第四章 (4) 約束を違えたら

 三善は奥歯を噛みしめ、それから聖十字の剣を正面に構えた。


「……そうだな。そもそも『終末の日』を一番に望んでいたのは誰なのか、『契約の箱』を最も欲していたのは誰なのかをきちんと考えるべきだった」

 それがおれの過ちだ、と三善は呟いた。「よく考えたらブラザー・ジェームズしかいないじゃないか、そんな滅茶苦茶なことを考えられるのは」


 六年前ならば、まだ“七つの大罪”が関係しているのかも、だなんてぬるいことを言えたかもしれない。しかし今は違う。


 なぜ彼は幼少時の三善を地下に閉じ込めたのか。――三善が『契約の箱』の正当な所有者であるがゆえ、余計な知識をつけさせたくなかったため。

 なぜ彼は三善に『喪神術』を用いたのか。――大司教ヨハネスとの繋がりを絶つことで、『終末の日』に対して妨害されることを防ぐため。

 なぜ橘を三善のもとへ送ったか。――彼は『パンドラの匣』がどういうものなのかを『知っていた』ため。


 なぜ三善を教皇位に推薦したか。

 ――それは、三善を守る人物が確実に不在となる『この時』を狙っていたからだ。


 三善は小さく舌打ちする。


「争い事は避けたいところだが、仕方ない」


 ここでもしも自分が倒れてしまえば、その時点で『終末の日』発生が確定する。それだけは避ける必要があった。

 来いよ、と三善は吐き捨てるように言った。


「お前の罪を、清めてやる」


***


 カナが動いたのと三善が一歩踏み出したのはほぼ同時だった。カナの縮絨棒が大きく旋回し、三善の両腕めがけて振り下ろされる。


 三善はそれをバックステップで避け、その辺に転がっていた事務用の椅子を滑らせた。キャスターが固い音を立て回転し、カナの動線を駆け抜ける。そのせいで、カナの動きが一瞬止まった。その一秒にも満たない隙をつき、三善は剣の柄でカナのこめかみを強く突く。


 ぐらりとカナの身体が大きく傾いた。しかし、彼はそれくらいでは倒れない。激しく脳を揺らしたつもりだったのだが、刹那、反撃と言わんばかりに縮絨棒が三善の鳩尾を突いた。


「っ……!」


 一体どんな体力しているんだ、と内心毒づきつつ、三善は空いている左手で己の肩帯を外した。それを輪になるようにしてカナの首に通すと、力の限り

 徐々に首が締まりゆく嫌な感触があった。カナがもがき、必死の思いで三善の脳天に拳をぶち当てる。


 手が緩み、肩帯が滑り落ちたのを彼は見逃さない。カナはすかさずよろけた三善を床に突き飛ばすと、喉に手を当て強くせき込んだ。


 頭がちかちかする。

 三善は腹筋に力を入れなんとか起き上がると、ずるずると身体を引きずるようにして眼前のカナを睨めつける。


 そのとき、背後に別の誰かの気配がした。

 はっとして三善が振り返るのと、その方めがけてカナが『釈義』を展開したのはほぼ同時だった。


 カナの能力は物理系三種。特定の範囲内の重力を操作する能力だ。


 三善の目に映ったのは、こちらを見てその身をこわばらせた橘。それから、彼の後ろに寄り添うようにしていたロンだ。

 まずい、と三善は咄嗟に足を踏ん張ると、彼らの前に勢いよく飛び出した。


「『逆解析リバース』!」


 刹那、三善の身体から深紅のプラズマが走る。




 ――センセ、と橘の細い声が、三善の下から聞こえてきた。


 のろのろと三善が目を開けると、そこには三善に突き飛ばされ大きく転んだ橘とロンがいる。彼らは三善を呆然とした様子で見上げ、かたかたと唇を震わせていた。


 間に合った、らしい。

 三善はゆっくりと息を吐き、“傲慢”の『鎧』を解除した。


「……大丈夫そうだな」


 よかった、と三善が呟くと、それからロンへと目を向けた。


「それと、ごめん。約束を守れなかった」


 ロンの表情は、今までに見たことがないほど苦痛に歪んでいる。どうして、とまるでうわごとのように呟くと、三善の頬を一発平手打ちにした。


「……っ、」


 彼らの間に何が起こっているのか、橘は分からなかった。ただひとつだけ、三善の身体に走った赤いプラズマを巡り、ロンが怒りを露わにしているということだけは理解できた。


「どうして今『それ』を使ったんだ!」


 ロンが慟哭にも似た声を上げ、今にも三善の胸倉を掴みそうな勢いでにじり寄る。


「――ブラザー・ロン」


 彼らの頭上からカナの声が聞こえた。

 刹那、ロンの脳がずるりと震えるのを感じる。ただ一言、その名を呼ばれただけで次に続く言葉が想像できる。自分ではない誰かが、自分の身体を用いて意図しないことをしようとしている。ロンは今、そんな奇妙な幻覚に憑りつかれていた。


 まるで死刑宣告のようだった。


 ロンは三善へ目を向ける。

 三善は少し困ったような、なんとも言えない表情を浮かべていた。それは一種の諦めとも言えたかもしれない。


「……恨みますよ、猊下」


 そしてロンは懐から何かを取り出した。鈍色の、手錠を連想させる形状のだ。

 ロンは短く詠唱すると、それを三善の両腕に乗せる。刹那、金属の形状が大きく歪み、三善の両腕を固く拘束する。


 そんな異様な光景を目の当たりにした橘は、思わず言葉を失っていた。


「ブラザー、一体何を――」


 制止する間もなく、ロンははっきりとした口調で続ける。


「……、シリキウス猊下。あなたに『異端審問』を行うこととします。窮屈でしょうが、その御身を拘束させていただくことをお許しください」

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