第24話 ジュミオンクール農場

 カトル・ブラの周辺には、ライ麦や小麦の畑が広がり、所々に農場主の屋敷が点在している。農場とはいっても、四方を高い塀に囲われ、外壁には銃眼までをも備えた強固な石造りの建物は、さながら小規模な砦である。

 ウェリントンはフランス軍を迎え撃つにあたり、それらの農場に兵を配置していた。


 中でも、戦場の中央を南北に走るブリュッセル街道沿いに位置するジュミオンクール農場は、最前線の防衛を担う最も重要な拠点であった。

 ここには、ウェステンベルク中佐率いるネーデルラント第5民兵大隊の500人が防衛にあたっていた。


「俺たちの任務は単純明快だ。戦場のど真ん中にあって真っ先に敵の標的になるであろうこの農場を死守すること。以上!」

 投げやりにそう言うと、ウェステンベルク中佐は手にしたビール瓶を口に運んだ。

「ちっ、もうなくなりやがった」

 中佐は空になった瓶を投げ捨てた。

「飲みすぎですよ。これから戦闘だというのに、指揮官がこれでは兵に示しがつきませんよ」

 副官のクラーセン少佐が、足元に転がった瓶を目で追いながら呆れたように言った。

「リーダーってのはどっしり構えてなきゃいかん。俺がうろたえていては兵の士気が下がるだろ?」

 もう下がってますよ、とクラーセンは窓の外を眺めながらつぶやいた。

「死守しろという割には、500人ってのは幾らなんでも少なすぎやしませんかね。敵さんは、ざっと見ただけでもこちらの10倍はいそうだ。おまけにこっちは間に合わせの民兵ときた」

「じきに援軍が来る。それまで持ちこたえろとの殿下のお言葉だ」

 殿下とは、彼らの祖国であるネーデルラント王国の若き王子、オラニエ公ウィレムのことだ。 

「援軍など待たなくても、王子が直接麾下の兵を寄越していただければいいと思いますがね」

 口を慎め、とウェステンベルクはクラーセンを睨み付けたが、奔放な物言いは自分を信頼してくれている証だろう。


「仕方あるまい、殿下もウェリントン元帥の指揮下にあるのだ。自由に兵は動かせん」

 ネーデルラントは、先のウィーン会議で新たに成立したばかりの新興国である。

 一応軍隊を持ってはいるが、まだ十分な軍備を整えていない。独自に部隊を動かす力はないため、イギリス軍などとの混成部隊でこの戦いに臨んでいる。

 それでもウィレムは、この戦いでは第1軍団長としてウェリントンから大幅な指揮権を与えられていた。自由に兵を動かせないとは言えないはずだった。

 しかし23歳の若き王子にとって、これが司令官として初めての本格的な戦闘であるため怖気づいているのだろうなどとは、ウェステンベルクは部下の前で口にする訳にいかなかったのである。


「とにかく生き残れよ。ようやく化け物を地中海の小島に葬り去って、ヨーロッパに平和を取り戻したんだ。復活した亡霊に殺されたんじゃ悲しすぎる」

「もちろんそのつもりですよ。だから中佐も、この戦いが終わってから存分にビールを味わってくださいね」

 新しいビールを開けようとした中佐の手から、クラーセンがさりげなく瓶を奪った。中佐は恨めしそうな視線を向けたが、若い副官の目は窓の外を見ていた。

「ほら、敵さんのお出ましですよ」


 進軍ラッパが高らかに鳴り響き、皇帝万歳ヴィーヴ・ランペルールの喚声とともに、少年鼓手ドラムボーイの叩く太鼓の律動に乗って、紺色の軍装に身を包んだフランス軍兵士が前進を開始した。

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