第三章 (4) アマデウスとサリエリ、もしくは

 この時期の日の入りはかなり早い。


 三善は執務室の窓を開け、徐々に暗くなる空を仰ぎながら煙草を一本口に咥えた。マッチで火をつけ、携帯灰皿に使用済みのマッチ棒を押し込む。この場所からは例の倉庫――釈義の訓練場として使用しているあの場所だ――がよく見えた。煌々と明かりが点いており、科学研の職員が出入りしている。その中にジョンやアンデレが混ざっているのも見え、三善は密かに安堵していた。


 なんとなくだが、彼らがいれば間違いは起こらない。そう思っていた。

 そういえばジェイはどうしたのだろう。そんなことを考えたが、「否」と三善はその考えを切り捨てた。どうせ彼女のことだから、ほぼ倉庫に入り浸りなのだろう。


 ――いつも通りの光景。


 三善は唇から紫煙とも呼気とも言えない白い煙を洩らすと、昼間の出来事を思い返す。


 あのあと、帯刀と慶馬は明るいうちに三善を支部まで送り届けてくれた。

 車から降りる前、帯刀は三善を一度だけ引き止めた。


 ――ありがとう、猊下。


 帯刀は嚙みしめるように言い、三善の両手を包み込む。そしてもう一度、反芻する。


 ――本当に、ありがとう。みよちゃん。


 彼との付き合いは長いほうだが、帯刀のあんな表情は見たことがなかった。

 彼らは互いのことをあまり多くは語らない。だが、少なくとも『例の件』をきっかけに互いの関係性を変化させていったのは傍から見ても明らかだった。


「アマデウスと、サリエリ」

 三善はぽつりと呟く。「……違う」


 どちらかと言うと、あれは。


 三善はそれに続く言葉をそっと胸の内に押し込める。

 ならばなおさら、己が彼らに施したすべは正しかったのだろうか。そう思わざるを得なかった。


「……、『長い旅の終わり』が、近いんだな」


 そして三善はぽつりと呟いた。


***


 翌日、三善は再現試験場へと足を運んだ。宮部からとの報告を受けたからである。ついでだから、と三善は他の関係者も呼び、再現状況を確認することにした。


 三善が倉庫に入ると、三つのブースが用意されていた。いずれも同じ状態になるよう整備されており、それぞれが影響を受けないよう特注のパーティションが施されている。


 宮部から簡単に説明を受けながら、三善はそのうちのひとつ――再現したと報告を受けた環境だ――を眺めた。設計書を片手にあちこちを見て回り、いくつかの質問を投げかける。いずれも筋の通った回答があったので、忘れないよう三善はそれらを設計書の裏紙にメモしておいた。


「うん、いいね。すごくいい」

 そして三善は満足げに微笑んだ。「最高の出来栄えだ。いい仕事をしてくれたね」


 そうしているうちに、ぞろぞろと他の面々が集まり始めた。ロン、リーナをはじめとする支部の面々、それから土岐野とホセ、カナ。そして最後に、遅れて橘が入ってくる。


 三善は彼らの姿を見ると、にこりと微笑んで見せた。


「――みなさん、お時間いただきありがとうございます。ようやく準備が整いましたので、『塩化現象』の件についてこれから我々が行うことを説明いたします」


 三善はそっと首に下げている金十字に触れる。人肌に触れていた温みが、中指と人差し指を介して伝わってくる。


 怖いし、決して戦いたくはない。だが、立ち止まればたちまちに全てが終わってしまう。

 三善の脳裏に、先日橘とふたりで見た五稜郭のジオラマがちらついた。


 戦いの歴史とはすなわち、傷を語り継ぐこと。傷を負わせたくなければ立ち向かうほかない。

 だから今は最大限の力を尽くそう。

 三善の紅い瞳に、火の粉を纏った紅蓮の炎が立ち昇る。


「我々はこれから塩に対抗する『要塞』を作ります」


 三善が言い放った一言に、その場の誰もが目を剥いたまま固まってしまった。

 これまた突拍子もないことを言い始めたものだ。しかし、相手はあの三善。あり得ないことはない。


 そんな声が一同から聞こえたような気がした。


 ――ま、そうなるよな。


 三善は苦笑しつつ、宮部の名を呼ぶ。


「まず、『塩化』が起こるメカニズムは極めて単純です。塩水を高温で熱し水分を蒸発させる。この一言に尽きます」


 宮部は奥から小瓶をふたつ取り出し、試験用のブースにひとつずつ置いた。

 それに見覚えのあった土岐野が微かに声を詰まらせる。


「あれはシスター・アメに作っていただいた『釈義』の塊です。我々の世界は『聖所に集まる釈義の量』により決定づけられると言っても過言ではありません。ゆえに、あれは聖所を模擬するものと考えてください」


 続いて三善はブース内の凹凸のある地形を指して言う。


「これが箱館地区特有のもの。四方を海と山に囲まれている状態の模擬です」


 例の『菖蒲十条』『東西』についてもこれとほぼ同等の状況だと考えてほしい、と三善は付け加えた。


「通常時における箱館地区の釈義保有量はエクレシア本部のおよそ半分くらいですので、この試験環境は……ええと、八分の一に縮小しています」


 そこで三善が合図する。すると、宮部が傍らに置いていたスイッチをひとつ押した。


 刹那。

 一つ目のブースに文字通り『雷』が落ちた。


 目がくらむほどの激しい光、それから爆音。なにが起こったのか分からず、一同はしばらくその場に立ちすくんでいた。ようやく目が慣れてきた頃、彼らが目にしたのは。

 一つ目のブースが塩で覆われている様だった。


「えっ……」


 思わずぽかんと口を開け放ち、間の抜けた声を上げてしまうほどに衝撃的な光景だった。ただ一発だけ雷が落ちただけ。それなのに、一体なぜこんなことになるのだろう。

 そんな周りの反応をよそに、三善は言った。


「落雷により発生した事象はふたつ。ひとつは『釈義』が持つ塩分の間でイオン交換が発生し、一時的に『ナトリウムと塩分の濃い箇所』ができること。もうひとつは、落雷による大電流が流れることにより発生する熱で水蒸気が一瞬で蒸発すること。これらが連続して発生したことにより『塩化現象』が発生する」


 少し前にジョンが三善に「イオン交換膜濃縮法」について説明したことがあったが、あの時に言っていた「落雷」という条件が一番重要だったのだ。


「つまり……自然現象、ということ?」

 そのとき、リーナがぽつりと呟いた。「それを防ぐことなんてできるの?」


「ああ」

 三善は短く頷き、二つ目のブースを指して言う。「こっちを見ていてほしい」

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