第一章 (3) 到達すべき地点へ

 それから、三善も今までに何があったのか、ゆっくり、時間をかけて話をした。


 大司教ヨハネスが一〇〇九三回も時間遡行を繰り返したこと。

 三善がケファから『契約の箱』を継承したこと――この点については、今回もほぼ同様の出来事が発生していることが分かった――。

 渡独するためにケファが飛行機に乗り、そしてその飛行機が墜落したこと。

 箱館支部へ向かってから、ひとりの弟子をとったこと。

 国内外問わず『塩化現象』が発生し、その対応に追われたこと。


 そして。


「――ブラザー・ロンはジェームズの部下であるブラザー・カナに殺害され、おれものちに殺されそうになった。それを、ブラザー・タチバナがかばって、『パンドラの匣』が開匣した」


 三善が感情なく淡々と語るその様を、ケファも、ホセもじっと押し黙るようにして聞き入っていた。


「ブラザー・タチバナの釈義『イスカリオテのユダ』の能力は『塩化現象』を引き起こすこと。その対価は、能力者自身の肉体そのものだ」


 三善はそこまで話したところで、「……ああ、話しながらようやく整理が付いてきた。『契約の箱』と『パンドラの匣』を近づけてはならない、という本当の意味が分かった気がする。『契約の箱』が開匣することで『終末の日』を迎えることになるけれど、『イスカリオテのユダ』の釈義がある限り開けざるを得ない状況になる。その立場上おれは一個人のみをかばうことなんて許されない。しかし、一度出会ってしまったら。一度でも出会ってしまったのなら、おれはどうしても彼のことを一番に考えてしまう」


 三善は手元のカップを手繰り寄せ、一口だけ口に含んだ。


「まいったな」

 そして一言、このように呟いた。


「――迎えに、行くんだな」


 ケファがまるで問い質すように尋ねる。

 三善は何も言わなかった。ただ、ひとつ首を縦に動かすのみである。


「……、そうか。それじゃあ、一度やることを整理したほうがいいな」


 ホセ、とケファがその名を呼び、タブレット端末を貸すよう頼んだ。彼から端末を受け取ると、簡単な図表のテンプレートを作る。


「まずは最終目標を立てよう。三善の目的は『終末の日』を阻止すること。俺たちの目的は主席枢機卿を弾劾すること。このふたつの目的はほとんど同じ意味を持つのだから、俺たちが目指すことはひとつと言ってもいい」


 ケファがスタイラスペンを走らせ、それを一行目に書いた。


「次に、その目標を達成するために満たす要素の確認」


 三善、とケファが声をかけ、タブレットを渡した。

 三善は次の行に「土岐野橘を迎えに行く」と書き、再びケファにタブレットを返す。それを見たケファは短く首を動かすと、ホセの名を呼んだ。


「これらを満たすには何をしたらいいと思う」

「そうですね……」


 ホセは微かに唸りながら首をひねり、それからこのように言った。


「まずはブラザー・ユキに会うのがいいでしょう。今はアメリカにいるそうなので、少し遠出をすることになりますが」

「そうだね」

 三善もそれに同意する。「今回会っておきたい人はたくさんいる。ちょっとメモしてもいいか、忘れないうちに」


 どうぞ、と再びタブレットを渡されたので、三善は順不同にその名を書き連ねてゆく。


 帯刀雪。

 美袋慶馬。

 トマス――はじめヨハンと書きかけ、消しゴムツールで削除した――。

 土岐野雨。

 ジェイ・ティアシェ。


 それから、それから、と三善はどんどん人名を書き足していくので、ケファとホセは思わず瞠目した。


 その視線に気が付き、三善は「……何?」と怪訝な顔をする。


「ああ、いや……。本当に、お前は今までの三善と違う人間なんだなと」

「どういう意味よ、それ」


 不満そうに三善は口を開き、ややあってその言葉の意味をようやく理解した。ああ、そうか……と呟き、


「教皇位に就いてから色んな人と面識ができたからね。こっちのおれは違うんだな、たぶん」


 これでも一応向こうでは支部長だったしね、と付け加えると、三善はさらに筆を走らせた。


***


 結局その日は日が暮れるまでその場で話をし続けたので、最終的に近場のホテルに宿泊することとなった。

 チェックインをする際、ホセはちらりと三善の姿へ目を向ける。


「……、ああ、はいはい」


 おそらく名をどう書くべきか悩んだのだろう。三善はホセからボールペンを受け取ると、名前欄にテオドール・ベルマンと書いた。それからついでにケファとホセの名を書き、それぞれに博士号持ちの称号をつけておく。


「これでお願いします」


 部屋の鍵を三つ受け取り、ひとつずつ二人へ手渡した。


「ところで、あの名前って」

「親父の本名借りちゃった」


 けろっとした様子で三善は言い、それからすぐに部屋へ入った。


 ひとりきりになり、三善はまず備付けのテレビに電源を入れる。そしてチャンネルを一周するようにさらっと見て回り、とあるニュース番組を映すことに決めた。


 昼間に発生したという飛行機事故のニュースだった。

 三善はそれをベッドの上で膝を抱えながら眺め、思わずきゅっと目を細める。それから思い立ったかのように懐を探り、自分の携帯電話を取り出した。


 電話帳からとある人物の番号を探り出し、通話ボタンを押す。

 数回のコールののち、電話はつながった。


『おう、チビわんこ。どうした』

 ジョンである。『ホセから連絡があった。黄色い坊ちゃん、たまたま飛行機に乗らなかったんだろ。あの坊ちゃんどれだけ強運なんだか――』


「それを知っているなら話は早い。少しお願いしたいことがあるのですが」

 三善は実にさっぱりとした口調で返す。「もちろん状況を見て、ですが。教皇名で哀悼の声明を発表します。準備だけお願いできますか」


『……』

 ジョンは無言だった。それから短く、

『お前は誰だ』

 とだけ言ってきた。


「誰って。姫良三善ですけど」

『あのチビわんこがそんなところに気を回すはずがない。それと敬語』


 なんだかひどい言われようである。三善は苦笑交じりにその言葉を聞き、それからこのように続けた。


「あなたがそうしろって言ったんじゃないですか。ひどい」

『そりゃあその通りだが……』

「明日には本部に戻る予定です。戻り次第、少しだけ時間をください。それでは」


 三善はジョンの言葉を遮るように終話ボタンを押し、長く息をついた。携帯を放り出し、ベッドへとその身を沈める。


 唐突に煙草が吸いたくなった。吸いたくなったけれど、今この時点での己はまだ十六歳。そんなものを口にしてしまえばどうなることか分からない。前回の自分ならばただ叱られるだけで済んだろうが、今回はそういう訳にもいかないだろう。


 右の人差し指の関節を甘噛みしていると、徐々に拍動が落ち着いてくる。途端に襲い掛かるのは睡魔だ。まずは『ケファを飛行機に乗せない』ことに成功したという安心感だろうか。少しだけ胸の内が軽くなった気がして、三善はゆっくりと瞼を降ろす。


 ――眠るのは、怖い。


 一度眠ったら最後、起きられなくなるのではないだろうか。そんな漠然とした恐怖が襲う。計算上まだ「少し寝すぎた程度」で済むくらいの対価で足りるはず。だから大丈夫。そう言い聞かせても、完全に安心できるはずなどない。


 なにせこの世界は「あり得ないことなどなにもない」からだ。


 もしも計算が違っていたら? 対価の計算式が前大司教のものと違えていたら?

 決して抗うことのできない眠りへの誘いに身を委ね、三善はそっと意識を手放した。

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