第一章 (7) 探索、そして情報収集
そのままベッドの上で暫しぐったりとしていた三善は、ふと思い立ったように上体を起こした。
ここしばらく公務に追われていたため、確認したいと思っていたことにこれっぽっちも手をつけられていない。せっかく少し手が空いたのだから今のうちに動いておこう。そう思ったのだった。
まず手始めに、自分の部屋の状態確認だ。今までの『姫良三善』は周りの反応からして随分とポンコツだったらしい。この場所に手掛かりになりそうなものはないと思うけれど、実は意外なものが隠されているかもしれない。自分のことは一番よく分かっている。ポンコツだが妙な引きが強い。それが姫良三善だ。
ゆっくりと目線を動かすと、三善にとって見知った光景が広がっている。
そもそも、当時の自分は私物をほとんど持っていなかった。
今腰掛けている簡素なベッドと、小さなデスク、クローゼット。以上。
強いて言うなら、デスクにはひとつだけ引き出しがあり、その中には僅かな収入が振り込まれた通帳が入っているくらいだ。そしてその通帳も後見人であるホセが管理しているので、自由気ままに使えるものではない。
ふむ、と三善は首をひねりつつ、デスクの引き出しを開けた。
記憶の通り、通帳が一冊入っている。引き出しの奥に手を突っ込み掻きまわすと、携帯電話が一台転がり出た。既に型落ちし、それほど機能も多く持ち合わせていないことが見た目からして分かるシンプルな造形。
「……あ」
これは間違いなく帯刀雪への
三善は時計に目を向ける。今から電話をかけると、向こうは明け方くらいか。さすがに迷惑だろうかと思ったが、この際気は遣わないことにした。なにせ相手はあの帯刀雪である。変な時間に電話しても彼ならきっと許してくれるはずだ。
三善は念のため自室の扉に錠を落とし、電話帳に一件だけ入っている電話番号を選択した。
コールが数回。ややあって、衣擦れのような音と共に掠れた声が聞こえてくる。
『……Do you know what time it is?』
「あ、ごめん。やっぱり寝ていたよね」
それだけ言うと、電話の向こうではっと息を飲む音がした。
『みよちゃ……、違った。猊下?』
「言い直さなくてもいいよ。こちらの都合でかけてしまったから、その。ごめんなさい」
いいよ別に、と、声の主――帯刀雪は言う。ようやく目を覚ましたようだ。先ほどの半分寝ぼけた声から一転、いつもの淡々とした声色へと変化する。
『どうしたの……と言いたいところだけど、理由は分かっている。おかえり、みよちゃん。ここまで戻るのは大変だったろう。少しは休めているだろうか』
その言葉に、三善は思わず瞠目する。彼に対してはまだなにも言っていないし説明もしていない。もしかしたら例によって様子がおかしい姫良三善の噂を耳にしただけなのかもしれないが、それにしてはこの発言はピンポイントすぎる。
言葉を失う三善に、帯刀はぽつぽつと言葉を紡ぎ出す。
『ええと。信じてくれなくても構わないんだが、その。なんと言ったらいいのか……』
「……つまり、覚えている、と?」
ああ、と帯刀は肯定した。
『理由は分からないが、覚えている……のだと思う』
帯刀にしては随分とはっきりしない言い方だった。三善がおやと思っていると、帯刀はのろのろとした口調で尋ねた。
『みよちゃん、やはりあれは現実だったのだろうか。夢まぼろしではなく』
「うん」
『箱館が塩化したことも』
「うん」
『数えきれない人が死亡したことも』
「うん」
『『パンドラの箱』のことすらも』
「うん」
『全部、全部か……?』
「――うん。あの時間軸では、現実だった」
そうか、と帯刀は力なく呟き、それからじっと口を閉ざしてしまった。
ようやく三善は理解した。おそらく、帯刀は前回のことを把握している。ほぼ正確に、だ。だが、そんな己の記憶を信じられないでいるのだ。手元には証拠が一切残っていない。あるのは凄惨な記憶のみ。帯刀の脳内データベースにそんな不気味なものがこびりついていたら、さすがの彼も動揺するだろう。
そして思う。あれだけは他の誰の記憶にも留めておいてほしくなかった。自分一人で抱えていればいいと思っていたのに。
この身体は決して知らないはずなのに、忘れられない塩のざらついた感触。それが頬を撫ぜたときの冷たさなど、自分だけが知っていればよいのだ。
そんなことを考えていると、ようやく帯刀が口を開いた。
『……、だとすると、おそらく原因はアレだな。みよちゃん、このまま少し話してもいいか』
「構わないよ。おれだって、君と話したくて電話したんだ」
それもそうか、と帯刀は微かに笑い声を上げる。
こうして話していると、まるでなにも知らなかった頃の日常に戻ったような気持ちになる。時間遡行以降、三善は基本的に仕事をしているか部屋に閉じこもるかのどちらかしかしていない。あれだけ必死になって生かしたケファですらろくに会っていないのだ。ただの雑談すら久しぶり。これほどまでに嬉しいことがあるだろうか。
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