conflict

藤九郎/徳永大輔

conflict ~原稿用紙3枚の掌編


部屋に帰ってきたら魚が死んでいた。


テーブルの隅に置いていた45cm水槽に白い上澄みができていて、水面にそっと触れるとどろりとして斑のような模様になった。


黄色のグラミーは死んでもなお鮮やな発色をとどめていたが、それはやはり、どこか色褪せて澱んでいた。


死骸は水底で横たわりながら、虚ろな目で仲間たちが泳ぐのを見つめている。


いつまでも放置するわけにもいかず、私は机のひきだしからピンセットを取り出した。


死骸を水からあげた途端に、魚の死臭が鼻をつく。昔、投資マンションのセールスマンが家にやってきたとき、四十がらみのその男の、差し歯が目立つ口から発せられた匂いを思いだした。


死体をティッシュでくるんだ後も、滴る水がついたのか、手から死の臭いが消えなかった。



死骸を包んだティッシュを机におくと、私は天井の電灯をみあげ、物思いにふけった。


死んだ魚の始末の仕方には、いつも考えさせられている。


丁寧に線香でもたてて土に埋めるか、それともそのまま紙にくるんで捨てるか。


土に埋めてきちんと埋葬したほうが命に対して敬意をはらっているようにみえるが、食べ終わったサンマの骨を私たちは土に埋めない。


なんのためらいもなく、食によって「消費された」魚はゴミとして処分する。


なのにこんな小指の先ほどの熱帯魚に、どうしてそこまでセンチになり、丁重な弔いをしようというのか。


かりにこの小魚をゴミ箱に棄てることが生命への冒涜というのなら、現代人は自分の命を養ってくれる生き物を絶えず冒涜し続けていることになる。

そんな理屈をこねあげて、私はティッシュにくるめた遺骸をゴミ箱に捨てた。


パソコンを開いて簡単な作業をする傍ら、煙草を吸って気分転換しようとしたが、やはりなんとく気が塞ぎ、ゴミ箱からティッシュを拾い出し、部屋の隅にあったサンスベリアの鉢に埋葬した。


鉢植えの黒い土がグラミーの死体を分解し、サンスベリアの命になればいいと思った。



気分転換の散歩で、小銭入れをポケットに突っ込み、薄いカーディガンに雪駄といういでたちで外にでた。

 国道沿いにしばらく歩いて河原まで来ると、思いのほか風が強かった。


 北から吹く風に上着をはためかせながらベンチに座ると、ちょうど正面のゆるやかな川面に、大きな黒い鯉の泳ぐのを見つけて、しばらくそれに見入っていた。

 淀みなく流れる河に、鯉は悠々と泳いでいる。恋が泳ぐ様子を眺めながら、私は魚を一度ゴミ箱に捨ててから拾い直して土に埋めるという自分の思考のプロセスについて思いを馳せていた。


私はいつも逡巡している。二つの感情が相克しているのだ。


何をするにも精神分裂者のように二つの感情がぶつかり合い、うまく整理できないまま行動や言動にアウトプットされてしまう。


ブレーキとアクセルを同時に踏むようなその思考の癖が、精神をすり減らしているように思う。

ちょっとしたときに気がつく自分の挙動不審や行動や言動に一貫性がない性格は、多分このような意識の働きから起こるのだと自覚すると、なんとなく感慨深いものがあった。


 「ちょっとした精神病だな。思考の断片同士が頭の中でぶつかり合ってる」 


 自嘲めいた口調でなんとなくそう呟いてから、私は立ち上がりしばらく風に吹かれていた。

 風は冷たくも心地よく吹き抜け、私の肌を洗い、いつの間にか手から死の臭いはしなくなっていた。

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