第一章 (2) 一〇〇九四回目の変更点
「どうせあなたのことですから、こちらの状況など一切考えず勢いに任せて来たのでしょう。ついでだからこちらの状況説明をします」
そして、三善にタブレット画面を見せた。他者からすぐに読み取れないようにするためだろう、そのすべての文字がラテン語で記されている。
「まず、あなた自身の状況についてです。あなたは今から三年前――洗礼を受けた直後に、とある事情から教皇位に就くことを余儀なくされました。教皇名はシリキウスと名乗っています。あなたの側近としてジョン・アーヴィング司教が付いており、あなたは基本的に彼と行動を共にしています」
いつもなら三善のいるところには必ずジョンがいるのだが、今日は席を外してもらっている。今日くらいはケファと二人にさせてやろうという心からの配慮だった。
「ケファはあなたの教育係でしたが、それと同時にあなたの身を守る任をエクレシアより与えられていました。ところが件の『箱』の件以降ケファは『喪失者』となり、治療のために渡独することとなりました。それが『今日』です」
ふむ、と三善は考える。
前回ヨハネスが「今後自身が姿を現すことはない」と言っていたが、どうやらそれは本当らしかった。彼が行方をくらますにあたり、なんとか無理やり出来事の整合性をとろうとした結果「このような状況」になったような気がしてならない。
――あの男、どこまで無茶をするんだ。
三善は内心舌打ちをしていた。
「あなたが教皇位に就くことになった真の理由は、主席枢機卿であるジェームズ・シェーファーを弾劾するためです。エクレシア――否、我々は敢えて『新体制』と呼んでいますが、その代表としてあなたを擁立することとしたのです」
その言葉を耳にした刹那、三善の表情が微かに引きつった。脳裏に様々な映像がフラッシュ・バックしたからである。
目の前でロンが殺されたこと。カナがジェームズの『楔』の影響を受けていたこと。そもそも彼らがそういう運命に身を置く羽目となったのはあの男のせいなのである。
真新しい肉の塊の存在を思い返した刹那、一度腹に納めたコーヒーが逆流してきた。慌てて三善は口元に紙ナプキンを添え、それを堪える。
「ヒメ君?」
「ヒメ、どうした」
三善は静かに首を横に振り、話を続けるよう促した。
ホセ曰く。
ジェームズ・シェーファーの動向についてはなにかと議論されることがあったが、決定的な証拠がなかったことから、話をうやむやにされることがほとんどだった。
そんなとき、『とある異端審問官』が自身に穿たれた『楔』について内部告発をしたことで事態は一変する。
本来『楔』は大司教が持つ権能である。前教皇ヨハネスが逝去したことにより臨時で主席枢機卿に同じ権能が与えられたが、あくまで彼は「代理人」でしかない。本来の用途以外の目的で能力を使用するなど到底許されることではなかった。
もしそれが本当だとすると、前代未聞の大事件となる。一口に異端審問官と言っても、彼らは相当数存在するのだ。その影響は計り知れない。
まず優先すべきは彼ら異端審問官の安全確保。となると選択肢はほとんど残されていない。
至急ジェームズと対等に話ができそうな人物を擁立し、抑止力とすること。それにふさわしい人物はひとりしか思い浮かばなかった。
かつて地下に監禁されていたという、赤い目をした子供。
「……という訳で、ジェームズに反発する者を中心として作られた『新体制』側の象徴として、あなたが擁立されました。表向きは次代の大司教を選任したということにしていますが、真の狙いはそれです」
「なるほど……、それはまあ、好都合かな」
三善は力なく笑いながら、ミルクレープを口に入れた。「おれが戻ってきた理由もそれとほぼ同じだ。約五年後の未来に発生する『終末の日』を阻止すること」
「発生したのですか? まさか……」
「ああ。おかげで全員死んだよ」
そう……全員だ、と三善は淡々と言う。「元を辿ると、一番怪しいのは主席枢機卿だ。勿論正しい考証を踏まえ慎重に吟味する必要はあるけれど、もしもそこを押さえることができるのなら、今の状況ははっきり言って好機でしかない」
ところで、と三善はホセに質問を投げかけた。
「その『とある異端審問官』って、誰? おれが知っている人だろうか」
「今までのあなたなら知らないと思いますが、未来から来たという今のあなたなら知っているかもしれません」
ホセは三善に見せていたタブレットを取り、さらさらと名前を書いて再び三善へ画面を見せる。
三善は瞠目し、その身をこわばらせた。
そこには信じられない名前が綴られていたからだ。
「――嘘……」
エクレシア箱館支部所属、ロン・ウォーカー。
当時エクレシアに最年少で入団した侍祭である、とホセが付け加える。
「とても優秀な方だと伺っておりますが、箱館支部はかなり特殊な環境ですので……ヒメ君?」
はっとして、三善は顔を上げた。目の端から何かが零れ落ちるような感覚が残る。気づかないうちに泣いていたらしい。
突然三善が泣き出したことに対し、ホセも、ケファも驚いた様子でいた。
「ごめん。驚かせるつもりは、ないんだ」
三善はいつもの調子で淡々と呟き、まつげから零れ落ちた涙の粒を左手で拭う。
「うん。なんでもない……なんでもないから」
そう言って、三善は瞼を閉じた。
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