第四章 (3) 踊らされていただけ
橘もカナも、科学研エリアに行ったはずだ。
三善は走りながら『釈義』を展開し、二人に打ち込んだ『楔』の形跡を追おうとした。しかし、結論から言うとそれは叶わなかった。
なぜか彼ら二人の消息が掴めないのだ。追跡しようとすると、途中で奇妙なノイズが走りその先が掴めないでいる。試しに他のプロフェットに対し干渉してみたところ、こちらは問題なかった。支部を出たメンバのいずれもが予定通り動いていることが分かる。
だとすると、一体この場所になにが起こっているのだ。
三善はいくつかの可能性を並べ、――結論が出なかったので、とりあえず一旦それらを捨て置くことに決めた。
そうしているうちに科学研エリアまで到達した。三善は聖職衣のポケットからカードキーを取り出すと、それをパネルの前にかざす。甲高い電子音とともに、重い扉が左右に動いた。
室内はしんと静まり返っている。電灯はついているようだが、いつも猛烈な音を立てて回転している機材のファンの音がしない。見ると、それらの機器は全てシャットダウン状態となっており、電源ボタンがアンバー色に光っていた。
それよりも気になるのは、
「――どうして誰もいないんだ」
今日・明日は正念場だからと、科学研に配属している職員はほぼ全員稼働日として設定したはずである。それに、いつもなら三善が顔を覗かせれば必ず誰かが気づいて声をかけてくる。それがないということは。
三善は最悪のケースを想定しつつ、息を殺して居室に足を踏み入れた。
イヴを泳がせた量子コンピュータはこのエリアの最深部に置かれている。限られた人物のみが入れるように権限を付与しており、カナ・橘の両名ですらその場所には入ることができない。となると、彼らは少なくともその場所よりも手前にいるはずである。
三善がゆっくりと歩を進めると、履いている革靴の音だけが自分の後をついてくる。
その時だった。
三善は突如背中に走った違和感に気づき、慌てて身を翻した。
「『
祝詞と同時に、三善の左腕が金属状に硬化する。刹那、重たい金属が三善の左腕を直撃した。耳鳴りがするほどの共鳴。変な体勢でそれを受け止めたせいで、三善の左腕は悲鳴を上げている。
「……、ブラザー?」
そこにいたのはカナだった。彼の腕には何やら頑丈そうな棒が握られており、それが三善の左腕に命中したものと思われる。
三善は瞠目しつつ、彼が今何をしたのかを問い質した。
「
彼は鋭い眼光を三善へ向け、それから恐ろしく長く息をつく。金属の反響する音が、まだ遠くの方で鳴り響いているようだった。
それが聞こえなくなった頃、三善はもうひとつ問いかけをした。
「ブラザー・タチバナはどこへ? 一緒にいたのではなかったのですか」
その問いに対しても、カナは答えない。
「答えなさい、カナ・アイスラー」
三善がかなり語調を強めて言った。すると、仕方なしに、彼は口を開く。
「そんなに大事な子供なら、ずっと近くに置いておけばよかったものを」
は、と三善が呆けた声を洩らした。
しかし、その言葉の真意を問い質すほどの時間の猶予はなかった。三善の目の前に再度縮絨棒が突きつけられたからだった。
それを見た三善は、先ほどまで考えていたいくつかの『可能性』のうち、一番まともでないものを選び取った。まともでないが、一番この状況にふさわしい内容である。
「……なるほど、『楔』ね」
三善はそう呟くと、続いてこのように言った。「やっぱりあんたのことは先に潰しておけばよかったよ。ブラザー・ジェームズ」
しかしこれではフェアじゃないな、と三善は胸元で十字を切った。白んだ炎が宙を走り、そしてそれは一振りの剣へと変貌する。
――聖十字の剣。
吐き気がするほどの強烈な聖気がそれを中心に溢れ出し、目に見えない粘性の何かが全身を覆い尽くした。それを出現させたのも随分と久しぶりだったため、三善本人も加減ができずにいる。もしもこれが冷静なときだったならばまた違ったかもしれないが、この時の三善は確実に青筋を立てていた。
三善がその男の名を呼んだことで、ようやくカナが自発的に口を開く。
「あいにくだが、これは『あのひと』の意思だ。『あのひと』の目的がようやく達成しそうなのに、止められるはずがない」
今の発言はカナ自身のものだな、と三善は思った。
しかし、それを聞いて確信した。「まさかこのタイミングで」、という表現はまったく正しくなく、正確には「このタイミングだからこそ」、だったのだ。
まさかジェームズが『楔』の権限を得て以降、自身の部下である『異端審問官』に対し『楔』を打っていただなんて想定外の事態だった。つまり、今の三善が計画していた『塩化現象』に対する対策とほぼ同じ手法を、それよりも前からジェームズは行っていたということ。『楔』を打った本人が動けないなら、『楔』を打たれた者を遠隔で動かせばよい。ただそれだけのことだった。
そしてこうも思う。
己は、初めから、あの男に踊らされていたに過ぎないのだ、と。
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