第三章 (5) 神様、もう少しだけ

 今度は三善も準備に混ざり始めた。一つ目のブースには置いていなかった四角い箱のようなものが四か所に設置されている。そのいずれもが、凹凸のある地形の一番高い箇所に置かれていた。


「これでよし」

 三善が呟くと、さらに彼は短く祝詞を上げた。「『釈義exegesis・展開』」


 彼の祝詞に反応し、四角い箱から突如ファンの回る甲高い音がし始める。それを見て、ロン以外の誰もがはっとして身体をこわばらせた。

 なぜなら、彼が祝詞を唱えた刹那、そのブース内に立ち込めていた『釈義』が一瞬で消え失せたからだ。


 一体何をしたのだ、と問い詰めるより前に、三善が宮部に合図する。


 二回目の「落雷」だ。

 しかし、今回は先ほどとは結果が異なる。二つ目のブースには塩のかけらも落ちておらず、落雷発生前となんら状況が変わりなかったのだ。


 つまり、要約するとこうだ。

 三善が「何かをした」ために本来存在するはずの『釈義』が消え失せた。そうすることで『釈義』が保有する塩化ナトリウムの含有率が低下乃至消滅。この状態で落雷を起こしても反応する塩分が存在しないため、『塩化現象』が発生しない、ということだ。


「あの箱は『釈義』によるノイズを遮断する空間シールドです。私の釈義に反応して起動します」


 まずはそれを用いることで箱館地区だけ「とある現象」が有効になるようにする。「とある現象」についてのみ三善は何も言わなかったが、その現場を目の当たりにしたホセだけは彼が何を行ったのかすぐに気づいてしまっていた。


 ――『喪神術』だ。


 彼は空間シールドで箱館地区のみを隔離し、その範囲内にのみ『喪神術』を用いることで『釈義』を打ち消した。

 彼が短期間で『喪神術』を習得したことにも驚きだが、それ以上にホセは自分が教えたことをこんなことに使おうとするだなんて思ってもみなかった。確かに彼は「今回の計画でどうしても必要になった」とは言っていたが……。


 ちらり、とホセはロンとカナへ目を向ける。ロンは純粋に驚いているようだが、カナは妙に神妙な面持ちで三善へ目を向けていた。


 彼もおそらく、この場所で何が起こったのか気づいているはずだ。


 ホセは改めて三善へ目を向ける。三善は淡々とこれからのことについて話をしていた。


「しかしながら、八分の一スケールのこの場所ならともかく、本番は何キロも離れた場所にある。それも四か所同時に箱を起動する必要があります。さすがの私もそれは無理です」


 だから、と三善は一同へ目を向ける。一同が呆けている中、カナだけがこちらへ睨みを利かせていることに気が付いた。そしてホセが彼の様子に気づいていることも。


 ――だからこれが『最後』だと言ったろう。


 三善は思う。

 ――これが終わったら、おれは。


「そのために、皆さんの力をお借りしたいのです」


 まず、と三善は近くのホワイトボードに張り付けていた箱館地区の地図に対し、一か所紅いマジックで丸い印を書き込んだ。


「箱館支部を要塞化します。具体的に言うと、中枢にイヴを置いて、彼女と私の『釈義』とをリンクさせます」


 そして、と三善は『箱館山』『裏箱館山』の四か所にも印を入れる。


「各場所にはプロフェットを配置します。派遣するプロフェットには、予め私から指名を受けていただきます」


 指名、というその一言に、プロフェットとして活動する誰もがその身をこわばらせた。その意味が嫌でも理解できるからだ。

 このタイミングで、彼は決断しようとしていた。


「『十二使徒』を再編します」


 シリキウスの十二使徒は確かに未編成のままである。

 三善がそのことについて頭を抱えていたことを知っているロンは、その一言になにかを感じていた。あの時点で、既に彼の頭の中にはこの計画が浮かんでいたのだ。


 だからこそ、躊躇っていた。

 確かにシリキウス猊下にはその権限があるけれど、まだ彼は周囲から完全に認められた訳ではない。そんな中で『十二使徒』を指名するということは、少なからず外部から反感を買うことになる。なにせ、この場にいるプロフェットは、そのほとんどが前教皇ヨハネスの『十二使徒』であり、三善と懇意にしている者ばかりだ。


 これを公平な指名だと言えるのか。そんな苦情が寄せられていることを、ロンはとてもよく知っていた。


 そのとき、突然三善の紅い瞳がロンへと向けられる。


 ――そんなことは分かっている。


 まるで、そう言っているかのようだった。


「そして『十二使徒』に任命されたプロフェットには、期限付きの『楔』を打ち込ませていただきます」


 それって、とホセが震える声で呟いたのに、三善が気づかないはずがない。動揺するホセに、三善は微笑み返した。赤い瞳には、決して迷いがない。


「ご存じかと思いますが、大司教と主席枢機卿には罪人を縛るための『楔』を打つ権限が与えられています。それを打たせていただきたい。もちろん、この戦いが終わった後に全て消去します」


 楔を打つ理由は、いくつかある。


「私はこの楔を、電波塔のように使うつもりです」

「電波塔?」

「ええ。みなさんに、私の釈義の一部を譲渡します。――いや、譲渡、というよりは、ハブ化する、の方が正しいのでしょうか。私の釈義をあなたがたが受信し、それを各々の場所で展開できるようにする。そうすることで空間シールドの四か所同時起動が可能になる。そのための『楔』です」


 そのとき、長らく口を閉ざしていたジョンが、おもむろに口を開いた。


「――なるほど。それ以外の技術職員はどう使う?」


 三善は短く首を縦に動かす。


「街の整備」

「整備?」

「一般の方に対して被害を出したくないのです。この街は私たち大聖教のものでも、“七つの大罪DeadlySins”のものでもない。ここに住まう全ての人のものだ。だから、被害を最小限に抑えたい。そのために尽力してもらう」


 そうだ。それを確かめるために三善はあの日五稜郭まで行ったのだ。

 この土地を訪れ、たくさんの人々と出会った。こんなにも頼りない司教を慕い、ついてきてくれた。彼らは今、歴史の先頭に立っている。彼らの歴史を、こんなところで壊すわけにはいかなかった。


 ――これが終わったら、おれは異端審問官に捉えられ、その生涯を終えることになるだろう。ひとりの犠牲で済むなら安いはずだ。


 三善は思う。


 ――だから、神様。


「大丈夫だ。すべての責任はおれがとるから」


 ――もう少しだけ、時間をください。

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