第二章 (5) 合意あっての黒幕
時刻は二一時。エクレシア本部・科学研エリア地下一階。
このエリアは権限の都合上、ごく限られた人物しか使用することが出来ない。エリアの入り口にケファ曰く「田んぼの田の字に似たマーク」が書かれており、三善自身この場所に足を踏み入れるのは初めてだった。
その中でも最奥にある小部屋の中、三善は縦長のロッカー内に小さな体を押し込んでいた。これほどまでに「身体が小さくてよかった」と思うことはなかったろう。もとの二十二歳の身体だったら、みっちり、もいいところである。
あの後三善は帯刀・慶馬の二名と共に本部へ移動していた。もう少しのんびりしたい気持ちもない訳ではなかったが、そんなことを言っている場合ではない。今回を逃したら、次に帯刀と行動を共にできる日がいつ来るか分からない。確実に、そして最速で行動できるのは今しかなかった。
本部へと戻った三善は、さっそく帯刀の力を借りながらここ数日の科学研エリアのカードキー使用状況を探った。すると、例の『契約の箱』譲渡以降、おおよそ今くらいの時間にジェイとケファがこの部屋を訪れていることが分かった。
――てっきりホセと一緒にいると思ったんだけど。
三善がそう呟くと、帯刀は僅かに苦笑したものの、それについては何も言及しなかった。
そんな訳で、三善は密偵よろしく彼らを待ち伏せすることにしたのであった。
帯刀にも会話の内容が分かるよう、懐には通話状態のままにした携帯電話を忍ばせてある。帯刀自身は、慶馬とともに北極星の三善私室で待機していた。
ロッカー内の酸素が減り、少し息苦しさを感じてきたところで、静かに部屋の扉が開いた。続いて、足音が二人分。
「それでね、ケファ君」
ジェイの声である。「キミがここにいられるのもあとわずかだ。その前にできることはやっておこうね。キミのその背中の状態だと、移動中の一二時間ちょっとですら辛いだろうから」
「よろしくお願いします」
続いて、少々困惑した声色でケファが口を開く。
三善はロッカーのわずかに開いた隙間から外の様子を伺った。
彼らは小部屋の中央に置かれた机の上に、何かをガチャガチャと並べている。その『何か』の正体はよく見えなかったが、音からして厚みのあるガラスの瓶だと三善は思った。
「これが解熱鎮痛剤。こっちが、いつもの聖水。使い方は大丈夫だよね。機内には持ち込めないから、出かける前までに使い切ること。こっちが移動中に使う貼り薬。念のためボクで実験したから大丈夫だとは思うけど……何かおかしいと思ったら使用を中止してください」
「ボクで、って。まさか」
「キミのために身体を張って開発しました。褒めてくれて構わないよ」
それって本当に大丈夫なんだろうか……というケファのぼやきは無視し、ジェイはそれ以外にも何種類かの薬品を机の上に並べ、簡単に使い方の説明をしている。
正直あり得ない量だということは、さすがの三善でも理解できた。それほどまでにケファの症状はひどいのだろうか。三善はきゅっと目を細め、脳裏でケファの残像を思い返す。今まで平気そうにしていたけれど、やはりそれは彼なりの配慮だったのだろう。
「悪いな。こんなに用意してもらって」
「いいよ、別に」
申し訳なさそうにするケファの言葉に、間髪入れずジェイは答えた。「これは猊下のためだからね。今キミは正直生きていても困る存在だけれど、同時に死なれても困る存在だ。ギリギリのところで生かしてあげる。元々そういう話だったろう」
心臓が跳ねた。
どうしてここで自分の名前が出るのだ。今までのジェイだったらそんなことは言わないはずだ。否、「いいよ、別に。乗り掛かった舟だ」くらいは言うかもしれないが。今のは明らかに核心を突いた発言だった。
どういうことだ。
瞠目した三善をよそに、話は進んでいく。
ケファは一瞬言葉を詰まらせたが、
「俺が三善といたらどうなる。その先は」
といつもの口調で吐き捨てるように言った。「……三善はどうなる」
――待て。
三善は胸の内で叫ぶ。
「壊れるよ」
ジェイが淡々と答えた。「キミのせいで、猊下は壊れる。心がじわじわと殺されていく。君たちは、決して出会ってはいけなかったんだ。断言できる」
――待て。一体なんの話をしているんだ。
まだこの時、三善はケファに対し己の事情は一切説明をしていない。ホセにもだ。何度となくやり直しをした関係で、「あの日ファミリーレストランで語ったこと」はなかった出来事して扱われているはずだ。今までのやり直し期間での会話から察するに、ケファが『時間遡行』に気づいていることは確かだ。
――だが。だが、しかし。
三善は思う。
――これは、聞いてはいけないことなのではないか。
ゆき君、と胸の内で何度も叫んだ。泣いて泣いて縋りつきたい気持ちに駆られた。
「それは、俺が三善から離れたら済む話か」
「いいや。しかしながら、一緒にい続けるよりは幾分マシだろうね」
ボクはそう思うよ、と彼女は肩を竦める。ケファは乾いた笑いを浮かべたのち、ぽつりと呟いた。
「そのためにあいつも騙したのか。あんた、大した演技力だな。女優になれる」
「ハリウッドに出られるかな。ま、向いていないと思うけど」
嗚咽しそうになるのを三善は懸命に堪えた。だが、その微かな息遣いがジェイの耳に聞こえてしまったらしい。彼女はふとロッカーの方へ目を向け、「おや」と呟いた。
「そこに誰かいるね」
三善の身体からさっと血の気が引くのが分かった。どうしよう、と一瞬思うが、完全に退路が立たれている以上どうしようもない。今できることは、腹を括ること。それだけだ。
ジェイが早足でロッカーへ近づき、勢いよく扉を開けた。
“暴食”のまなざしに、三善は喰われた。蛇に睨まれた蛙とはまさにこのことを言うのだろう。ぴたりと身体を硬直させたまま、身動きが取れないでいる。
「……猊下。なんでこんなところに」
ジェイの言葉に、背後でケファが息を飲んだ。
「ヒメ?」
三善はのろのろと立ち上がり、ロッカーから出た。酸素が足りず随分苦しい思いをしていたので、その場で軽く深呼吸を三回。そうすると、頭の中が随分とクリアになった。
「――今の話、どういうこと?」
子供の姿からは想像もできない冷たい声色で言葉を吐き捨てた。
ケファが何かを言おうと口を開いたが、それをジェイが制する。
「ボクが話すよ。たぶん、今の猊下ならそっちのほうが納得できるだろうし」
まあもっとも、と彼女は呆れたような口調で言う。「この場にキミが現れたということは、そもそも勘付いているってことだろうけど」
そして彼女ははっきりと言うのだ。
三善が想像し、そして「そうでなければいい」と思っていたことを、淡々とした口調で。
「ケファ君の能力を奪ったのは、このボクだ。猊下」
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