第二章 (6) VantaBlack-1

 胸の奥が、ぐっと冷えた気がした。

 三善は口を閉ざしたままジェイをきつく睨みつける。言いたいことが山ほどあったが、不思議とそれらが口を突いて出ることはなかった。


 ただひとつ確信したことがある。

 おそらくこれが、ケファが死に至る根本的な原因なのだ。今まで三善が何十回も挑んだ事象の、ずっとずっと前に問題があった。つまり、己の判断に誤りがあったということ。そして、誤りに気づかない自分にも強い苛立ちを覚えた。


「ミヨシ君。どうしてボクがそうしたか、推理できるかい」


 ジェイが優しく諭すような口調で言うものだから、三善は思わずその頬をぶん殴りたくなった。ぶん殴りたくなったが、……まだ殴るには早いかと思い我慢する。冷静になれと、心の中で自身をねじ伏せた。


「……、ひとつ情報が足りない」

 三善は言った。「ケファ。背中を見せてほしい。それを見たら分かる」


 ケファは一瞬ためらった表情を見せ、それからジェイへ目くばせする。その視線に気づいた彼女は、ややあって肩を竦めた。


「いいよ。見たところで猊下にはなにもできないだろうし」


 そこまで言われては仕方ない、と言わんばかりに、諦めのついた表情でケファは己の聖職衣に手をかけた。下に着ていたシャツのボタンを外し、三善へ背を向ける。


 三善は瞠目した。

 たぶん、もとはただのリバウンドだったのだろう。だが、今の状況は間違いなくではない。背中に浮かび上がるのは、赤い聖痕。ただし、その大きさが通常の比ではない。まるで背中一面をカンバスにしたような、巨大な十字がその背に浮かび上がっていた。そしてその十字を中心に、


 通常のリバウンドであればこういう反応は起こさない。だが、三善にはひとつ心当たりがあった。以前、ホセがについてお手製の教本をくれたとき。たしかその中にこういう模様について言及した章があったと記憶している。


 この模様が現れた場合――


「これでなにが言いたいか分かるかい」

 ジェイの声を無視し、三善はケファの背中に近づいた。間近でその模様のようなものをじっと眺め、それから思案する。


「……、ああ」

 ややあって、三善はぽつりと呟いた。「これは確かに……、うん。ジェイの判断はあながち間違いじゃないな……」


 ジェイはひとつ縦に首を動かした。三善はケファにシャツを着るよう促し、ひとつの結論を出した。


「もう、んだろ」


 そう、とジェイは肯定する。

「もっと聞かせて」


「今のケファの身に起こっていることはふたつ。ひとつは、釈義のリバウンド。見たところ、二か月から三か月前に発症したものと推測する。ふたつめは、正直見たことがないけれど……たぶんジェイならできるんじゃないか」

「何を?」


「『釈義』のメカニズムを把握しているジェイなら、『人工的に釈義をつくる』ことの逆――『釈義』を意図的に止めることができるんじゃないかと、そう思う。あなたの言う『能力を奪った』とはこの部分だろう。具体的には」


 結論から言うと、三善の予想は外れていた。

 てっきり、ケファはすでに『喪神術』により釈義が失われたのだと思った。それ以外に意図してそういう効果を得られるものなどない、とも思っていた。そう思い込んでいた。


 だが、冷静に考えるとジェイならばできるはずなのだ。ジェイ――否、“暴食Gula”の能力を考えれば。


、『喪失者』と同等の状態を再現させているのではないか」


「その根拠は?」

「ケファ、」

 三善は突然ケファを見上げ、それから尋ねた。「『我々がどこから来て、何者で、そしてどこへ行くのか』」


 ケファは一瞬虚を突かれたような表情を浮かべ、ややあって答えた。


「――『少なくとも、俺は自分の存在に対してのこだわりを捨てることにした』」


 三善は首を縦に動かし、ジェイへ向き直る。

「これが答えです。ケファと、おれと、あなたがただけが証明できる答えだ」


 その問いは『一〇〇九三回目』にケファ自身が答えたものだ。以降長々と続く試行回数の中、この問いかけをしたのは『一〇〇九三回目』のみだと三善は記憶していた。それぞれの試行結果を把握する“七つの大罪”であれば、この回答だけで説明は足りるはずである。


「ここにいるケファは、『一〇〇九三回目』以降何が起こったかを覚えていると推測する。それより前のことはたぶん覚えていないと思うけれど……」

「うん、大体合っているよ。その理由に心当たりはある?」

「これも、たぶんおれのせいだな。ちょっと予想外だけれど」

 三善はうーんと微妙な顔をし、「あの時打った『楔』が残っているのだろう」

 例の『一〇〇九三回目』の試行の際、三善は箱館の塩化を止めるために『楔』を打った十二使徒を派遣していた。あのときの『楔』はもともと三善の釈義を分散させるために打ったものだが、その後能力を使う前に『終末の日』が訪れたために使用することはなかった。


 というよりも、あの時すでに三善は重大な勘違いをしたのではないか。


 あの日、三善が認識できる範囲で確認できた人物は土岐野橘のみ。その他の人物は三善の元から離れた場所におり、目視では生死を確認できていない。だが、あの時の三善ならできたはずなのだ。


 三善の『釈義』を経由し、『楔』の干渉をすること。そうしていれば、生死判定は行えずとも『楔』が壊れたかどうかくらいは判定できたはずだった。


「その通りだよ、猊下」

 ジェイは言った。「あれ以降の試行において一番のバタフライ効果を生んだ出来事は『それ』なんだ」

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