第二章 (9) 生まれ変わったら

「どうした? なんかあったか」


 尋ねると、電話の向こうでロンがべそべそと嘘泣きしているではないか。


『げーかぁ。俺、枢機卿にいじめられた! 慰めて!』

「……。それで? 申請通らなかったのか」

『あ、意外と冷たい』

 ころっと態度を変え、本題に入るロンである。『申請自体はちゃんと通ったよ。今は補足資料をまとめているところだ。それよりもちょっと面倒なことになっているみたいで』

「なによ」

『猊下、十二使徒を再編するって言ったろう。その件でプロフェット部門に苦情が入っているらしい』


 単純にねたんでいるだけだろ、と三善は冷たく返した。再編するとは言っても、基本的にはヨハネス時代からの『十二使徒』をそのまま流用するつもりでいる。例えばホセのように、既に釈義を喪失した者の処置を含める必要があったため、敢えて再編という言い方をしたのだ。それにも関わらず苦情が出るとは、エクレシアの面々はたるんでいるのではなかろうか。


「ロン、悪いけどジェームズにもう一度連絡を取ってくれないか。プロフェット部門にかけあって、腕に自信のある奴は箱館に来いと伝えてくれ」

『ええ……俺、またいじめられるんですけど』

「あとでホットケーキでも焼いてやる。それじゃあ、よろしく」


 一方的に終話ボタンを押すと、恐ろしく長い溜息をついてしまう三善だった。

 初めから覚悟していたことだけれど、今回の方針に対しての周りの反発はかなり強い。ここで己の師ならば、「文句あるなら自分でやってみろ!」と堂々と中指を立てるのだろうが――それはちょっと、否、かなりまずい。


 そういう理論は間違いではないだろうが、なんの解決にもならない。出来ない人が出来る人に頼るのはいけないことだろうか。そういう思いがあるからこそ、敢えて三善は周りからの苦情はすべて受け入れることとしていたのだ。

 三善は渋い顔を浮かべたまま、細々とした部品を数え始める。こういう雑用は精神統一に最適だった。


「お悩みですね。猊下」


 ふと、頭上から声が聞こえてきた。自分を覆い隠すようにぬっと突き出す黒い影がある。

 怪訝に思いながら顔を上げると、そこには見慣れた白い聖職衣の男が立っていた。


「神楽?」


 男――神楽かぐら七緒ななお・札幌支部長は、わざとらしく口角を吊り上げながら三善に言葉を投げかける。


「ああ、そうしていると全く威厳がないな。間違いなくそっちの方が似合っているよ、猊下」

「生まれ変わったら技術職員になるよ、おれ」


 同じ北海道地区の支部長であり、年齢も比較的近い――とはいえ、三善と神楽はちょうど一回り年齢が離れている――ということで、三善と神楽はプライベートでも親交がある。三善が札幌へ出張に行く際はたいてい神楽宅に宿泊しており、朝まで長々と語り明かすことすらあった。

 三善は「それで?」と神楽に尋ねる。


「どうしたの。こっちに来る予定はなかっただろ」

「ちょっとシスター・リーナに用があってね。彼女のお師匠さんから預かり物があって、それを届けに」

「ふうん……?」


 リーナの師匠と神楽が顔見知りだということに対し、三善は少し不思議だと思った。漠然とした思いなので、三善はあまり深く考えないでおくことにした。

 三善は首に巻いていたタオルを解きながら、「そういえば」と神楽に声をかける。


「来年の北海道地区総会ってどうなるか聞いているか? おれ、参加していいの?」

「参加してもらわないと困るよ。ああ、でも、忙しいなら代理でいいんじゃないかな。俺としては参加してほしいところだが」

「代理ねぇ……」


 なんとも便利な地位に就いたものだ。支部長に就任してから二年が経過しているが、使いでいいなんて話は一度たりとも聞いたことがない。今までの不眠不休活動を考えると恐ろしいくらいに楽な待遇だ。こんなぬるま湯のような生活を続けていたら人間駄目になってしまうではないか。

 ふむ、と三善は考え、出られそうなら出てしまおうと考えた。どうせ別の支部長が擁立されるのは大分あとになる。少なくとも、この『塩化』の件が片付くまでは体制の変更はあり得ない。


「姫良」


 突然七緒がその名を呼んだ。大司教就任以降、彼は努めて「猊下」と呼んでいたのに、一体どうしたものだろう。三善が振り返ると、


「無理すんなよ」


 彼は一言、そのように言い放った。


「無理……は、充分しているけど」

「そうじゃなくて。お前はこの件で、今まで以上に悪く言われると思う。お前は変なところで几帳面だから、全部受け止めようとするだろ。それは絶対無理だ。だから、」


 彼の言わんとすることがなんとなく理解でき、三善は納得した様子で二三度首を動かした。まさか彼にまで心配されるとは思っていなかった。半ば苦笑しつつ、


「そのときはまた一緒に遊んでくれると嬉しい。神楽と遊ぶの、好きなんだ」

 と敢えて茶化しておくことにした。


「それにしても、最近胃の調子が悪いんだよな……なんか気持ち悪くて」


 三善はそう言いながら、ゆっくりと立ち上がろうとする。しかし、結論から言うとそれは叶わなかった。突然胃の中が大きく回転したような感覚が襲い、三善は慌ててタオルを口にあてがう。


 その様子に気づかない神楽ではない。

 座っていろ、と七緒が言いかけたその時、三善の様子が急変した。


 突然口元を押さえたかと思うと、背筋がぶるりと震える。ぐらついた身体を左手で支えようとするが、その前に胃の中のものを地面に全てぶちまけてしまった。


「っ……、」


 三善はまだ苦しげに呻いている。肩で息をしながら、まだ嘔吐は続く。地面に水を打つ音だけが響いている。


「姫良、」


 神楽が背中を擦ってやると、ほんの少しだけ落ち着いたらしく、三善の睫毛が静かに震えた。


 神楽は近くにいた職員へ声をかけ、帝都を呼ぶように言った。それから吐瀉物処理用の道具と塩素系漂白剤を用意し、処理が終わるまでは可能な限り人を近づけないように指示を出す。

 職員が慌てて支部へ戻ったのを確認し、それから神楽は自分が今まで首に巻いていたマフラーを外す。それを吐瀉物の上に被せ少しでも乾燥を遅らせるようにすると、少し離れたところにあるベンチに三善を座らせた。

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