3

 戦場における最小単位、二人編成ツーマンセルの利点は小回りが利くことだが、あまり時間をかけて敵に見つかってしまったら、数の優位性の前に即座に捕縛されてしまう可能性がある。だから、特殊部隊員の行動と判断はいつだって素早い。


 正直に言って、ぼくはロベルトの動きに着いていくのに必死だった。いままでは車での移動で気にならなかったが、こうして緊迫した雰囲気を纏った特殊部隊員の生の動きというのは、無駄がなく洗練されていて、決して素人が真似できるものではない。


 領事館の中は電気が落ちていて本来なら先を見ることはできなかっただろう。しかし、ぼくらは科学技術の恩恵をたらふく受けている。眼球をおおうコンタクトが、暗闇でも物体から放射される赤外線をキャッチし、もやのような光が行く末を示してくれている。


 廊下を進み左右の分かれ道に到達したところで、ぼくらは二手に分かれた。ロベルトのハンドシグナルに従い、素直に右の通路を進んでいく。


 曲がり角の突き当りにあった階段を上ると、ふいに激しい臭気が鼻腔を満たしてきた。それは覚えのある臭いで、前の町でお馴染みになり、そしてこの町でもおそらく同様であっただろうものだ。つまり、死者の臭い。──


 真夜中の廃れた建物の中、そしてこのツンとした独特の臭い、近郊では死体が無惨に捨てられている。……それだけで、十分ホラー映画の題材にできそうなシチュエーションだった。しかし、とりたててぼくに恐怖はない。なぜって、死ぬことに恐怖がない以上、必然的に死者に対する恐怖もなくなってしまうから。


 というわけで、ぼくは二階に到着して三つめの扉の前を通りかかった時、その足を急停止させ、フラットな思考の元で扉をゆっくりと開き中を覗き込んだ。


 室内に人の気配はなかった。


 警戒しながら室内に足を踏み入れると、途端に異臭が強くなる。息を止めておかなければ耐えられないほどになり、思わず手で鼻を覆う。薄暗い室内に赤外線の光が灯り、人型の像が浮かび上がる。その数八体。予想通りすべて死体で、物言わぬ骸は整然と台に並べられていた。


 骸の姿には慣れたとはいえ、死体の放つ死臭というのは受け入れられるものじゃない。だから、ぼくは素早く死体を調べた。ぼくは医者ではないし、この暗闇では確かなことは言えないけど、この死体たちはまだ死後それほど経っていないように思える。なんとなく、死後数週間もこの熱帯の国で放置されていたなら、この部屋はもっと腐った汁にまみれているはずだから。


「惨いな」


 と最後に小さくつぶやき、ぼくは部屋を後にする。死体にはすべて通常の殺され方ではあり得ない傷跡があった。おそらく、拷問されたか死後解剖されたか。……どちらにしろ、同じ部屋にいてあまり気持ちのいいものではなかった。


 あの死体は、この町に滞留する独立部隊の防衛大臣がこさえたものなのだろうか?


 ぼくは疑問に思いながら再び真っ暗な廊下を進む。


 でも、そうだとしたら、なんのためにあんな無惨な死体を処理せずにそのまま放置しているのだろうか?


 そう自問を繰り返しながら、階を四つまで上がり最上階に来たところで、突き当りの一部屋に明かりがついているのを見つけた。


 明かりはまるで、光につられた羽虫を捕食する食虫生物のように妖しく灯っている。

 

 この誘いに乗るのは正しい判断なのかどうか。


 一瞬迷った後、ぼくは静かに呼吸すらも殺して部屋の入り口に近づいた。特殊部隊の任務は素早い判断が求められる。もっとも、ぼくはだけど。……


 室内にはがたいのいい中年の男性が一人いるだけで、その男がロベルトたちの標的である自称防衛大臣であることはすぐにわかった。


 ひとり。……か。


 もう一人、ぼくの標的がいないことに、少し躊躇が生まれる。この男を殺すことは、ぼくにとってなんの意味もない行為だ。しかし、ここは敵の本陣で、いまはなんの騒ぎもないとはいえ、いつこの町の兵隊に見つかってもおかしくない。そうなると、この建物にいっしょに潜入しているロベルトが蜂の巣にされる可能性が高い。


 それは寝覚めが悪い。うん、とても、とても。……


 というわけで、ここでも下すのは素早い判断だ。


 ぼくは静かに呼吸を整え、背中に背負っていた袋を目の前にかざす。そして、音を鳴らさないようにゆっくりとその中身を取り出すと、闇に溶けこむような黒漆の鞘が姿を現し、ゆっくりと柄を引くと白銀の煌めきが宙に糸を引く。糸は空気に揺れるように緩やかな波紋を描き、見る者の心を静めていく。


 呼吸を止めると意識が朦朧もうろうとしトランス状態に近づいていく。茫乎ぼうことした意識の中、視界の端に白刃がそっと宙に立ち上がったのを感じると、自称防衛大臣が背を向ける。その刹那、足は自然に動き、身体は扉の影を一息に飛びだし、自称防衛大臣は机の上に押し倒され、その喉元には美しい白銀の刃が添えられていた。


「おまえを殺す気はない」


 ぼくは、この作戦への同行が決まって、急遽覚えた拙い現地語で白々しく嘘をつく。


 この男は殺される。ぼくが殺さなくても、いずれロベルトがこの場にやってきたら、結局その時に殺される。


 この男はそれだけのことをした。罪なき町の住民を、子供を、女を、男を、老人を無差別に殺したのだ。そう、何人も。だから、この男がここで死ぬことはある意味天罰で、そこに同情なんてない。でも、その前に……この男が死ぬ前に訊いておかなければならないことがある。


「大声はだすな。無駄口も叩くな。死にたくなかったらぼくの質問に素直に答えろ」


「わかった」


 防衛大臣はやけに冷静に、ぼくの脅しに屈した。


 そのことに少し得体の知れない気持ちの悪さを感じながら、質問を続ける。


「ぼくの標的はおまえじゃない。おまえたちが『神』と崇める存在だ。そいつはどこにいる?」


「『神』はもういない。この地でやるべきことはすべて終えて、また新たな信徒の元へ旅立った」


 そう答える防衛大臣の声に、微かな熱がこもりだした気がした。反対に、ぼくは眉に皺を寄せ、少しがっかりとした感情を示す。つまり、この瞬間、今日の行軍はぼくにとってほとんど意味のないものになってしまったのだ。


 しかしまだできることはある。


 それは、ぼくの本来の標的に関する情報を、ひとつでも多くこの男の口から吐かせることだ。


「『神』とやらはこの町でなにをしていた?」


 ぼくがそう質問すると、防衛大臣は即答した。


「わたしたちに力と勇気を与えてくれた。体制に抗うための軍を組織してくれた」


「軍を組織した……冗談だろ、あんなものは軍とは呼べない。罪もない住民を無差別に殺しまわるような連中は、世間一般的にテロ集団って言うんだ」


 ぼくは鼻で笑い、男の言葉を一蹴した。


 しかし男はぼくの言葉に怒りを露わにするでもなく、変わらず落ち着いた声のトーンで、


「おまえは『神』になんの用がある」


「おまえに質問は許していない」


 ぼくは柄を握った右手に力をこめ苛立ちを示す。男の喉には赤い雫が滴っていく。


「言っておくがおまえは立派な犯罪者だ。それも世界にとってもっとも許し難い虐殺の罪に問われているろくでなしだ。だから、できるだけ発言には気を付けておけよ。あまり興味はないけど、アメリカがおまえをどう裁くかは、その口にかかっているんだ」


 と言って、ぼくは多少なりともこいつの口が軽くなるように誘導する。まだ、訊きたいことはいっぱいあるのだ。特に、「神」の行方について。……


「あまり、興味はない……アメリカが……」


 しかし、防衛大臣はぼくの言葉を聞くと、俯きながらぶつぶつとつぶやき、自分の殻に閉じこもってしまった。


 まったく、うんざりだ。父親ほどの年齢の男が、こうも簡単に話が通じなくなるなんて。ほんとに、うんざり。……

 

 ぼくは正直に自分の感情を男に伝え、催促する。ぼくが知りたいのは『神」の情報だ、そいつはここを去って次はどこに行ったんだ、と。


 ぼくの言葉に男は黙ったまま、少し顔を上げる。目の前には静寂な夜が窓の透過ガラス越しに映っている。そのガラスに反射するぼくの苛立った黒瞳と、男のどこか訝し気な青い目がしっかりと合った。


「おまえはアメリカ人じゃないのか。いや、そうか、おまえが『神』が言っていた……もしかして、おまえは日本人か?」


 質問に質問で返すなよ。そうぼくは思った。


 急激に冷めていくぼくの心とは対照的に、男の目は興奮気味に開いている。なにかおかしい。この男の心理状態がまったくわからない。


「おまえは日本人か?」


「黙れ、答える義務はない」


「どうしてだ、答えろ」


「黙れ」


「答えろ」


 無意味な問答を続ける間、興奮した男の上半身は、荒々しく変わっていく言葉遣いと同調するようにヒートアップしていき、ぼくの腕を振り払おうと激しく動く。狂ったように身動ぎしだした男は自ら喉元に刃を深く食い込ませて、生物として致命的な傷を残していく。数秒後、男の頸動脈はぱっくりと切れ、壊れた水瓶のように血が溢れだす。ぼくは、一連の流れを呆然として見つめていた。


 こうして自称防衛大臣である男は死んだ。


 先住民族を率いて、まがいなりにも組織を編成し、国家と罪なき住民相手にテロを繰り返した指導者は死んだ。


 唐突に虚脱感が全身に広がり深呼吸をする。ロベルトはまだやって来ない。ぼくは室内にあった椅子に座り一息つくことにした。


 背後にある自称防衛大臣の死体を気にしないように、窓の外の景色をぼんやり眺める。この外ではまだ何人かの兵士が起きて活動しているのだろうが、まさか自分たちのリーダーがこの瞬間に殺されているなんて、誰も考えていないだろう。これで、この国で起こる紛争はある程度鎮静し、周辺の町に平和が訪れるのだろうか?


 もっとも、そんなことはもはやぼくの興味の範疇を外れつつあったが。……


 緊張が解けると、一気に今日の疲れがふきだしてきたようだ。軍人と一緒に仕事するなんて初めてのことだったし、良い経験になったが、やっぱり戦場のリアルなんてぼくには憂鬱の種でしかなかった。結局のところ、ぼくに戦場なんてものは似合わず、こんな世界は民放のニュースの向こうでお菓子でも片手に眺めているに限る。


 そんな風に、今日一日の活動を脳内で振り返っていると、室内にヒューと微かな風の流れが生じた。

 

 ようやくロベルトが来たのかな? 


 という予想が最初に浮かんだ。そして、ぼくは立ち上がり──


「答えろ。おまえは日本人か?」


 ふいに、後ろで声がして、物思いに耽っていたぼくは、はっと振り返る。その瞬間。──


 ぼくの胸元にナイフが突き刺さる。殺傷を目的とした刃渡りの分厚い軍用ナイフ。それがぼくの心臓を捉え、そして、引き抜かれる。鮮血が尾となって天井に散り、視界が霞む。


「答えろ」


 自称防衛大臣は言う。白くなっていく視界でとらえた男の首にはおびただしい血が花を咲かせている。

 

 なぜ、この男は生きているのか?

 なぜ、死んでいない。

 なぜ。……



 

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