第三章 (3) Dum fata sinunt vivite laeti.
「……、ああ」
三善は頷く。「『釈義』によるノイズを遮断する空間シールド。電磁シールドの応用だけど、それほど手間のかかる話じゃない」
遊んでいたら偶然出来てしまった技術がまさかこんなところで役に立つとは、と三善はぼやいた。
そう、それが今回、三善が用意した最大の切り札だった。
かつてジョンのもとで修行していた際に電磁シールドを用いた実験をしたことがあったのだが、その際に三善が遊びで色々と手を入れた結果、たまたま『釈義』によるノイズが全く存在しない空間を作り出すのに成功してしまったのである。それについてまったく興味がなかった三善がぼんやりしていたところ、見るに見かねたジョンが勝手に三善の名義で特許を取得したのだった。
三善の中ではある意味曰く付きのその技術、『塩化現象』の件がなければ思い出すことすらなかっただろう。
「資材はどうする? うちから出そうか」
「ああ、それは大丈夫。もう搬入済みだ」
試験と並行させてしまっているのが技術屋としてものすごく嫌だが、と三善は息をつく。
「空間シールドでノイズを除去したあとはどうする」
帯刀の問いに、それは言えない、と三善は返した。
こうなると三善が頑として口を割らないということを知っている帯刀は、それきり深くは追求することはなく、ただ「そうか」とだけ口にする。
「猊下。……俺はこんな身体だし、一旦プロフェットとしては身を引かせてもらう。その代わり、俺は俺のできることをやるよ」
そこまで言うと、帯刀は慶馬の名を呼んだ。
「俺の右腕は無駄に頑丈だから、多少は役に立つだろう。猊下、好きに使うといい」
その言葉に呆気に取られたのは三善の方だった。なぜこの話の流れでこうなったのか、とでも言いたげな表情のまま、
「でも十二時間離れるとまずいだろ」
と躊躇いがちに尋ねてみた。その問いすら帯刀の中では想定の範囲内の出来事だった。
「だから『お願い』なんだよ。あなたにしか言えないことだ」
「……、『楔』を外すことだろう」
そうだ、と帯刀は言った。
「もう俺は神へ捧げる対価を全て払い終えてしまった。本当はそうなる前に、慶馬のことは俺から解放してやりたかったんだよ」
色々あって間に合わなかったが、と帯刀はゆるゆると目を細める。
「美袋慶馬は、俺が心から大事に思う人だ。そして一番幸せになってほしい人でもある。シリキウス猊下、どうか彼に祝福を」
三善はただ口を閉ざし、二人へじっと目を向けた。
なんとなくだが、そう言われることは薄々気づいてはいたのだ。以前慶馬が洗礼を受けさせてほしいと言ったことがあったが、その頃から彼に微妙な違和感があった気がする。
もとはと言えば、彼らの楔については己の父がしでかした失態のひとつだ。それを是正するのが、今の三善に与えられた使命のひとつのようにも思えた。
「……、分かりました」
そして、三善はゆっくりと返事をした。
車はとあるホテルの駐車場に入って行く。
裏手から入館すると、三人は事前に予約していたという一室へ足を運んだ。随分と簡素な部屋である。というより、最低限のものしか置かれていなかった。帯刀が歩きやすいように配慮しているのかもしれない。
「美袋さんは」
外套を脱ぎながら三善が尋ねる。「それでいいのですね」
慶馬は何か言いたげに三善へ目を向けた。――一度目を閉じ、それから再び瞼をこじ開ける。その頃には、彼の眼差しから迷いは消え失せていた。
「はい。お願いします」
そうですか、と三善は短く返すと、出掛けに持ち出した紙切れを取り出す。
「我が神が施したあなた方へのつながりは、今ここで消滅します。我らが与えた楔は元来神への恒久なる契りを意味します。それは神を喪うことにも等しい。しかし、あなた方はそれ以上のつながりを持ち――それ以上のものを抱えて、抱え続けていることを、わたしは知っている」
ブラザー・ユキ、と三善が呼んだ。帯刀はその声に反応し、ゆっくりと顔を上げる。
三善は囁くような声色で祝詞を口ずさむ。その身体に氷のような冷たさがどっと流れ込んでくるようだった。
紙切れに描いた図形を、帯刀へ、続いて慶馬へ、その額に冷たい指でなぞる。
「神の僕の僕、シリキウスが命じる。汝が洗礼者・帯刀雪および美袋慶馬に対するしるしを無効とし、以降永久に放棄する。神との繋がりはこの時を以って、――」
三善の声が止まった。
おや、と帯刀が微かに顔を上げる。その耳に嗚咽にも似た息遣いが聞こえたのだ。
猊下? と問うと、三善は再び声を上げる。
「――あなた方は、今後その身に宿す
そこまで言うと、帯刀と慶馬の表情が変わった。
胸の内にひび割れるような音が聞こえた気がしたのである。まるで木の枝が無残にもへし折られるかのように、ぴしぴしと悲鳴を上げている。痛みはなかった。ただその胸の内に宿るは、漠然とした喪失感だった。
三善は言う。
「Dum fata sinunt vivite laeti.(運命が許す間、喜々として生きよ)Amen.」
この瞬間、約一〇年もの間繋ぎ止めていた彼らのつながりが、途切れた。
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