第一章 (8) 暗転

 帯刀は三善にいくつかのことについて質問をし――おそらく、自分の記憶とすり合わせをしたのだろう――、反対に三善は今回の状況について質問をした。それにより新しく分かったことがあった。


 前回、慶馬は“憤怒”の太刀により腕を溶かされ、その治療のために渡米していた。だが、今回はそんな出来事は発生していないという。今帯刀は慶馬と共にアメリカにいるが、それはただの『身内のお使い』だそうで、夜が明けたら帰国する予定だったらしい。


 土岐野橘については、結論から言うと『存在する』ことには違いない。だが、今回は土岐野雨の『弟』という立場ではないらしい。


「ああ、雨ちゃんもたしかに弟はいないと言っていた。別の人になっているということ?」

『近からず遠からずという感じだな。みよちゃん、君はちょっと詰めが甘いよ。それは俺もだけれど』

「どういうこと?」

『そもそも君は疑問に思わなかったのか。なぜ土岐野橘が、姫良三善の対となる『パンドラの匣』の所有者だったのか』


 そんなことはまったく考えたこともなかった。要するに『パンドラの匣』は釈義なので、それこそ偶然の産物だろうと踏んでいたのだ。

 ふん……? と三善が小さく首をかしげたのを、電話の向こうで察したらしい。帯刀は淡々とした口調で続ける。


『結論から言うと、血筋だな』

「血筋?」

『みよちゃんと土岐野橘は親戚関係にある。今回に限った話ではなく、どうやら前回もそうだったらしい』


 微妙な沈黙が流れた。


「……どういうことだ、それは。よく分からない」

『ええと、『白髪の聖女』には妹が二人いたんだ。そのうちの一人が土岐野――否、旧姓・姫良真昼まひるという』


 聞いたことはあるか、と尋ねられたので、三善は首を横に振る。先ほどジェイがその名を口にしていた覚えはあるが、正直な話あれだけの内容では「自分の血縁者か」とは思えど橘とも関係があると察することはできない。


『彼女の息子が土岐野橘だ。よって、みよちゃんと橘君は従兄弟にあたる。シスター・アメも彼女の子だが、なぜか彼女だけ養子に出されている』


 つまり橘だけでなく、雨ともそれなりに近い親戚ということではないか。なんたる新事実。三善は思わずくらりと眩暈がしてしまった。


「ええ……いきなりそんなことを言われても困るんですけど……。つーか、ゆき君。その口ぶりだと、前回の時点で知っていたんだろ」

『まあ、うん。あの時は必要ないかと思っていたから。それに、君たちはあまり似ていないから誰も分からんだろうと』


 対面している訳ではないのだが、電話口の向こうで帯刀が気まずそうに目を泳がせている様が容易に想像できた。三善はぐぬぬと思いながらも、話が進まないので一旦は追及しないでおくことにする。


『今回は姫良真昼が生存しており、橘君はそちらで暮らしている。だからこそ、今の俺たちでは容易に手が出せない』

「む、それは適当な理由を作って説得でもすればいいんじゃあ……」

『みよちゃん、あのね。子供っていうものは女の人だけじゃあできないんだよ。一番のネックは橘君の父親だ』

 これは俺も気づかなくて申し訳なかったのだけれど、と帯刀は続ける。『みよちゃん、前回は科学研にいたんだろ。教皇庁立科学アカデミーは知っているよな』


 それは当然三善も知っていた。教皇庁立科学アカデミーとはその名の通り教皇庁が運営している学術団体のことで、前回の三善も箱館支部長就任前までは会員だった。このアカデミーでは主に生命倫理や認識論を取り扱うことが多かったため、A-P部門としては参加せざるをえなかったというのが本音である。


『今回は会員の中に土岐野貞臣さだおみというバイオエシックスの研究者がいる。彼が橘君の父親にあたるわけだが、彼は所謂『A-P』否定派だ』

「む……」

『現在のみよちゃんはA-Pの存在を一部許容しているだろ。この状態で橘君をどうこうできるとは到底思えない』


 それはその通りだった。それを抜きにしても、現状なにも起きていないこの状況で橘の引き渡しを要求するなどできるはずがない。

 この時代では、橘はまだ小学生のはずである。無暗に親元を離す訳にはいかないし、なにより本人にどう説明したらいいのだろう。前回――高校生の橘に説明するのにも随分と苦心した覚えのある三善である。総じて考えると、タイミングは今ではないということだ。


『そういう訳で、対応は検討したほうがいいと思う。少なくとも、今すぐはやめたほうがいい』

「納得した。情報ありがとう」


 帯刀がここまで調べているということは、おそらく彼も先手を打つべく動いていたのだろう。内心感謝しつつ、三善は思わずふっと頬を緩ませた。


「焦らず確実に動くべきだね」

『うん。みよちゃんはここぞというときにせっかちになるから、余計に意識しておいたほうがいい』


 そう言われるとなにも言い返せない三善である。

 ところで、と帯刀は口を開く。


『ブラザー・ケファはどうしている? 急に渡独を取りやめたと聞いたけれど』

「ああ。事情を話して飛行機に乗らないようにしたんだ。それがどうした」


『いや、ちょっと』

 気になることがあって、と帯刀は続ける。『例の飛行機事故の乗客リストを見ていたんだが、ブラザーの他にも急遽搭乗をキャンセルをした聖職者が二人いてさ。一人はヨハン・シャルベルという侍祭、もう一人が――』


「うん?」


 そのとき、突如猛烈な勢いで部屋の戸が叩かれた。驚いた三善は思わず飛び上がり、変な悲鳴を上げてしまった。


『どうした?』

「お客さんみたい。ごめん、このまま待っていてくれる?」


 そう言いながら三善は自室の戸を開けた。


 扉の向こうにいたのはジョンだった。彼にしては珍しく、随分と慌てた様子でいる。顔色も悪く、これほどまでに青ざめた表情を三善は未だかつて見たことがなかった。


「ブラザー・ジョン? 一体どうしたんです」

「ミヨシ。……いいか、落ち着いて聞いてくれ」


 猊下ともチビわんことも呼ばないその状況に、三善はどきりとした。

 そのフレーズは、なんだか聞いてはいけないような気がした。とてつもなく嫌な予感がする。ばくばくと心臓が跳ねあがり、ジョンの言葉をかき消していく。


「――ブラザー・ケファが」


 死んだ、と。

 携帯電話の向こうから帯刀の声が聞こえるが、もう何を言っているか分からない。ずっとずっと遠くのほうで、ぼんやりと霞んでいくのが分かる。


 刹那、三善の思考の一切が停止した。

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