第三章 (2) 画面越しの邂逅
今日は夏季休暇前最後の登校日である。授業は午後二時ごろに終わり、その後は終業式があるだけ。隣の席の生徒に聞いたところ、夏季休暇前の終業式は『特別』らしく、生徒だけでなく教師陣もがこの日を楽しみにしているのだそうだ。
ついつい「変なの……」と思った橘である。真夏の終業式なんて暑いし長いしで、普通嫌すぎるだろ。そう思ったが、ここは聖フランチェスコ学院だ。自分が今まで培ってきた『普通』は通用しない。そう、言うなればここはガラパゴス。独自の文化により築き上げられた陸の孤島なのだ。
なお、終業式とは言っても「体育館に集められて行われるわけではない」ということも、橘はこの時初めて知った。生徒数や空調の関係か、教室に用意されたモニタを通して形式的に行うらしい。
ますます、なにが楽しみなのかさっぱりわからない橘であった。
さて、そしていよいよ謎の終業式が始まった。
各教師陣から夏季休暇の過ごし方や注意事項などの伝達が行われたのち、
『それでは、お待たせしました』
とアナウンスが入る。
途端に教室内がどよめいたが、橘はただただぼんやりと時間つぶしに窓の外を眺めるだけだった。単純に興味がなかったのだ。それよりも、早くこの時間から解放されたいとも思っていた。
『今年も猊下から季節の挨拶を頂戴しております。今しばらくお待ちください』
なるほど、と橘は思った。
猊下――現在の教皇位であるシリキウスのことだ。そういうことなら、この周囲のどよめきも理解できる。
猊下は今年の十二月に二〇歳の誕生日を迎える。教皇位に就いたのは十三歳の頃だそうだ。詳しいことは分からないが、政治的な理由で就任が決定したらしい、ということは当時小学生だった橘もなんとなく知っていた。
猊下の人気が上がったのが、それから約三年後のことである。たしか、飛行機事故の哀悼の声明を表明してからだったと思う。以降、世界中をぽんぽん飛び回る超絶アクティブな教皇へと変貌を遂げ、ワールドニュースを連日賑わせたのは記憶にも新しい。
しばらくして、教室のモニタが画面遷移した。
『あー……テステス。ケファ、音入ってる? これ……』
はっとして、今まで窓の外を眺めていた橘は画面へと目を向けた。決して第一声が間抜けだったからではない。
画面には、白い聖職衣に緋色の肩帯を下げた男が一人映っていた。瞳は炎のような深い赤、髪も桃色がかった少し変わった灰色をしている。そんな彼はマイクの角度を調節しながら、別の場所にいる誰かの名を呼ぶ。
『え? もう放送は始まってる? ……』
そこでようやく既に放送が始まっていることに気づいたらしい。彼は瞬時に聖人を思わせる非常に落ち着いた表情を浮かべ、少し恥ずかしそうに言った。
『お恥ずかしいところをお見せして申し訳ありません。改めまして、聖フランチェスコ学院のみなさん、こんにちは。今年もみなさんの前でお話できる機会をいただけて、とても嬉しく思います。
本日、本州第三区は気温三十度を超える猛暑だそうですね。なるべく短めにお話しようと思いますが、もしも途中で具合が悪くなった場合は、無理をせず近くの先生方へお声がけください』
そう言うと、画面の向こうの男――猊下は、簡単に聖典の一節を取り上げ解説を始めた。
――嘘だろ。
橘は耳を疑った。
その声は、夢に見た男のものとまったく同じものだったからだ。あれだけ頻繁に見ていた夢なのだから、間違いない。間違えようがない。あの声の正体は、まさか。
しかし、何故だ。橘は思う。今までまったく接点がないはずなのに、どうして自分の夢に猊下が出てくるんだ。それが全く理解できない。うんうん唸っているうちに、画面の向こうで猊下は締めの言葉に入っていた。
『それでは、みなさん。素晴らしい夏休みをお過ごしください。お時間いただきありがとうございました。また来年にお会いしましょう』
そして放送はあっけなく終わった。
放送が終わっても、橘はしばらく自席から動くことができず、ただただ呆けるしかできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます