第43話 ラ・ベル・アリアンス(二)

 振り返ると、そこには意を決したような面持ちで視線を向けるネイの姿があった。


「恐れながら、陛下にはここにお留まりいただきとう存じます」

「……なに?」

 収まりきらぬ怒りの感情と、新たに沸き起こった困惑とが入り混じった複雑な表情で、ナポレオンはネイの顔を見つめた。


「なぜそのような事を言う?」

「全軍の将たるお方が前線に立っておられたのでは、プロイセン軍が接近して来た時に即座に対応することが出来ませぬ。戦場全体を見張らせるここラ・ベル・アリアンスであれば、敵の接近に気付くことも、全軍に指示を出すことも容易でありましょう」

「だが、いま最も優先すべきはイギリス軍を撃破することだ。それを私がやらずして誰がやるのか」

「僭越ながらその役目、私にお任せいただきたく存じます」

「私の代わりにお前が指揮を執るというのか」

 それは、捉え方によっては非常に不敵な申し出であった。一度はブルボン家に仕えたネイがこのような申し出をすれば、反逆の意図を疑われかねない。ネイはそれを自覚していた。

「出過ぎたこととは承知しております」

「うむむ……」

「私の謀反を陛下は警戒しておられるのでありましょう。一度は陛下の元を離れた身、無理もなきことにござります。ですが今になって分かったことがござります」


 一語一語を噛みしめるように、ネイは皇帝に語り掛けた。


「陛下は皇帝という地位の重さに苦しんでおられた。国家も、軍隊も、国民も、全てを1人で孤独に支えておられた。それにも気づかず、我々は退位を迫った。戦うことを諦め、陛下お1人に責めを負わせたのであります。だから今度こそは、陛下のため、祖国のため、最後まで戦い抜きとうござります。どうか私を信じては下さりませぬか」

「信じるだと?お前を信じるなど——」

 ナポレオンの口調は、込み上げてくるものを抑えるかのように苦しげであった。

「頼まれるまでもない」

「それは……」

「頼まれずとも初めから信じている」

「しかし、陛下は私を恨んでおられるのでは」

「あの日、私に退位を迫った者たちを確かに私は恨んだ。だがあのとき戦いを続けていれば、フランスという国は消滅していた。こうして再び諸国と銃火を交えることも相成らなかったであろう」

「陛下……」

「権勢の高みに登るほど、人々は私を恐れ、私に意見する者はいなくなっていった。気付けば私は無謬の存在となっていた。恐ろしいものだ、誰からも誤りを指摘されぬというのは。その結果があの無謀なロシア遠征だった。皇帝の座を追われ私は気づいた。私に必要なのは、私を恐れず意見できる者なのだ。フォンテーヌブローで私を取り囲んだお前たちは、身を以ってそれを教えてくれた」

「陛下は私をうとんじておられるものとばかり……」

「疎んじたのではない。敢えて言うならば……妬んたのだ」

「妬んだ?」

 ネイは耳を疑った。至尊の冠を戴き、人々の畏敬と憧憬を一身に集める皇帝が、自分を妬んでいたとはどういうことなのか。


 ナポレオンはしばらく何かを考えるように黙り込んでいた。やがて顔を上げると、意を決したように語り始めた。

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