第14話 ブリュッセル
フランドル地方の古都ブリュッセル。古代ローマの時代から、幾つもの街道が交わる交易の要衝として繁栄してきたこの街は、その重要性ゆえにこれまでに何度もその支配者を変えてきた。
古くはローマ帝国の属領であった。
ローマが衰退するとフランク王国の支配下に入り、その後、貴族支配や自治都市の時代を経て、15世紀にはハプスブルク家の領地となった。
18世紀末にフランス革命が起こると、ブリュッセルはフランス革命軍に占領され、ナポレオンの台頭とともにその支配に服することになった。
そして現在、ようやく締結に至ったウィーン議定書により成立したばかりのネーデルラント連合王国が、この街の支配者になっている。
ブリュッセルに駐留するイギリス軍を統括する、ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー元帥がフランス軍侵攻の第一報を受け取ったのは、その日の夜のことだった。
「フランス軍がシャルルロワに……」
駐留軍の本部となっているホテルの一室で報告を受けたウェリントンは、整った顔をわずかに曇らせた。
「すぐに兵を向かわせましょう」
副官は切迫した様子で、ウェリントンに迫った。
「焦るんじゃない。これは陽動だ」
落ち着きを失っている副官に、ウェリントンは
「偵察からの情報では、フランス軍がドーバー海峡寄りに展開していることを数日前に確認したとのことだ。おそらくナポレオンは、我が軍を内陸におびき寄せたうえで、海側を封鎖するつもりなのだろう。そうすれば我々は退路を断たれ、本国からの補給も途絶えてしまう。それが彼の狙いだ」
ウェリントンがそう考えるのには理由があった。
長く続いた戦乱で、イギリスもまた多くの熟練兵を失っていた。現在大陸に展開するイギリス軍は、兵員こそ多いものの、中身はナポレオンの復位後に慌てて募った新兵が多数を占めている。
十分な訓練を受けていない彼らは、祖国へ戻る途を閉ざされたと知ればパニックに陥り、あっという間に軍は瓦解してしまうであろう。ウェリントンの懸念はそこにあった。
「安易に兵を動かせば相手の策略にはまる。全軍、防御と情報収集に徹するように」
ウェリントンは副官に命ずると、外出の準備を始めた。
「こんな夜遅くにどちらへ?」
「リッチモンド公爵夫人が舞踏会を開いてくださっているのでね。少しばかり出かけてくるよ」
不安そうな副官にウェリントンは軽く微笑んだ。
敵軍がすぐそこまで迫っている状況で、舞踏会を楽しむ余裕などあるはずがない。だが、司令官が動揺すれば、それはすぐに全軍に伝播する。
人の上に立つ者は、危機にある時こそ悠然と構えて見せる必要があるのだ。ウェリントンは長い戦場経験の中でそれを学んでいた。
ヨーロッパ中の希望を背負って立つ眉目秀麗なる英雄は、ことさらに軽い足取りで部屋のドアを開けた。
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