第二章 (8) VantaBlack-3

***


 外に出ると、満点の星が天を覆い尽くしていた。

 エクレシア本部の夜は静かで、明かりも少ない。それでいて山の中に立地しているものだから、こんな空をいつでも眺めることができる。実際不便なことは多いが、この景色だけは三善にとって「本部にいてよかった」と心の底から思える唯一のものだった。


 今の三善になにを言っても無駄だと思ったのだろう。ジェイは先に上層階へと戻っていった。ケファと二人にしてもらった三善は、なんとなく狭い会議室にいるのもどうかと思い、外に出ることを提案したのだった。


 先に三善が、その後ろをケファが続いて歩いていく。

 真冬の夜はとてつもなく寒い。もちろん上着は着ているが、すぐに身体の芯まで冷えていく。むき出しの指先は冷たくて、ぼんやりと『一〇〇九三回目』のを連想させた。


「覚えていたんだね」

 三善がぽつりと呟いた。「『一〇〇九四回目』の時は、そういう素振りを見せなかったのに」


「……初めは、本当に分からなかったんだ」

 ケファがそれに答える。「すぐに『三善が戻ってきた』ことは分かった。だが、細かいことを思い出したのは例の哀悼の声明を発表した後だったから。大体にして、『一〇〇九四回目』のあの時期に俺とヒメはほとんど顔を合わせていなかっただろ」

「それもまあ、そうか」


 あの時はケファを引き止めたことで安心してしまいすっかり油断していた。少し目を離していても大丈夫だと思ったのだ。そもそも余裕がなかったというのも事実だが、それらは全てただの言い訳に過ぎない。


「おれの慢心がいけなかった。ごめんなさい」


 三善はそこまで言うと、ぴたりと足を止める。背後でケファが同様に立ち止まる気配がした。


「――あなたを何度も殺して、ごめんなさい」

「いまさらだ」

 それに対し、ケファは短く答える。「謝られても、もうそれ自体はどうすることもできないだろ。……ああ、違う。そういうことを言いたいんじゃない」


 彼がそういう類の言い淀みをするのは少し珍しいと三善は思った。記憶の中のケファ・ストルメントは、とりわけ感情を表現する言葉に対しては人一番気を遣っていた――唯一の例外はホセである――。おそらく、彼は本当にどう表現すればいいのか分からないのだ。


「もういいよ、ケファ。おれもそういう話がしたくて、あなたを呼んだわけではないから」

「なに?」


 三善はのろのろとケファへ向き直る。ケファの表情からはなにも読み取れない。強いて言うなら、今から三善がなにを言うつもりなのか、必死になって考えているといったところだろうか。


 そんなに難しいことを考える必要などない。三善はふっと力の抜けた笑みを浮かべると、懐に入れていた携帯の電源を落とした。


「あなたの背中を見て確信したことがある。たぶん、おれはその症状を治せると思う」


 ケファが僅かに瞠目したのを、三善は見逃さなかった。

 ほらみろ。

 三善は思う。ケファは何度も自身を犠牲にしてきたが、それは本当に彼の意思だったのか。彼の優しさにつけこんで、周りがそうさせてきただけではないのか。


 もう、いいのだ。もう。そんなことをしなくてもいい。


「それは、」

「ジェイはたぶん、おれがそこまで分かっているとは思っていない。分かっていたとして、おれがその選択肢を選ぶとも思っていないだろう。彼女はまったく想像していないんだ。、なんて、一番忘れてはいけない前提条件を考慮していない。さっきの会話で、それが分かった」


 どうする? と三善は小首を傾げて見せた。ケファはしばらく呆けた様子で三善を見下ろしていたが、ややあって、

「……なにをすればいいんだ」

 と尋ねた。


「簡単なことだよ」


 三善は間髪入れず答え、立ち止まるケファの元へ近づく。

 ケファの聖痕に混ざる細かい模様。あれについては、ホセがくれた『喪神術』の教本に書かれていた。そしてそれの効果については、アマデウスとサリエリが実証してくれている。


 少しだけ背伸びをし、三善はケファへそっと耳打ちする。

 それを聞いたケファは一瞬目を見開き、みるみるうちに顔色が悪くなる。明らかに動揺していた。動揺していたけれど、三善はそれを敢えて無視することにした。


「――ホセと堕ちるところまで堕ちたんだから、おれとだって行けるでしょう?」


 そう言って、三善は微かに笑った。


***


 これは生涯、己と彼との間で抱えていくべき秘密だ。

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