第27話 救世主か、死神か

 屋敷内に残っていた者に声を掛けて回り、どうにかして集めた兵は、それでも100人にも満たない程だった。

 そのうちまともな戦力になるのは3分の2程度であろうか。当初は500人であったことを考えると壊滅的状態と言わざるをえない。

 この人数では、まともな撤退戦を戦うことはできない。かといって、この場に留まっていても全滅は免れないだろう。

 やむをえぬ、後方の味方陣地まで一気に戦場を突っ切るか。覚悟を決めたときだった。


「シュヴァルツェ・シャール!」

 屋敷の外の様子をうかがっていた兵士が叫んだ。力なくうつむいていた兵士らが一斉に顔をあげた。

 ウェステンベルクは、窓際に駆け寄って外を見た。

 風に揺れる麦の穂の、黄金色に煌めくさざ波が流れゆく先に、深黒の軍服を身にまとい、こちらへ疾駆して来る一団があった。

「あれが……」

 その勇名はヨーロッパ全土に轟いていたが、姿を見るのはウェステンベルクにとっても初めてであった。

 黒一色に統一された兵団は、あたかも全体が一つの巨大な生物であるかと見紛みまがうほどに、一糸乱れず整然と進んで来る。

「救世主だ!」

 兵士らは色めき立ち、方々から歓喜の声が沸き上がった。

 中には喜びのあまり屋敷を飛び出し、シュヴァルツェ・シャールに向かって駆け出して行く者までいたが、たちまちフランス軍の射撃を受け、慌てて逃げ帰って来た。

「落ち着け。これでようやく敵とまともに戦えるようになっただけのことだ。気を抜くな」


 浮足立つ兵士らをウェステンベルクがとりなしている間に、シュヴァルツェ・シャールことブラウンシュヴァイク公国軍は、素早くジュミオンクール農場の周辺に陣を確保していった。

 先陣を切って到着していた騎兵隊に続いて、歩兵隊と砲兵隊も戦場に姿を見せ始めている。


 地獄の淵に身を沈める直前を救われたウェステンベルクは、礼を言うべく黒い兵団の中に司令官の姿を探した。

 司令官、すなわちブラウンシュヴァイク公爵フリードリヒ・ヴィルヘルムを探すのに、さほどの時間は要しなかった。

 豊かな頬髯を蓄えた厳めしい顔つき、そして実戦で鍛え上げられた堂々たる体躯は、黒ずくめの一団の中にあっても、ひときわ異彩を放っていた。

 その容貌は、高く掲げられた髑髏の軍旗とあいまって、軍人というより海賊の頭領を思わせた。


 貴族出身の将校の中には、たたき上げの軍人とは異なり、安全な後方で指揮を執るだけで前線には出ない者も多い。自らの手で人命を奪ったことのない者も珍しくなかった。

 そうした者は、どちらかと言うと軍人らしからぬ穏やかな顔をしている。

 その点、この黒公爵の顔つきからは、彼が数々の血塗られた戦場を踏み越えてきたことが窺われた。

 自らの手であの世に送り込んだ者の数も、両手でさえ数え切れぬであろう。


「救世主の降臨か。それとも死神のお迎えか……」

 ウェステンベルクのつぶやきが聞こえた訳ではないだろうが、ヴィルヘルムがちらりとこちらに視線を向けた。

 ウェステンベルクは慌てて啓礼すると、気付かれぬようそっと魔除けのまじないを唱えてからヴィルヘルムに駆け寄り、その足元に片膝をついた。

「窮地をお救いいただき、我らネーデンルラント第5民兵大隊一同、感謝の念に……」

 型通りの謝辞を、ヴィルヘルムの静かな声が遮った。

「礼は要らぬ。この場は我らに任せ、貴官らは後方のオラニエ公と合流されよ」

 その声が思いのほか低い位置から聞こえたことに驚きウェステンベルクが顔を上げると、目の前にヴィルヘルムの顔があった。

 ひざまずく彼に合わせ、ヴィルヘルムも腰を落としていたのだ。

 小国といえど一国の君主が他国の下級士官に見せた心遣いに、ウェステンベルクは心を打たれ、思わずヴィルヘルムの眼を見つめた。

 それ自体、礼を失する行為であったが、ヴィルヘルムは不快がる様子を見せなかった。

 ただ、強面の相貌とは裏腹に、伏し目がちなその瞳には憂愁のかげりが湛えられてるようにウェステンベルクには思えた。


 されど、その翳りの正体を詮索している余裕はない。

 ウェステンベルクは啓礼をすると、足早に部下の元へと駆け戻った。

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