2

「おい、ここから本陣だ。自然に頼むぜ」


 外の景色を眺めて黄昏たそがれていたぼくに、ロベルトが声をかけてきた。


 フロントガラスから見える景色に廃れた雰囲気の町が加わっている。


 自然に、と自らが言った言葉通りに、ロベルトは口笛を鳴らしながらリラックスしている。これが彼流の敵地への紛れ方なのだろう。


 町の入り口に近づくと、町の廃れ具合は際立ち始めた。


 さっきの町も大概だったが、この町もまた同様に銃痕と血の臭いが染み込んでいるようだ。これは道中ロベルトが話していたことだが、この町も元々は政府軍と独立軍との間で中立を保っていたけど、つい一月ほど前に独立軍に制圧されてしまったらしい。だから、まだまだこの町が醸し出す悲惨色は濃い。


 町の入り口までやって来ると、物陰で待機していた検問兵がぼくらのトラックを停車させた。検問兵は二人いたが、そのどちらも白人なので、同じ白人であるロベルトだけならこの検問を通過するのは難しいことではない。この車の持ち主が元々所有していたドッグタグを見せれば、目先の情報だけを重視してしまう練度の低い兵士を騙すのは容易いことを、ロベルトは経験上知っていた。内戦で国家が崩壊しかけている国の混沌具合では、情報の重要性に関する教育は放棄されがちなのだと。


 けど、問題はぼくだった。


 純粋な日本人で、どうがんばっても白人には見えないぼくが、この検問を通過するのは厳しいだろう。それは、作戦が始まる前からわかっていたことだ。というわけで、ここでぼくは幾つかの選択を迫られることになる。


「認証を」


 運転席側の開けっ放しにされていた窓から、検問兵が車内を覗きながら言ってよこす。


 ロベルトは現地語で二、三言葉を交わし、自分のドッグタグを見せていた。


 ぼくはその隣で如何にも具合悪そうに、事前に背を少し倒しておいた座席に身体を委ね、マフラーで顔の半分を隠し帽子を深くかぶりながら寝たふりをする。


 隣ではロベルトと検問兵が会話を続けている。


 帰り道の途中で腹を下したみたいだ、とかなんとか。適当にぼくの状態の悪さを説明しながらロベルトはぼくの分のドッグタグを検問兵に渡す。


 これですめば万々歳。何の波風も立たせずに目的地に潜入できる。


 ぼくは顔を伏せて寝たふりを続けながら、静かに祈った。


 とはいえ、やはり現実は甘くはなかった。


 二人いた検問兵のもう一方が、助手席側の窓を叩き、ぼくの様子をうかがってきたのだ。男はしつこくガラスを叩き、窓を開けるように催促してくる。


「おいおい、そっとしといてやれよ」


 隣でロベルトがそう言って肩をすくめているが、ぼくの真横から聞こえるノックの音は止まず、チラリとロベルトの顔を見ると明らかに困惑している様子が見てとれた。それを見て、思考は加速していく。


 そしてぼくは幾つかの選択肢の中から一つの手段を選択した。


 もぞもぞと身体を動かしながら、身体の横にあるボタンを押して窓を開ける。


 検問兵はぼくの顔を覗き込もうと車内に顔を寄せてくる。なんの警戒もなく、無防備に近づいてきた男はまったく気がつかなかったのだろう。なにせ、男の首から生温かい血が流れ、その瞳から生気が消えていく最中、視線の動きはいっさいなく、ただ目の前の車体の黒色を映していただけだったから。


「おい、どうし──」

「黙ってろ」


 ぼくを調べていた検問兵の身体が少し前方に傾いた瞬間、同僚の男が不審な声を漏らしかけたのを、ロベルトが素早い判断で処断した。こうして、検問兵二人の喉元にはお揃いのナイフの一閃が刻まれることになった。物音ひとつ立てない殺人の技術に関して、ロベルトたち特殊部隊員はかなり熟練したものをもっている。


 ピューと口笛を吹き褒めたたえるぼくの目を、ロベルトは顔を引きつらせながら睨みつけてくる。


 目は口ほどに……彼の言いたいことはよくわかる。もっとも、他に手段がなかったことを理解しているぼくに悪気はない。もちろん、不幸にもその場の判断で殺してしまった二人の検問兵にも罪悪感はない。なぜって、この国のリアルは理不尽な人の死に寄り添っていて、この処置はさっき見て来た町の住民に二つの勢力がしたものと同様に、その場のリアリティに適したものでしかないからだ。


「まったく、日本人はもっと穏やかな人種だって思ってたんだがな……」


 いそいで車から出て、二つの死体を荷台に乗せ、カモフラージュのためにビニールシートを掛けながら、ロベルトが愚痴ってきた。


「間一髪ってやつだ。下手したら騒ぎになって作戦がおじゃんになるところだったぞ」


「かもしれない。でも、上手くいった」


「結果がすべてじゃないさ。勘違いされがちだが、おれたちの仕事は過程もけっこう大事なんだぜ」


 そう言ってドアを閉めるロベルトの手にはかなりの力が加わっていて、さすがにぼくの行動に対して苛立っているのがわかる。


「終わりよければ全てよし。ぼくの国じゃ有名なことわざなんだけど」


 そう言って宥めると、


「精神上の問題さ。一つの任務に何回も気苦労があれば、あっという間に精神を壊しちまう。覚えとけよ、おれには妻と二歳の息子がいて、まだこの仕事を退職するわけにはいかないんだ。だから、次からは頼むぜ、穏やかな日本人……」


 ロベルトはそう言って釘を刺し、車を発進させていく。


 ぼくはその姿を横目で見てそっと肩をすくめた。

 




 運転席でハンドルを握るロベルトはしばらくむっとした様子で黙ったまま車を運転していた。彼が口を開いたのは、町の中を数分移動し、朽ちかけた教会に辿り着いたころだった。


 終点だ。そう言ってロベルトはトラックを教会の近くに着け、降車を促した。


 ぼくはうなずき、車を降りると、荷台から細長い布袋を取り出し、先に行ったロベルトに着いていく。一緒に積まれていたさっきの検問兵二人の死体は、取りあえず放置しておくことにした。作戦通りにいけばもうここに戻ってくることもないだろう。


「それ目立つな」


 ぼくが肩に担いでいる布袋を見てロベルトは顔をしかめる。


「本当に持っていくのか? できれば置いていってくれれば目立たなくて助かるんだが」


「これは、駄目だよ。大事なものだ。それにこれがなきゃぼくは戦えない」


 ぼくは肩に担いだ布袋を背に隠しながら言う。


「できるだけ目立たないようにするよ。自然にしてたら大丈夫だって、あんたも言ってただろ」


「まあな。でも条件がある。後でそれ振らせてくれよ。実は昔から『侍』ってのに興味があってな。その代わりといっちゃあなんだが、今度おれのおすすめの銃を教えてやるからよ。銃は好きだろ、男の子なら」

 

 と言ってロベルトは笑う。


 ぼくも曖昧な笑みを返してロベルトの機嫌をとっておく。


 町の中は閑散とし、冷ややかな静けさに満ちていた。もう少し巡回兵がいてもいいと思うけど、たぶん、ここは独立部隊の駐屯地の中でもあまり重要でないエリアだから人も少ないのだろう、と自分を納得させる。


 空は相変わらず暗い。


 暗雲に包まれた空には、月も星も映らず、こっそりとこの町に侵入しているぼくらにとっては好都合だった。


「さて、面倒事が起こる前にさっさと任務を終わらせよう」


 ロベルトはそう言いながら辺りを見回している。


 面倒事というのは、さっきぼくがやったような、突発的な暴力のことを差すのだろう。ロベルトの眼はぼくの眼を鋭く見つめ、口よりも豊かに念を押していた。


 標的がいるエリアへはここからもう少し歩かなければならない。前を行くロベルトの耳が時折りぴくりと動くのは、彼の鼓膜に埋め込まれたナノマシンが衛星からの電波を受信して、国境の外で待機する本部からの指示を伝えているからだ。遥か遠い宇宙から見たぼくらの姿が、今頃本部のモニターに映っているはず。ロベルトの上官たちは、その映像を見ながら、三つに分かれた特殊部隊のグループそれぞれに指示を出している。


 ただ、実際にこうして内地に潜入して標的の首を取るのは、ぼくとロベルト二人のグループだけで、その他は主に斥候と退路の確保が仕事だ。

もちろん、こんな布陣は例外的だ。非軍人で、さらに日本人であるぼくが作戦に参加している時点で今回の任務は米軍にとっては例外だらけだろう。

現在の米特殊部隊の編成単位は四人編成が基本だという。にも関わらず、ぼくたちは二人っきり。イレギュラーが起こった場合のケアが遅れてしまう可能性は大だ。

とはいえ、事情を知るぼくからしたら、この編成は当たり前のことだ。

なにせ、これからぼくらが向かう先には、筆舌にし難いおぞましさが待っているのだら。


「人の気配がするね」


 銃痕と薬莢やっきょうと、時たま注射器や空のアンプルなど、戦場という混沌にありがちな落とし物の上を歩き続けるうちに、次第に明かりのついた建物が増え、人の話し声も聞こえてきた。


 ぼくらは周囲への警戒を強めながら、不審にならない程度に建物の影を選んで歩いていく。ここに来るまで運よく現地人とすれ違うことはなかったが、ここからはそうはいかなさそうだ。


「いよいよだな。狂った人間の臭いがするぜ」


 ロベルトはそう言ってニヤリ。面倒事はごめんだ、と言ったロベルトだが、彼の本来の性格はこれ。戦争中毒者は狂った人間と際限のない暴力に自然と惹きつけられる。


 おそらく、ロベルトの心の枷をセーブしているのは、得体の知れない日本人のぼくという存在なのだろう。それは理解できる。初対面には警戒し年下の前では格好つけたいのが大人ってやつだ。


 さて、そんな風に密かに皮肉たっぷりな評価を下している間に、ロベルトは近くにあった廃墟に侵入し、こちらに手招きしていた。


 真新しい弾痕が幾つも残るその廃墟に向かうと、ロベルトは簡単な打ち合わせを始めた。


「あそこを見ろ。この町の現状からすりゃ、不自然に豪華な建物があるだろ」


 そう言ってロベルトが指さす先に、四階建ての幅の広い建造物があった。所々崩れかけてはいるが、たしかに、この辺りのロケットや銃で半壊した建物よりかは、明らかに健全で厳かな雰囲気が漂っている。


「この町にあった元領事館だ。標的はあの建物の中にいる。……さてブラザー。おれはこれから予定通り、この国で虐殺を繰り返す独立部隊の求心力を叩くわけだが、おまえの標的はまた違う人物だとボスに聞いている。しかしだ、もしおれたち二人の標的が一緒にいなかった場合、面倒な事になる。どちらか一方を殺ってる間に、もう一方が消えちまう可能性は高いからな」


「それは面倒だ。溜息が出るよ」


 ぼくは気楽に肩をすくめて返す。不確定要素が絡みすぎる話は本当に面倒だ。


 ロベルトはまったくだ、とつぶやき、


「そこで提案だが、もしトージ、おまえが自分の標的を先に見つけても、その場は後回しにして、おれの標的を優先するってのはどうだ」


「なぜ」


 ぼくは鋭くつぶやく。ロベルトは真摯な眼で口元だけを綻ばせて、


「ここまで送ってやった礼だ。この国でのおまえの活動はアメリカ政府が承認して、ようやく可能になるものだ。それに対する報酬は払ってもらうぜ。それがおれの個人的な意見だ」


「まったく……」


 ぼくは溜息を吐き、朽ちた窓から暗い空を見上げた。


 宇宙の目を通してこの場を盗撮するアメリカ軍の偉いさんも、そもそもロベルトがいま言ったような条件で、日本人のそれも軍人ですらない若者という、とても怪し気な存在をこの重要性の高い暗殺任務に組み込んでくれたのだ。もちろん、それはぼくが持ち得る特別なコネクションを大いに生かしてのことだが、今後もそのコネクションを有効活用しようと思えばこの提案を断ることはできない。


 もちろんわかっている。これは仕方のないことだ。


「了解。じゃあさっさと行こうか」


「おりこうだ、トージ。もっとも仕切るのはおれの仕事だがね」


 ロベルトはそう言って微笑み、二本の指を元領事館に向けた。


 ぼくらは素早く、しかし物音のいっさいを消しながら、影のように建物の中に侵入した。

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