第6話 不敗のダヴー

 春の訪れとともに、パリの街には至る所で草木が色彩豊かに花を咲かせる。

 街路には薄紅色のマロニエや、淡黄色のプラタナスの花が、新緑の若葉との鮮やかなコントラストを織りなしている。


 テュイリュリー宮殿の庭園でも、春の花々が柔らかな陽射しを浴びて瑞々しく輝いている。

 宮殿の主が交代したことで、庭園の様子にも変化があった。

 これまでブルボン王家の象徴として植えられていたアイリスの花は、まだ蕾も付かぬうちに撤去されてしまった。

 代わりに植えられたのは、青のブルエ、白のマーガレット、赤のコクリコである。庭師たちが急遽、パリ中の花屋から苗を取り寄せたのだった。これらの花々が今、開花の時期を迎えている。


 庭師たちの努力にもかかわらず、新たに宮殿の主となったナポレオンは、のんびりと庭園の風景を鑑賞する暇を持ち合わせていなかった。

 彼が不在であった1年の間に王党派の政治家たちが行った封建的な政策を撤回し、自由主義的政策を復活させねばならないのだ。

 やるべき事はそれだけにとどまらない。大臣の任命、新憲法の制定、反逆者の処罰——。


 中でもナポレオンが最も力を入れたのは、軍隊の強化であった。

 最盛期、ナポレオン率いる大陸軍グランド・アルメは70万人になんなんとする、まさにヨーロッパ最大の軍隊であった。

 しかし長きに渡る戦争で、多くの兵士が戦死あるいは負傷、逃亡した。

 その結果、ナポレオンが帝位に返り咲いたとき、フランス軍の兵力は20万人にも満たなかった。この先に待ち受ける同盟軍との戦闘を考えると、あまりに心もとない数である。


「恐らく同盟軍は、70万から80万の軍で、我がフランスを包囲するだろう」

 ナポレオンはその冷静な分析眼で、自身が置かれた圧倒的に不利な状況を把握していた。

 全ヨーロッパで、フランスの味方をする国は一国もない。まさに四面楚歌の中、多数の敵を相手にしなければならないのである。

 それでもナポレオンは悲観的ではなかった。

「我々にとって最大の敵であり、そして味方であるもの。それは時間である」

 戦う準備が整っていないのは敵も同じだ。

 敵に勝るスピードで軍隊を組織し、先制の一撃により士気を砕く。ナポレオンはそこに、危機を生き延びる途を見出していた。

「3か月以内に、少なくとも50万、できれば60万の兵を確保したい」

 それでも同盟軍の兵力には及ばないが、それだけの兵力があれば敵も安易に攻撃を仕掛けて来られないはずだ。


「ダヴー、貴官に一任する。我が目の前に大陸軍グランド・アルメを復活させてみせよ」

 無理難題とも言えるこの指令を受けたのは、ナポレオンの復位と同時に戦争大臣に任命されたルイ=ニコラ・ダヴー元帥であった。

 ダヴーは陸軍士官学校におけるナポレオンの後輩であり、ナポレオンが帝位に就くとともに34歳の若さで帝国元帥位に叙せられるなど、ナポレオンが厚い信頼を寄せている人物である。


 戦場におけるダヴーの采配は、戦争の天才であるナポレオンさえも唸らせるほどであった。

 1806年のアウエルシュタットの戦いにおいては、2倍以上の兵力を有するプロイセン軍を打ち破るなど、彼の戦歴は輝かしい勝利の歴史に彩られている。

 畏敬の念を込めて、人々は彼を「不敗のダヴー」と呼んだ。


 その軍事的才能もさることながら、ナポレオンが強く信頼したのは、ダヴーの忠誠心の高さであった。ナポレオンが退位し、ブルボン王朝が復活した折、他の元帥が次々とルイ18世に忠誠を誓う中、彼は1人ナポレオンに対する忠誠を貫き通した。ナポレオンがエルバ島から戻ると真っ先に馳せ参じたのも彼であった。

 ナポレオンにとって、軍隊再建の重責を任せられる者はダヴー以外に存在しなかったのである。

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