第7話 グランド・アルメ復活

 戦争大臣に任命されるとすぐに、ダヴーは軍事を司る戦争省へ赴いた。

 パリの中心を流れるセーヌ川の南、代議院の議場があるブルボン宮殿にほど近い場所に戦争省はある。

 庁舎内には、他の省庁にはない独特の荒々しさと緊張感が漂っていた。

「軍務局へ」

 敬礼をもって迎えられたダヴーは、大臣室へ案内しようとする秘書官に一言いい放つと、足早に軍務局へと向かった。

 軍務局は、兵員や軍備の調達を担う部局である。今のダヴーにとって真っ先に訪れるべき部局であった。


「お待ちしておりました。大臣閣下」

 出迎えたのは、背の高い官僚だった。胸の記章は、彼が軍務局の幹部の地位にあることを示している。

「副局長のサミュエル・コルネイユです。軍務局内の実働部隊の取り仕切りは私が一手に引き受けております」

「ずいぶん若いな」

「20代で副局長になったのは私が初めてと聞いております。いえ、運が良かっただけですよ。皇帝陛下のおかげで能力ある者が正当に評価される時代になっただけのことです」

 謙遜しているようで完全に自慢である。

「その皇帝陛下からのご命令だ。早急に兵を集めよ」

 コルネイユの自慢話を軽く受け流し、ダヴーはナポレオンの指令を手短に伝えた。

「お任せください。すでに予備役を招集しております」

 自信に満ちた話しぶりは、いかにもエリート若手官僚という印象だ。

「予備役を全て集めても数万程度であろう。皇帝陛下が求めておられる数には到底及ばぬ」

「もちろん、次の手も打っております」

 コルネイユは得意げに髪をかき上げながら言った。

「何だ」

「わがフランス軍は60万の兵でロシアに遠征しましたが、故国に戻ったときには5000に減っていたこと周知のとおりです。ですが残りの者が全て戦死した訳ではありません」

 コルネイユは大げさに両手を広げた。

「敵前で逃亡した軟弱者が何万とおります。多くの戦友が命を投げうったというのに、その者どもは今、恋人や妻と平和な日常生活を送っているのです。奴らを連れ戻し、鍛え直します。今度こそ祖国のために死ぬ名誉を与えてやりましょう」

 コルネイユは、怜悧な顔に冷たい微笑みを浮かべた。

「予備役と逃亡兵か。心もとないな」

「ご安心ください。兵を集める手立てはまだ他にもございます」

「どうするのだ」

「徴兵すればよいのです」

「だが徴兵制はルイ18世の時代に廃止され、国民はそれを歓迎している」

「おっしゃる通り、無知蒙昧な庶民は徴兵に反対するでしょう。ですがどれだけ抵抗を受けようと、愛する祖国のため私は兵を集めねばならぬと考えております。戦いが始まれば彼らも気づくでしょう。祖国のために命を賭して戦うのがいかに名誉なことであるか」

「なるほど、貴官は強い愛国心と鋭い見識を持っておるな。貴官の言う通り徴兵制こそ我がフランスを救う途だ」

「ありがとうございます」

「それでは早速だがコルネイユ——」

 ダヴーは、若きエリート官僚の肩に手を置いた。

「何でございましょう?」

「貴官に徴兵第1号の栄誉を授けよう。我々の祖国を守るため、共に戦場で戦ってくれたまえ」

「え、いや、私は……」

「遠慮することはない。君のような愛国者こそ我が軍には必要なのだ」

「ですが、私には副局長としての職務が……」

「君の後任ならすぐに手配する。後のことは心配無用だ」

 慌てふためくコルネイユを尻目に、ダヴーは軍務局を後にした。

 

 季節は移ろい、初夏の驟雨が実り始めた麦の穂を垂らす頃、ダヴーはナポレオンの指示通り60万の兵を集めきった。

 ヨーロッパを欲しいままに蹂躙し、各国から悪魔のごとく恐れられた大陸軍グランド・アルメが、いま再びその鋭い爪を大地に突き立て、覚醒の雄叫びをあげたのである。

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