終
回帰 Ⅲ
濃い睫毛に囲まれた双眸は燃え盛る火球の残照を映していてもなお、やがて訪れる夜よりも昏い暗澹を湛えている。採光窓から射し込む光は古び黒ずんだ鮮血にも似た茜色をしているが、女は夕映えを目を細めて感嘆すべき美と見做していなかった。
割られた
丹念に梳られ、香油を塗り込まれた黒髪が、馥郁たる薔薇の芳香を纏った肌は褪せゆく光を艶やかに照り返す。そして空から紅が完全に駆逐されて一刻の後に巻貝の耳が捕らえたのは、愛しい人の訪れの気配に他ならなかった。
「兄上」
硬く節くれだった指に己のか細い、植物の蔓めいたしなやかな指を絡め、はちきれんばかりに盛り上がった胸元に導く。滲み出る液体を啜るべき子を喪った乳房は、乳が止まって三年の月日が経っても元の大きさには戻らず、なよやかな肩に重く圧し掛かる。煩わしい凝りから解放されるのは、寝台に組み伏せられ、揉みしだかれ、頂きを弄ばれている間だけ。
一度も子に咥えさせなかったためなのか。孕んだ痕跡を留めぬ桜桃を貪るのは異母兄であって、悶える肢体から滴るのは白濁した甘い雫ではなく、下腹部からの透明な蜜である。
白い手が撫でまわす胸部と臀部に付いた脂肪を除いては、苗床であったはずの己の身体からすら、子がこの世に存在したという証は消え去ってしまっている。ほとんど産前に戻ってしまった肢体に寂寥や悲哀を覚えぬといえば虚実となろうが、ダーシアにとってはそれだけでも十分だった。
ダーシアの舌はエルゼイアルを呼び、彼が欲する嬌声を紡ぎ、また彼に絡めて悦ばせるために震える肉塊であり、我が子への愛を囁くためのものではなくなった。同様に、かつて揺籃であったはずの胎は、兄が舌と指でもって解きほぐし、貫くための虚ろに還って久しい。
「ねえ、」
熱に浮かされ真白に焼き尽くされた脳裏に過った懇願の文句で強請っても、既に奮い立った肉を己の裡に潜り込ませようとはしない兄の意図は明らかである。
「具合は、変わりないかのか?」
ダーシアが喪ったのは子だけではなかった。大量の血潮を流し尽くし、七日の長きに渡り
保ってあと数年。それが王都一との高名を誇る医師により告げられた、ダーシアの生命の刻限である。兄は迫りくる別離の刻を引き延ばさんとしてくれているが、彼の徒労が徒花となって散ることはダーシア自身が骨身に染みて理解している。
もうすぐ、兄のぬくもりを感じられなくなる。焦がれた黄金の髪と翠緑玉の瞳の輝きに目を細めることも、憧れた白い肌と己の褐色の肌を重ねることも……。だからこそダーシアは、兄の憂慮を取り払うべく豊かな唇をほころばせた。
「兄上がきてくれたから、平気、です」
分かっている。この身体はもう空が白むまでの激しい情交には耐えられない。だけど、少しでも多く、長く兄を感じていたかったから。
「そうか」
労わる愛撫は体の芯を蕩かし、満たされた洞が穿たれるたびに喜悦が全身を駆け巡る。温められた葡萄酒を嚥下したかのごとく燃える皮膚から陶酔の波が引く気配はない。
罰を受けてもなお、禁じられた情交を止められない自分は、きっと神の国には逝けないだろう。罪を犯す機会すら与えられずに奪われてしまった子供には、だから決して出会えない。
だがダーシアはもう子供に永遠に会えなくとも良かった。ダーシアを必要としてくれるのはただ一人で、ダーシアも彼しか要らないから。子供も、こんなに罪深い母親など要らないと思っているのだろう。子供はダーシアが犯した咎によって殺されてしまったのだから。
女は喘ぐ。深い琥珀色の首筋を撫でる吐息のもどかしさに、双の山の頂で佇む柘榴の種子を転がす指先に。
己の胎を貫く異母兄に憎まれていることは分かっている。
我が子を喪ってからは、兄の憎悪に直面することはなかった。彼はいつも優しく――神に背いてはいたが、それ以外の罪は犯していなかった頃に還ってダーシアを思いやってくれた。しかし整った唇は決して愛を囁かなかったから。
嬌声を交えながら、己に赦された最大の幸福を切れ切れに懇願すれば、堪えきれぬ嬌声を漏らす肉厚の花弁はぴたりと封じられ、淡く開いた隙間はこじ開けられ滑らかな肉を射し込まれて。歯列の裏を、口蓋をくすぐる先端は、幾度となく封じ込めてもなお深淵から浮かび上がる情動を拾い上げてはくれなかった。
愛してる。私の兄上。
発することを赦されていない言葉は舌の根にすら乗せられず、互いを求める水音と嗚咽に織り交ぜられて泡沫となって弾けて消えていった。
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