第54話 裁判

 ワーテルロー会戦から半年後の12月6日、パリ中心部のリュクサンブール宮殿にあるフランス元老院議場は、いつにない興奮に包まれていた。


 半円形の議場には、国王の座に復帰したルイ18世や名だたる貴族たちが居並び、中央に立つ1人の男を見つめていた。


 その男、かつてフランス軍元帥であったミシェル・ネイは今、国王への反逆という大罪を犯した被告人として、裁きを受ける身であった。

 すでにナポレオンは南大西洋の孤島セント・ヘレナ島に流刑となっている。死刑を求めるブリュッヒャーら多数の声にもかかわらず命を救われたのは、ウェリントンが助命を主張したからであると言う。

 一方で、スールトやグルーシー、デルロンなどナポレオンの下で戦った主な者たちは、多くが国外へ逃亡した。

 ネイもまた、彼らと同じ道を選ぶこともできたはずである。だが、彼はそれを潔しとせず、裁きを受ける道を自ら選んだのであった。


 議員のほとんどがブルボン王朝を支持する王党派で占められる元老院で、ネイの味方をしようとする者はほとんどいない。議員の中には、かつて共に戦場で戦った軍人も何人かいたが、彼らは皆、ネイと目が合うと慌てて下を向くのだった。


 そんな四面楚歌の議場で、ネイに声を掛けてきた男がいた。ダヴーである。彼は、ワーテルローでナポレオンが敗北した後も首都防衛の任務を忠実に遂行し、パリに迫ったプロイセン軍の部隊を全滅させるなど、「不敗のダヴー」の健在ぶりを見せつけていた。

「どいつもこいつも恥知らずだ。戦場でお前ほど勇敢に戦った者が奴らの中に1人でもいるか」

「ダヴー、俺に話しかけるな。お前の身まで危うくなるぞ」

「とっくに危うくなっている」

 さしものダヴーも、ナポレオンが再度退位し、ルイ18世が玉座に返り咲くと、それ以上抵抗を続けることはできず降伏した。今は政府の監視下に置かれ、いつ逮捕されるとも知れぬ身である。

「ネイ、俺を証言台に立たせろ。お前を弁護してやれるのは俺くらいものだろう」

「ありがたいが、お前を巻き込みたくない。それに仮に無罪になったとしても、この国に俺の居場所はない。かといって亡命して外国政府の世話になる気もないからな」

 その横顔に友の決意の強さを読み取ったのか、ダヴーはそれ以上何も言わなかった。



 裁判が始まった。

 最初から結果は見えていたが、それでもネイの弁護人を務めるアンドレ・デュパンは、懸命に自らの責務を果たさんとしていた。


「そもそも我がフランス元老院は、被告人ミシェル・ネイを裁く権利を有しないのであります。なぜなら被告人はフランス国民ではないからであります」

 何を言っているのだ。冷ややかなヤジが飛ぶ中、デュパンは続けた。

「皆さんもご承知のとおり、去る11月20日に締結されたパリ条約により、我が国は領土の一部を失いました。被告人の生まれ故郷であるザールルイもまた、プロイセン王国の領土となったのであります。すなわち、被告人は今やフランス国民ではなくプロイセン国民であり、したがって……」

「それは違う!」

 デュパンは驚いた表情で声の主を見つめた。

「私はフランス国民だ。今までも、そしてこれからもだ」

 ネイの凛とした声が議場に響き、ざわついていた議場がしんと静まりかえった。

「議員諸君、私は堂々とこの場で裁きを受けよう。だが忘れないでもらいたい。私はフランスに生まれ、フランスで育った。そしてフランスのために命を懸けて数多くの戦場で戦ってきた。私の魂は常にフランスとともにあることを」

 凍り付いたように、誰もが動かなかった。戸惑いを浮かべる者、あざけるように口元をゆがめる者、そしてわずかではあるが、ネイを称える表情を見せる者もいた。

 議場には、ネイの声だけが残響となって響いていた。


「被告人ミシェル・ネイを銃殺刑に処す」

 それが元老院の下した判決だった。

 そして執行日は12月7日、つまり判決の翌日とされた。

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