第一章 (4) 陥落

 翌朝。

 三人を乗せた車がエクレシア本部に戻ると、ジョンが出迎えてくれた。


 ――否、『出迎えてくれた』というのは些か語弊があるかもしれない。ジョンからすれば様子のおかしい三善を捕まえに来たというのが本音のようだ。その証拠に、彼は駐車場に停めた車の窓を小さくノックしながら微かに頬を引きつらせている。彼がこんな表情を浮かべているときは、たいていお叱りモードに頭が切り替わっているのだ。


 ホセが自席側の窓を開けると、そっと顔を覗かせる。


「ブラザー・ジョン。猊下のお迎えですか」

「ああ」


 ジョンは鷹を連想させる鋭いまなざしをホセへと向け、ややあって後部座席へと目線を移した。


「なんだか妙なことになっているな。俄かに信じられないが……」


 そして彼はぽつりと呟く。ホセは一瞬面食らった表情を浮かべ、その発言の真意を問おうと口を開いた。だが、ジョンはすぐにそれを遮った。


「いい、いい。本人から直接聞く。回収させてもらうが、それでいいか」

「ええ」

 しかし、とホセは言葉を濁す。「猊下、どうもお疲れのご様子で。車内で眠ったきりんです。それでもよければどうぞ」


 そう。ホセが困惑した素振りを見せた原因のひとつがだった。


 集合時間になっても三善が姿を現さないものだから、ホセとケファが心配して部屋を訪れたところ、三善は死んだように眠っていた。あれこれ手段を尽くした結果、なんとかホテルをチェックアウトする時だけ目を覚ましてくれた。だが、彼は車に乗り込んだ途端に再び眠りについてしまったのである。三善はよほど信頼した人物の近くでなければ眠ろうとしないはず。今回はケファが近くにいるから安心して眠れているのだろうが、ここまで熟睡することなど未だかつてなかったのだ。


 まるで薬か何かを飲んだ時のように、本人の意志とは無関係に眠らされているようにも見えた。


 それに対しジョンは表情一つ変えず、

「別にいいよ。大したことじゃない」

 とそっけなく言葉を吐き捨てる。


 後部座席を開けると、確かに三善はぐっすりと眠っていた。隣に座るケファの肩にもたれかかったままピクリとも動かない。死体を連想させる寝姿に、ジョンは微かに眉間に皺を寄せた。


「……、ドクター。悪いが、猊下を降ろすのを手伝ってくれるか」


 ジョンの呼びかけに、ケファは短く頷く。


「分かりました」


***


 三善が目を覚ますと、白い天井がこちらを見下ろしていた。勝手知ったる自室の光景である。簡素なベッドにその身体を横たえ、外気により心なしか頬が冷えていた。彼はその赤い瞳をぼんやりと宙に向け、今まで何をしていたのか順番に思い起こし始める。


 ――一瞬目を覚ました気がするが、おそらく昨夜から今まで眠りっぱなしだったのだろう。見かねたホセ、もしくはケファあたりがここまで運んでくれたと考えてよさそうだ。


 右手を伸ばし、目覚まし時計を手に取る。画面に映し出された時刻を元にトータルの睡眠時間を計算すると、

「十一時間、ね」

 見事なまでに計算通りだった。


 ひとまずはこれで『時間遡行』を行った分の対価は支払い終えたと考えてよいだろう。

 ゆっくりと身体を起こし背筋を伸ばしたそのとき、静かに部屋の戸を開ける音がした。


「よう、チビわんこ。おかえり」


 ジョンだった。

 初めて会ったときと同じように、彼は未だベッドに居座る三善をじっとりと見下ろしている。


「ああ、お久し――」

 そこまで言いかけて、三善は首を横に振った。「違った。ブラザー、ただいま帰りました。ケファは?」

「ドクターなら少し席を外している」


 そうですか、と三善は左手で首筋を掻きつつ目を伏せる。なんとなくだが、ジョンの機嫌があまりよくないように感じたのだ。昨日からの自分の立ち振る舞いを思い返し、「これは叱られるような気がする」と思い直した三善は、申し訳なさそうな声色でジョンに問いかけた。


「少しゆっくりしすぎました。ブラザー、今日のわたくしの予定はなんでしたか。すみません、物覚えが悪く……」


 ジョンは無言だった。

 代わりに彼はつかつかと早足で三善の元まで近づくと、まだ寝起きでぼんやりしている三善の胸倉を掴む。

 三善は驚きもせず、ただその淀んだ眼をジョンへと向けた。


「もう一度問う。お前は、誰だ」

 ジョンが厳しい口調で問い質す。「お前は俺の知る猊下じゃない」


「姫良三善」

 それに対し、三善ははっきりとした口調で答えた。「教皇名シリキウス。それ以外の答えはありませんよ」


「本当だな」

「私はあなたに信じろと言うつもりもありませんが……ああ、そうだな、」

 三善は困ったように肩を竦めつつ、それからぽつりと呟いた。「あなたを理詰めで説得するのは難しそうだ。ちょっとずるい手を使います」


 は、とジョンが顔を歪めた刹那、三善は口元に微かな笑みを浮かべて見せる。


「ブラザー・ジョン。『釈義』によるノイズを遮断する空間シールドは実現可能ですよ」


 ジョンは三善の眼前で言葉を失い、ぽかんと口を開け広げた。なにやら三善が突拍子もないことを言い始めた。そんな心の声がはっきりと聞こえるようでもあった。


「あ、でもそれは今すぐには分からないかもしれません。このあと数か月後に電磁シールドを用いた試験が予定されているでしょう。その時に特定の操作を行うとそれが再現できるはずです。というか再現してください。あれがないと将来的に困るので」

「……チビわんこ」

 ジョンは動揺を隠しきれず、彼にしては珍しく震えた声で尋ねた。「なんでお前がそれを知っているんだ。それは」


「『A-P』コモン・タイプの機能試験においてシミュレータとして使用する予定。そうでしょ?」

 三善はさっぱりとした口調で続ける。「ひとつ忠告しておくと、コモン・タイプ開発はプロト・タイプと同一のことをしても上手くいかない。コモン・タイプ開発の肝になるのは量子コンピュータをどこまで小型化できるかだ。その点に関してはが八割設計しているからある程度内容を覚えているけど。今聞いておく?」


 ジョンは神妙な面持ちで三善のまなざしを眺めたのち、それから掴みっぱなしだった胸倉から手を離した。


「ひとつ問う。ものすごくどうでもいい個人情報だ」

「ああ、それならわざわざ問いかけをせずとも分かります」

 三善ははっきりと言った。「です。それに関しては私も同意します」


 ジョンは右手で顔を覆い、両肩をぷるぷると震わせる。一体どうしたのかと三善が怪訝な顔をすると、ものすごく悲し気な声色でジョンは呟いた。


「悪い、猊下。お前は確かに姫良三善だ……」

「分かっていただけてよかった。とても助かります」


 そこまで言うと、部屋の戸を小さくノックする音が聞こえてきた。ひょっこりと顔を覗かせたのはケファである。彼は、三善、それから少なからずダメージを受けているジョンを交互に見比べると、この場で何が起こったのかなんとなく察してしまったらしい。なんと声をかけるべきか判断に窮し、思わず小さく唸り声を上げた。


「ええと……、お待たせしました。ブラザー」


 おずおずと声をかけると、ドスの利いた超低音ヴォイスでジョンは声を絞り出す。


「ドクター。あなたが今ここにいる理由もようやく理解できた。猊下が引き止めた。そうだろ」

「ええ、その通りです」


 やはりか、とジョンは呟き、すうっと顔を覆っていた手を降ろした。彼は思案顔のままでいたが、ややあって再び三善へと目を向ける。


「チビわんこ。もう一度聞かせてくれ。お前は一体誰だ」


 三善は言う。


「納得するまで何度でも言ってやるよ。おれは姫良三善、二十二歳。教皇名シリキウス。――訳あって未来から戻ってきた。この説明も何回目だよ、まったく……」


 いい加減面倒になってきた文句に、思わず深く息をついた。

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