第二章 (7) VantaBlack-2
彼女曰く。
『一〇〇九四回目』の試行が開始されたとき、真っ先に気づいた異変が『十二使徒の面々による三善への感情』だった。最初は気にも留めていなかったが、その微妙な違和感が確信へと変わる瞬間があった。
それは、三善が自ら原稿を執筆した、件の飛行機事故に対する哀悼の声明だった。
どうやら時間遡行する前の三善はとんだポンコツで、たいていの原稿はジョンが書いていた。そもそもろくに教育を受けさせてもらえなかった年端もいかぬ子供にそんなものを書かせるほうが酷なのだが、前回の三善を知っているジェイからすると、どうしてもそう思わざるを得なかった。
それはさておき、その哀悼の声明はジョンが書いた今までの声明文とは明らかに異なる点があった。
実はあのとき、三善は声明文を「各国の言葉に翻訳して」発表したのである。
『一〇〇九三回目』の三善はいつもそうしていたので、本人はまったく意識していなかったし、その姿に見慣れていたジェイもなにも不思議に思っていなかった。だが、『一〇〇九四回目』の三善の行動としては到底考えられないものだった。
「え、それって当然じゃないの」
「違うよ。テオドールですらそんなことはしなかったよ。聞く側にもそれなりの負担がかかるから、ひとつの声明を発表するのにそう何時間もかけない」
大体にして、とジェイは言う。「なんで本部が『バベル』って揶揄されるか、考えてもみなよ。別に建物が妙にでかいからではないよ。色んな国の人が集まっているが故に、それぞれの本国の言葉では会話が成立しないからじゃないか……」
もちろん周囲は驚き、ワールドニュースにもなったほどのインパクトがあったのは確かだ。
だが、これをきっかけに気になる出来事が起こったのである。ある特定の人物が、その声明を見たのちこんなことを言っていたのだそうだ。
「ボクのところに相談に来たのはホセ君とアンディだけれど、ホセ君はシスター・アメから声をかけられたと言っていたね」
「えっ?」
「あの姫良三善が帰ってきたのか――って」
どうしてそんなことを言い始めたのか、尋ねた本人もよく分からないらしい。ただそう思ったから、知っていそうな人に声をかけたと。概ねそういうことを言っていたそうだ。
「これはなんだか妙だと思ってね。よくよく調べてみたら、どうも彼らにはあの時ミヨシ君が打った『楔』が残っているようだ。それが原因で『一〇〇九三回目』のヒメラミヨシの記憶がミヨシ君の時間遡行の際に上書きされたらしい。それでケファくんを捕まえて話を聞いたら、彼もまた例外ではなかったことが判明した。同時に、かなり困った状態になっていることも分かった」
「……おれがブラザー・カナに『楔』を打ったからか」
「その通り」
あの日三善が『楔』を打ったのは以下の人員である。
ホセ・カークランド。
ジョン・アーヴィング。
アンデレ・イーストマン。
ヨハン・シャルベル――実質ケファ・ストルメントと言って差し支えないだろう――。
カナ・アイスラー。
土岐野雨。
羽丘リーナ。
土岐野橘。
「ちゃんと確認はできていないけれど、ブラザー・カナがもまた『一〇〇九三回目』の記憶を持ち越したと考えてよいだろう。その証拠に、」
ちらりとジェイはケファへ目を向けた。ケファは少し気まずそうに、小さく首を縦に動かす。
「――『一〇〇九四回目』で俺を殺したのは、ブラザー・カナだ」
三善は言葉を失った。
「つまりだ。この『楔』を持った人物が存在している状況下では、ケファ・ストルメントは死に至ることがほぼ確定するらしい。死因に一貫性はないけれど、あれね、よくよく突き詰めるとすべて旧体制側の人間が絡んでいる。そもそも彼らからしてみれば、ケファ君は相当邪魔な存在だよね」
ジェイは言う。「君たちはもともと『契約の箱』の適合者っていう、非常に稀なつながりがある。こう言っては悪いけれど、互いが互いのスペアと言っても過言ではない。一方で、旧体制側はジェームズ君を大司教に擁立したい訳だろ。少なくとも君たちふたりが何らかの理由で釈義を喪失することにならないとお鉢が回らない訳だ」
この状況で、たまたまケファがリバウンドを引き起こした。旧体制側がこの状況に目をつけないはずがない。
以前三善が『喪失者』認定までの流れについて話したことがあったが、わざと彼が釈義を喪失したと判定すれば大司教争いの席は一つ空く。そして同時に、当時弱い立場にあった姫良三善に対する強固なガードが崩れることを意味する。
「ケファ君がたびたび死に直面するのはそういう理由だ。『契約の箱』の適合者が同時にふたりも存在するからいけない。君たち二人が同時に存在するからそうならざるを得ないという、ただそれだけの理由。ならば、彼らが手を下す前にこちらから切るしかないでしょ」
だからジェイは行動に出た。もともとケファの治療を担当することになったのはホセが彼女を頼ったからだが、これはどう考えても天啓としか思えない。一度しかない好機を利用しない訳がなかった。
そして彼女は、ケファ本人にこれらの話を伝えたうえで、このように提案した。
――悪いけど、キミ、死んだことにしてよ。
案の定、ケファはそれに同意した。このままでは三善が精神的におかしくなる、と彼の弱点をついてみたところ、『一〇〇九三回目』の記憶が残っていたせいだろう。ケファはその提案をすんなり受け入れた。
「ここまでのくだりは『一〇〇九二回』および『一〇〇九三回目』と大筋がほぼ同じ。だから大丈夫。そう思ったのに、『一〇〇九三回目』にて一部の人物に『楔』が打たれたことで結果が変わってしまった。以前の二回では、ボクの能力を使って『喪失者』を模擬できた。しかし、なぜか『一〇〇九四回目』以降はそれができなかった」
だから、とジェイは言う。「『一〇〇九三回目』で見ただろう。一度『喪失者』認定されたケファ君がトマスの釈義を展開できたのは、何年か経ったのちに、ボクが釈義に用いる細胞を元に戻したからだ。でも、今はそうじゃない。……たぶん、元に戻すことはできないだろうと思うよ。だから彼の能力を奪ったのはボク。それが真相」
三善はしばし口を閉ざし、足元にじっと目を向けなにかを思案していた。
じっくりと今の話を反芻し、分解し、再度組み立て、整理していく。自分でも驚くほどに冷静だった。何パターンもこの繰り返しを目の当たりにしたせいだろうか、サンプルは嫌と言うほど頭の中に存在している。何か抜け道はないか。そう考えた時、ふと思考の片隅に浮かび上がるものがあった。
「……うん、そうか」
暫しの後、三善は納得したように頷いた。「今の話は、たぶん、おれにとっては朗報と考えたほうがいいのだろうな」
例の『楔』が一部の人間に残っているということは、『彼』――土岐野橘にもそれが当てはまる可能性が高い。今は完全に思い出せなくとも、土岐野雨のようにきっかけがあれば少しは思い出してくれるかもしれない。
一方で、それは残酷な結果を生むということも分かっている。土岐野橘の目の前で何が起こったか、三善は決して忘れることなどない。
そこまで考えて、自分の考えに少し嫌気が差した。ケファの命と他のことを天秤にかけていることに対し、最低最悪だと自身を胸の内でこれでもかと罵る。
「ミヨシ君。この状況でも、君はケファ・ストルメントを諦める気はないのかい」
「ないよ」
三善は即答した。「諦めない」
「キミが手を離さないと、痛い思いをするのはケファ君だよ」
ずるい。
そうやって彼女は自分の思い通りに事を進めようとするのだ。優しくなだめたところで、己は「はいそうですか」と諦められるような男ではない。
三善は思う。
執念深さだけは誰にも負けない。伊達に己は未来から無理して戻ってきた訳ではないのだ。
「ケファ」
そして三善は眼前に佇む、今から死へ向かおうとする男の名前を呼んだ。「ふたりで話をしたい。構わないだろうか」
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