第44話 ラ・ベル・アリアンス(3)

——私は30歳で第一執政となり、権力の頂点に立った。戦えば負けることを知らなかった。そしてヨーロッパをこのに収めた。

 だがその頃を境に、次第に戦いに負けることが多くなっていった。敵が増えたためか?それもあるだろう。ただそれだけではないことを、私自身がよく分かっていた。


 衰えだ。私の能力は衰え始めていたのだ。


 よわい30にして衰えなど、と思うであろう。

 あの頃の私は、常に勝ち続けることを求められていた。勝てば勝つほどに、人々は次も勝つことを期待した。ただ一度の敗北で多くの人が私から離れていった。

 それがどれほどの重圧であるか分かるだろうか。

 夜も眠れぬ日々の中で、私の精神は蝕まれ、戦場での判断力も衰えていった。

 だが私はそれを認めたくはなかった。衰えてなどおらぬことを確かめるため、憑りつかれたように私は戦いを求めた。


 その結果はお前の知ってのとおりだ

 私があの時味わった挫折感を、他の者は理解しえぬであろう。皇帝の座を失ったこと以上に、過去の自分を、何物にも劣ることのなかった自分を取り戻し得ぬという事実に、私は心を打ち砕かれたのだ。


 ならばなぜ再びエルバ島から戻ったのかと問いたげだな。

 悲しきさがだ。取り戻せぬと思うほどに、無性に取り戻したくなる。今ならば可能だと、そう思えた。

 だが挫折の記憶は消えぬものだ。

 ヨーロッパを再びこのにと願いながらも、いざとなると恐怖心が私を襲った。

 シャルルロワからプロイセンを駆逐した後も、リニーでブリュッヒャーを打ち倒した後も、そして今こうしてイギリス軍と対峙している間も、私の心には恐怖が渦巻いている。あの頃の自分を取り戻せぬという、冷酷な事実を突きつけられる恐怖がな。


 かつて私はお前のことを無謀な馬鹿者と呼んだことをお前は覚えているだろうか。お前は今も変わらない、無謀な馬鹿者だ。たった1人、敵中に取り残されたあの頃のようにな。昔と変わらぬお前に私は嫉妬していた。

 お前を遠ざけるようにしたのも、そのためだ。私が失ったものを持ち続けているお前を見ているのが辛かったのだ——。



 うつむき加減で語るナポレオンの声は次第にかすれ、最後はかろうじて聞き取れる程度になっていった。

「未来を創りましょうぞ」

 ネイの言葉に、ナポレオンがはっとしたように顔を上げた。

「あの日、オーセールの街で陛下は私におっしゃった。過去を取り戻すのではない、未来を創り出すのだと。その言葉で、私は陛下にお仕えすることを決めたのです。我々の手で栄光の未来を創り出しましょうぞ」

「ネイ……」

 ナポレオンはしばし無言でネイを見つめ、そして深く頷いた。

「力を……貸してくれるか」

「何なりと」

「——ではネイ元帥に命ずる。第1・第2軍団、第3・第4騎兵軍団を率いてウェリントンを撃破せよ」

「御意!」

「私は近衛隊及び第6軍団とともにプロイセン軍の襲来に備える。されどお前が危機のときは、必ず助けに行く」

「はっ!」


 ネイはラ・ベル・アリアンスを飛び出した。

 外にはレイユとデルロンが落ち着かない様子で待機していた。なかなか姿を現さぬ皇帝と元帥に焦りを募らせていた2人は、ネイの姿を見るなり駆け寄ってきた。

「戦況は膠着しております。いかがいたしますか」

 気付けば前線から聞こえる砲声は一層激しさを増している。ウーグモン農場に撃ち込まれる榴弾によって、農場からは黒い煙が立ち昇っている。

 だがイギリス軍も譲らず、両軍は一進一退の攻防を続けていた。

「レイユはウーグモン農場への攻撃を継続せよ」

「承知」

 レイユが頷く。

「ただしこれは敵の目をウーグモン農場に引き付けるための陽動だ」

 ネイはレイユの隣に立つデルロンに視線を移した。

「目標は正面のラ・エイ・サント農場。デルロン、貴官に攻略を命ずる」

「ははっ!」

 一昨日の不名誉を挽回するチャンスを与えられたデルロンは、力強く啓礼した。

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