第17話 世界を救う英雄

 「世界を救う英雄」と紹介されたウェリントンは、苦笑いを浮かべながら首をすくめた。

 次々と挨拶に来る客たちと会話を交わしたのち、ウェリントンはジョージアナのところへとやって来た。父親が軍人である関係から、彼女は幼いころからウェリントンと交流があった。

「ジョージアナ、今夜はいっそう綺麗だね」

「また、そんなお世辞を言って。でも、ありがとうございます」

 ジョージアナは頬を赤らめた。

 ウェリントンは彼女より20歳以上も年上なのだが、年齢を感じさせない端正な顔立ちの「上品なおじさま」に褒められて悪い気はしない。


 しばらくしてダイニングルームで晩餐会が始まった。ジョージアナはウェリントンを案内し、その隣に座った。

 メイドたちが次々とテーブルに料理を運んでくる。

 ローストチキンを挟んだサンドウィッチ、牛挽肉のミートパイ、桃やチェリーなど旬のフルーツ、そしてプディング、チョコレート・トルテ、レモンアイスなどのデザートが、ところ狭しとテーブルに並べられていく。

 時刻はもう午前零時を回っている。とても全部は食べきれない。


「今日は君にプレゼントを持ってきたよ」

 ウェリントンは目にいたずらな笑みを浮かべながら、ポケットから何かを取り出した。

「あら、可愛い」

「私のフィギュアだよ。特注品で作ってもらったんだ。世界に1つだけだよ」

 会場の客の中には、2人に意味ありげな視線を向けながら何やら小声で話す者もいたが、ウェリントンは気にする様子もなかった。


「失礼します、閣下」

 2人の会話を遮るように、若い兵士がウェリントンに声を掛けた。

 美しい女性との会話を邪魔されたウェリントンは、むっとして無神経な若者を見たが、すぐに真剣な顔つきになった。

 兵士の服は埃にまみれ、全力で走ってきたのであろう、肩で息をしている。

「これを」

 兵士は肩にかけたポーチから、1通の手紙を取り出した。

「プロイセンのブリュッヒャー元帥からであります」

 ブリュッヒャーの名を聞いて、ウェリントンの表情が一瞬、陰った。

「ご苦労だったね」

 伝令の兵士にねぎらいの言葉を掛けつつ、ウェリントンは受け取った手紙をそのまま腰ポケットに入れた。

「お読みにならないんですか?」

「ああ、今は君との会話を楽しみたいからね」

 そう言いながらも、ウェリントンは明らかに落ち着きを失っていた。

 ジョージアナは気になっていたことを思い切って聞いてみた

「先ほど、ブラウンシュヴァイク公爵から伺ったのですけど、ナポレオンが攻めてきたというのは本当なのでしょうか」

「君にまで心配をかけて申し訳ない。大丈夫、我々が必ずナポレオンをくい止める」

「閣下もこれから戦場に行かれるのですか」

 先ほどから来客が少しづつ退席していくことに、彼女は気付いていた。今夜のうちに戦場へ発つのだろうか。

 今日ここに招かれた客のうち、何人かは二度と戻ることがないかもしれない。そんな思いがジョージアナの脳裏をよぎった。

「いや、すっかり遅くなってしまったからね。私は家に戻って寝ることにするよ」

 ジョージアナの不安を察したのか、ウェリントンの声はことさらに明るい。

「今夜は楽しかった。また会える日を楽しみにしているよ」

 ウェリントンは、ダイニングルームを悠然と出て行った。


「では、そろそろ私も失礼させていただきますよ」

 ヴィルヘルムが静かに声を掛けてきた。ウェリントンとの話に夢中になっていつの間にか忘れていたが、公爵はどうやら1人きりで食事をとっていたらしい。

「帰って子供たちの寝顔を見なければ。今夜が見納めかもしれません」

「見納めだなんて。殿下は無事戻られますわ」

「私はナポレオンに父を殺された。妻も他界し、残されたのは子供たちだけです。子供たちを守るためなら、私はナポレオンと刺し違える覚悟です」

「お父様を亡くした辛い思いを、お子様たちにまでさせてはいけませんわ」

「……分かりました。必ず戻りますよ」

 それきり、2人は黙ったまま屋敷の出口までの通路を歩いた。

「どうか御無事で」

 出口で見送るジョージアナに、不器用な黒公爵は立ち止まって何かを言おうとしたが、結局、小さくうなずいただけで夜の闇へと消えていった。

 闇の中で、ヴィルヘルムは一度振り返ったのだろうか。胸の髑髏が月明かりを反射してちらりと輝いた。

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