第一章 (1) 能力の無駄遣い
ホセはテーブルの上に並べられたコーヒーの水面を見つめ、長く息をついた。
あの後彼らは一度空港を離れ、手頃なファミリーレストランに入った。かつてマリアを日本へ連れ帰ったときもこうしてファミリーレストランに入った覚えがある。確かあの時はアンドロイドの存在が教義に反するか否かという実に厄介な話をしたはずだが、今回はその時よりもはるかに性質の悪い状況である。
ちらりとホセはボックス席の正面に座るケファへ目を向ける。
彼もまた同様に手元のコーヒーカップを見つめ、ため息混じりに頬杖をついている。本当ならば今頃雲の上にいたはずの彼が、まだこうして国内にいるということ自体がとても奇妙に感じられた。
そしてこうも思う。ケファがあっさりと三善の話を信じたこと。ケファがいかに三善のことを信頼しているのかを、改めて実感した。
さて、肝心の三善はというと、「あまりおれが外をうろつくとまずいんだろ」と確認を取った上で、店に入るなりケファのキャリーバッグを担いでトイレに向かっていった。
「どうりでおかしいと思った」
ケファがぼやきながらミルクピッチャーを手に取る。「あいつ、自分のこと『おれ』って言い出したから」
そう言いながら、彼は自分のカップにミルクを大量に注ぎ始めた。何か考え事をしているときの手癖みたいなものだ。
――コーヒーはブラックしか飲まない癖に。
ホセは無言で自分のカップとケファのカップを差し替え、ミルク入りのほうを口に含む。
「悪い、待たせた」
三善の声だ。
二人は同時に顔を上げ、――ようやくトイレから戻ってきた三善の姿に思わず目が点になった。
「……、お前は誰だ」
ケファがそう呟くくらいには激しく動揺している。
端的に言うと、三善が著しく成長していたのである。
年齢のわりに小柄な体つきをしていたはずが、今はホセとほぼ同じくらいの背の高さに。着ている服はケファのものだろう、少し大きかったのか簡単に腕まくりをしている。声も三善のものだと認知こそできるけれど、いつもより少しトーンが低く感じられた。
当の三善はというと、ケファの隣に座るや否や店員を呼び、呑気にもコーヒーとミルクレープのセットを注文している。
あまりに動揺し口に含んだコーヒーを噴き出しそうになったホセが、軽く咽ながら紙ナプキンで口元を拭った。
「ちょっとあなた、一体どんな手品を使ったんですか……。またろくでもないことをして」
「ちょっと“大罪”の能力を使っただけ」
三善はけろっとした様子で言い、おしぼりで両手を拭く。「これなら誰もおれだって分からないだろ。ああ、やっぱこっちの方が楽でいいなぁ。いっそ急な成長期とでも言ってずっとこのままでいようかな……」
「それはやめてあげてください、現実を直視できないケファが静かにダメージ受けています」
ん? と怪訝に思った三善がケファへ目を向けると、隣に座る彼は頭を抱えて実に悲壮な表情を浮かべていた。
「おれが言うのもなんだけど、ケファ、子供の頃のおれの
子供も何もお前はまだ十六だろ、という恨めし気な声が俯くケファの口から零れ落ちる。
さて、そんな雑談を繰り広げているうちに、三善が注文したコーヒーとミルクレープが運ばれてきた。彼女が去ったことを確認してから、三善はフォークに手をかける。
だが、それは同席する二人の手によってあっさりと阻止されてしまった。ホセがコーヒーを、ケファがミルクレープをそれぞれ奪い取る。あまりの手際の良さに、三善は思わず呆然としてしまった。
「ちょっと、何するの」
「失礼」
そして彼らは一口だけ口に含んだ。しばらくの間何やら神妙な面持ちでいたが、ようやく納得したのだろう。奪ったものを三善の前に改めて置き直した。
明らかな毒味である。それに対し三善は微かに渋い顔を浮かべたものの、気を取り直しカップの把手に指をかけた。
「ええと……、何て言えばいいんだろう。ふたりとも、初めまして。おれは姫良三善、二十二歳。教皇名はシリキウス。訳あって未来から戻ってきました。どうぞよろしくお願いします」
とでも言えばいいのだろうか。そのように三善が呟くと、ホセが眉間に皺を寄せながら低く唸り声を上げた。
「……まあ、そんな莫迦げた話、到底信じられるはずないか」
三善が諦め混じりに言うと、ホセが顔の前で左手を振って見せる。
「いえ、そうではなく。あれこれ突拍子もないことを言われて思考が追いついていないだけです。ちょっと整理させてください」
ええと、とホセは言葉を濁しながら、目の前に座る三善にこのように問いかけた。
「要するに、未来でなにか……予期せぬ事態に遭遇したから戻って来たと。細かいことは省くとして、おおよそこういうことで合っていますか」
「うん、合っている」
「だとすると、私にも心当たりがあります。あなたがわざわざこちらへ戻らなくてはならなくなった理由について」
ホセはケファへ目くばせし、それから己の鞄へ手を伸ばした。中から小型のタブレット端末を取り出すと、ホセはメモ帳機能を起動し、スタイラスペンで何かを書き始めた。
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