の反応もすることなく、勲章の刺繍された胸元で、自身に迫りくる凶刃をただ受け入れていた。
「わたしを殺すのか?」
胸元に刀を埋めたままの体勢でそんなことを言う男の姿は、実に奇妙な絵面だった。
ぼくは冷淡な視線を送り、
「殺す。おまえは生きていてもしょうがない人間だ。どのみち、ぼくが殺さなくても、アメリカ軍の誰かがおまえを殺す」
「わたしを殺せるのか?」
防衛大臣は先の言葉をそう言い直した。その声はぼくを挑発しているように感じる。
殺せるのか……不死であるこのわたしを。……と、一種の自信に満ちた瞳が至近距離から見つめてくる。
その目を見て、やっぱりごめんだな……と思わず内心でつぶやく。やっぱり、こんな自信過剰なうぬぼれ男に同士扱いされるのなんてごめんだ。
「おまえは、死ぬ」
「やってみろ」
「もちろん」
防衛大臣が笑みを浮かべる。
その笑みを見て思うことは、ただただ憐憫だった。
この男もある意味で被害者なのだろう。死なない身体、不死という呪いを押しつけられた被害者。
この男が望んで不死の肉体を手に入れたのではないと、ぼくは知っている。なぜなら、ぼくはこの男が「神」と崇める存在をよく知っているからだ。彼らにとっての「神」とやらは、決して、他者の願いに感銘し協力してやろうなんて、慈悲深い性格はしていない。むしろ、彼女は自分の欲望に極めて忠実で、自らの望みを叶えるためなら他人に押しかかる被害はまるで意に介さない、そんな自分本位な人物だった。
だから、たぶん、いま目の前で自身の不死性を喜ぶ防衛大臣も、そもそもはもっとまともな人物だったはずなのだ。今作戦前にアメリカ軍のお偉いさんから見せてもらった標的プロフィールには、数年前までこの自称防衛大臣は国家の安寧と発展を真に願い、平和活動と民族融和に積極的に従事していたという痕跡があった。そんな、元は平和を願う一国民の闇を見出したのが彼女なのだろう。他者に不死という性質を押しつける……おそらくは彼女が思い描く、理想の世界の創造の第一歩として。……その結果、男の精神のどかかしらの部分が人として破綻してしまったのだ。
ぼくも通ってきた道だからよくわかる。人間が本来怪我をした時に感じる「痛み」。その身体的警告が不死化によって完全になくなる──とまではいかなくとも、希薄になることによって、人間は神経的機能における痛覚の代わりに精神的、魂ともいえる部分で痛みをまかなうようになる。しかも魂に作用する痛みというものは時をおいてかさぶたになり、やがて消えるなんてこともない。つまり、ぼくら不死者は傷つくたび、例えそれがかすり傷のような些細なものでも、徐々に精神的痛覚を溜め込み、自分でも気がつかないうちに狂っていってしまうのだ。
ぼくだって、元々はこんな戦場に来て人殺しをすることに抵抗のある一般市民だった。それが、自身の不死性と向き合ううちに、気がつけば他人の命すら、状況によってはちり紙のように使い捨てていいものだと感じるようになってしまった。
思い出すのはつい一時間ほど前のこと。素早い状況判断から仕方なしに殺害してしまったあの検問兵は、ほんとうに殺す必要があったのだろうか、もっとよく考えれば、よりベストな方法が、あの兵士を殺さずやり過ごす方法があったのではないか……ということ。そして、少なくとも昔の自分なら、あの場で即座に見ず知らずの、何の恨みもない人間を殺すなんて選択を取ることはなかったであろうということだった。
この心の急激な変化、倫理の欠如こそ不死者の特徴なのだろう。それを考えると目の前の防衛大臣だって、元々は心の優しい平和を祈る人間だったのかもしれない。
そう思うと、ぼくにしてやれることは、この男に引導を与えてやることだけのように感じる。
この男を同士とは思えないが、たったひとりの少女に自分の人生を狂わされたという経験は、不本意ながらふたりに共通することだ。
だから──
「これから、あんたを楽にしてやる」
そう宣言して、ぼくは防衛大臣の胸に刺さりっぱなしだった刀を引き抜いた。血で滑った刀身を胸元にしまっていたハンカチで拭うと、再び惚れ惚れするような白銀の煌めきが刀に戻った。
そして最後に確認する。
「なにか言い残すことはあるか?」
「言い残す……なにを残す必要が?」
防衛大臣は本気で不思議そうだった。自分が──不死となったこの肉体が滅ぶことなどないと確信しているからだ。
しかし、事実としてこの男は数分後に死ぬことになるのだ。なぜなら、例えこの男が不死であったとしてもそれは肉体的な現象でしかないから。人間が人間として生きていると証明するためには、肉体の健全さ以外にも精神の健全さが求められるから。だから、ぼくがいまからやることは、この男の肉体を殺すことじゃない。殺しても死なない不死者を殺すには、その自我を奪うしかない。精神が完璧に壊れ、自分を自分と認識できなくなってしまえば、それは肉体的には生者であっても人間的には死者であるのと同義なのだ。それが、ぼくがこの哀れな自称防衛大臣に与えてやれる最大の慈悲だ。──
「じゃあ、死ね」
言葉と同時に、迸る剣尖が一条の流星のごとき輝きを放ち正眼の位置から伸びていく。狙いは先程と同様、相対する男の胸元だ。
やはり、目の前の不死者はその刀を微動だにせず受けとめた。一連の状況はビデオのリピート機能を使ったように同じもの。ぼくが刀を振り、男がそれを身動ぎもせず受け入れる。ただそれだけ。
でも、それ以降に起こった出来事はさっきまでの繰り返しとはならなかった。
「痒いな」
おそらく、防衛大臣が自分の状態について疑問を持つことはなかっただろう。彼は、狂気的な笑みを浮かべたまま、自身の胸元を、刀の刺さったその部分を指で掻きむしっていた。その指先が刀の刃をかすめ薄皮が裂けて血が滴るのも気にせず、むしろ自身の身体的損傷を恍惚とするように手先の動きは止まることがない。ただ、この瞬間も事態は確実に次の状況に進んでいて、この熱帯の地での行軍というぼくらの任務も時期に終わりを告げようとしていたのだった。
自身の持つその不死性に絶対感を持つが故の静観──よりも奇抜な「痛み」の積極的受け入れ姿勢。その代償はすぐに表れる。この刀には魔法がかかっているのだ。不死化された人間を殺す魔法が。──
「──むっ」
防衛大臣の口から呻きともとれる微かな声が漏れる。
──────。
────。
暫時。
室内の蛍光灯に蛾が近づき、バチリと音がなる。蛾はヒラリと全身を旋回させ、防衛大臣の眼球数センチ前を過ぎ去っていく。過ぎ行く羽虫はその長大な壁から漏れ出る規則正しい息吹を感じたのか、一瞬迷いがちに左右を往き来した後、防衛大臣の鼻先に止まり身を落ち着けてしまった。そのことに対する防衛大臣のアクションはもはやない。
自身の鼻先に虫が止まっていることに対する不快感もない。
一足の間を挟み相対するぼくへの警戒心もない。
さっきまでその口調に、眼光に、仕草に見え隠れした狂気さえも、もはやない。
なにも、ない。──
「これがぼくの与えてやれる『死』だ」
ぼくは刀を引き抜き、刀身に滴った血を腕を振ってはらいつぶやいた。鮮やかな赤のペインティングが床に花開き、さっきからぼくとこの男とで散々撒き散らかしていた血痕と合わさり、一種の幾何学模様に似た紋様が出来上がっていた。この男の墓標としては上出来だろう。ひとりの少女を「神」と崇めて、馬鹿げた宗教心で他人を殺め続けていたこの男の墓標としては。……
「おい、どういう状況だ?」
ふいに背後から声が聞こえた。振り返ると、怪訝な表情をしたロベルトが銃を構えながら立っていた。
「そいつ、標的だろ……なんでこんなに落ち着いてやがる?」
と言いながら、ロベルトは自称防衛大臣だったものに近づき、そのぼんやりとした様を観察していく。
ぼくはその様子を眺めながら椅子に腰を下ろし、
「そいつは無力化した」
「まだ生きてるな、こいつ。説教でもして改心させたのか?」
ロベルトの疑問に肩をすくめて答える。そんなぼくの反応に少し疑わしげな様子で眉間に皺を寄せたロベルトだったが、直後に彼は任務を思い出し素早い手際で防衛大臣を拘束していく。その間、現地語で二、三質問をしていたようだが、当然のごとく対象からの返事はない。
「まあ、いいか……尋問は本部の連中に任せるとしよう。任務完了だ、さっさと帰還するぞ、トージ」
淡々と仕事を終えたロベルトは、ぼくにそう言ってよこした。
自称防衛大臣を抱えて部屋を後にするロベルトに付き従っている間、数発の銃声が町の中から響いてきた。
パパン、パパン、パパパパン……。
死のメロディーはこの町では不変のものになりつつある。例え、この防衛大臣が町から消えたとしても、すぐにこの町に滞留する革命部隊が瓦解することもないだろう。
「まあ、後数年間はこの町はテロとならず者の温床になるだろうな」
防衛大臣を引き連れ、待機していた他のメンバーの手引きの元で町を出るとき、ロベルトはそう言っていた。
経験則だ。そう言って笑うロベルトの顔を眺めていたら、ふとして疲労が襲ってきた。
やっぱり慣れないことはするもんじゃない。とにかく、いまは早く帰って熱いシャワーを浴びたいな、とぼくは思った。
すばらしき不死の世界 みぶさん @mibu-san
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