すばらしき不死の世界

みぶさん

第一部

1


 トラックの窓から見える外の景色はひどく心を曇らせるものだった。


 銃弾とロケット弾によって穿たれた民家の壁に、所々でくすぶる朱い火と暗い夜空に舞い上がる白煙、そして無気力に地面に座り込む住民たち。まるで、幼い子供がひとしきり遊んだ後のリビングのように、この町には際限のない無秩序が広がっているように見える。


 解放した窓から風に乗って流れ込んでくるのは微かな異臭で、その臭いはこの町ではもはや馴染み深くなってしまったものらしい。


 ぼくは思わず服の袖で鼻を覆い、眉間に皺を寄せる。


 それでも綿の繊維越しに伝わってくるツンとした臭いは消えない。


 わかりきっている。これは夏場の炎天下に買ってきた肉を、冷蔵庫に入れ忘れた時のあの感覚。つまり、腐乱臭。命を散らして数日間、この熱帯の町で放置された誰かさんが放った死の臭いだ。


「おいおいトージ、そんな顔するなよ」


 あからさまな嫌悪感を示すぼくの顔を横目で見ながら、ハンドルを握るアメリカ情報軍特殊部隊員のロベルトがつぶやいた。


「いまのこの町じゃ、これが日常なんだぜ。そんなにわかりやすく顔なんてしかめてたら、かえって不審者にみえちまうだろ」


「わかってるよ。できるだけ気を付ける」


 ぼくはそう返しながら、ごく自然な動作で窓を閉めた。これで外の異臭はシャットアウトできるはず。……そう思いながらロベルトに視線を送り、運転席側の窓も閉めるように要求する。しかし、ロベルトは運転に集中しているのか、それとも単に面倒なだけなのか、一瞬こっちを見るとすぐに目を前に向け直しそのまま動くことはない。この男は変態なのだ。死の臭いを嗅ぎ続けてもまったく気にならない戦争中毒。


 仕方なく、ぼくは風が流れ込んでくる運転席方面から顔を背け、無秩序が広がる窓の外を眺めた。


 おそらく、ぼくらが乗るトラックから見えない物陰や路地には、先日この町で起こった虐殺により、不幸にも命を落とすことになった人々の死体が幾つも転がっているのだろう。


 まったくもってひどい話だ。


 それはこの町の住民たちにとっても、そして、もちろんぼくたちにとっても。


 この町の住民は特に誰かに怨みを買うような、非倫理的な悪逆行為を行っていたというわけでもなく、ただここに住んでいたというだけで他に何の理由もなく住処を蹂躙じゅうりんされた。内乱まみれで足元から崩れかけているどこぞの国家の軍事部隊と、そこから独立しようとする先住民族との小競り合い。そのちょうど中間点にあるのがこの町だった。ただ、それだけ。そんなどうしようもない事実が、この町に血と硝煙と腐った肉臭のパレードを演出したのだ。


 パレードは定期的に開催される。


 カラシニコフの散発的な音を皮切りに、次第に人々に波長する音色は低く重くなり、死のオーケストラが町を覆う。その間隔が最近では一週間から、五日、さらに三日、二日と短くなり、いまではいつ開戦の指揮棒が振られるかもわからず、恐怖におびえる住民たちは、コンサートからリタイアした死者の埋葬すらもままならない状況にある。


 そんな理由で、ぼくはいま、こうして生者と死者がごった返す町の中を、ロベルトの助言に従いナチュラルな顔で横断している。


 目指すのは、この惨状を創りだした原因である二勢力の一方、先住民からなる独立部隊の駐屯地。そして目標は独立部隊の連中の中で、特に求心的な力を持ち、政府軍との交戦や近隣地域でのテロを指揮している、新国家の防衛大臣を自称する男だ。


 アメリカ政府は、その自称防衛大臣を殺せば、この地域で繰り広げられる無意味な紛争を多少なりとも軟化できると考えているのだろう。世界警察を自任する大国は苦労の種が多いようで、自らの都合に関係なく戦場を渡り歩かされる軍人には少し同情する。


 ところで、ぼくの目的とする人物は、軍人たちの標的とはまた別で、その人物──いや、存在と言った方がいい──はどうやら独立部隊の連中から「神」と崇められているらしいのだが。……






 ぼくの心を憂鬱にさせる腐臭からはやがて解放された。


 町を抜けてしばらくは、右手に崖、そして左手に深い谷のある山岳地帯を、ヘッドライトの光を頼りに上っていく。仮にもここら一帯は戦場なので、決して警戒は解かないが、それでもこうして産業革命の遺産である自動車というものに乗っていると、つい気を抜いて楽をしてしまいたい気持ちになる。


 いまこうしてアクセルを踏むだけで駆けあがれる坂を、本来なら地道に自分の足で進まなければいけなかったことを思うと、幸運な現状にほっとする。というのも、つい一時間ほど前、運よく独立部隊の誰かさんたちが乗っていた軽トラックがぼくらの行軍先に死体つきで放置されていたので、ロベルトと相談した結果気兼ねなくレンタルさせてもらったのだ。もっとも、返却の予定はいまのところない。


 トラックの荷台には、物騒な機関銃が搭載されていて、その脇には日本語で「鮮魚店みさわ」と塗装がされている。日本人であるぼくからすれば、ゴテゴテした銃と、平和な日常を感じさせる日本語のミスマッチに笑いさえ込み上げてくる。


「そういえば、これ、おまえの故郷の文字だったな」


 ぼくが最初にこの車の塗装に気がついたとき、ロベルトはそう言ってニヤリとした。


「これで、おまえの故郷も立派に戦場支援国家ってわけだ」


 ロベルトは少し考えに短絡的なところがあるようだ。


 たしかにこのトラックは日本製で、漢字と平仮名の装飾がされているが、でも、それだけだ。なにも、日本人が望んで戦場に便利なテクノロジーを提供したわけではない。ただこのトラックは奇妙な巡りあわせで持ち主の手を離れ、他国に輸出され、たまたまこの国の誰かが安値で買ったに過ぎない。


 ぼくがそう反論すると、


「じゃあ、おまえは?」


 ロベルトは相変わらずにやついた顔で問う。


「日本人でそのうえ軍人でもないおまえは、なんでこんな異国の戦場でアメリカの特殊部隊の行軍につき合ってるんだ?」


 その質問にぼくは答えなかった。プライベートだよ。そう言っておくと、大抵の人間はそれ以上の追及はしてこなくなる。便利な言葉だ。


 戦場に恋しさをもってはいても、他人とのコミュニケーションに関して常識的な部分を保っているロベルトは、それ以上の追及をすることはなかった。


 まあ、それが国が運営する特殊部隊の性格ってやつだろう。


 ぼくはちゃんとした正規の取引でアメリカ政府に認められ、今作戦に組み込まれたのだ。上層部が認めて組み立てた作戦に、兵士は反論してはならないし、疑問も抱いてはならない。それが軍人の間での暗黙の了解だ。だから、この異国の戦場においてアメリカ政府からのお墨付きをもらっているぼくに、ロベルトが妙な偏見で直接嫌みを言うこともない。端的に言って、彼は文句なしのプロフェッショナルだった。


 とはいえ、彼の持つ疑問は、この作戦に従事する特殊部隊員全員が抱いているものだろう。


 たしかに、日本人は世界からみても平和的で、戦争やテロという言葉に緊張感とリアリティを失ってしまったふしがある。

 かつて日本が戦争をしていた時代から、もう八十年ほどの年月が流れる。大昔の敗戦以降、日本における軍事力というものは公には解体されたままだ。例え自衛隊が他国から最新式の銃やミサイルを買い揃えて、頻繁に軍事演習を繰り広げていたとしても、日本が国をあげて大っぴらに他国に向け軍事力を提供したという歴史はない。八十年。……それだけの時間、日本は戦争を遠い他国の行事と定め、国民は銃や爆撃が生み出す灰色の景色をメディアが提供する架空の世界と認識し続けてきたのだ。これが、現在の日本の現実。


 ぼくはそんな平和な現実からやって来た。


 世界が認める平和ボケの巣窟、日本。そんなぬるま湯につかりきっているはずの人種が、なぜ、こんなハードな地獄のかまの中にやってきたのか。……そして、自分たちの上官は、どういう事情で自国が運営する作戦に、他国の人員を組み込むことを良しとしたのか。……


 大っぴらに口には出さなくても、みんなそれを疑問に思っていることは理解している。ぼくはさほど神経質な性格ではないが、それでも、この作戦の説明をペンタゴンのとある一室で受けている時に、複数の軍人たちの視線が好奇心たっぷりにこっちを射抜いていることに気がついていた。


 視線はぼくに問いを投げかけているようだった。



 日本人が戦場の理不尽に耐えられるのか?

 日本人が死体の山を歩けるのか?

 日本人が銃を握れるのか?

 日本人が人を殺せるのか?



 そんな感じの。


 軍人という仕事をしていて、精神がまいってしまうやつは少なからずいる。いや、アメリカ軍──とりわけ、暗殺を任務の一部に請け負うロベルトたちが所属する特殊部隊では、精神上の理由で退職する人間はむしろ多いらしい。ベトナムやアフガニスタンを経験した米国の精神ケアは年々技術を増しているが、それでも人間の感情を全て消し去ることが出来ない以上、この問題は必ずつきまとうのだろう。


 だから、彼らの心配もごもっとも。それに、ぼくの実年齢はまだ二十二歳で、日本人という人種の若作り具合を加味すると、もっと幼く見えるので、軍人たちの不安は更に大きなものになっているのだろう。


 不安。──


 それはけっこう。実に人間らしい感情じゃないか。


 たしかにそれはぼく自身にもある。


 でも、それは、戦場という地獄で自らが命を落とすことに対する恐怖、もしくは見知らぬ誰かの命を奪ってしまうことに対する倫理上の呵責かしゃく云々〜なんて常識的なものじゃあない。


 ぼくは、自分が死ねないことに不安を感じている。


 さっきの町でたくさんの死の臭いを感じ、このトラックの持ち主の死体だって実際に見て、民放のイブニングニュース越しでしか知らなかった戦場のリアリティ、それに理不尽な死のリアリティというものは随分感じることができた。それでもまだ、ぼくにとって死という現象は大きな河川の対岸にあるようなものだ。自力で辿りつくには遠く、見えてはいるけど、そこに至る手段が自分の手元にないのだ。


 だから、ぼくはこんな異国の地までやって来て、世界警察だとか奢りの過ぎるアメリカ軍と一緒に暗殺任務に従事することになった。

 ぼくが遥か遠くの対岸にある「死」へと辿り着くための手段が、どうやらこの地にあるらしいとわかったから。……

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