第二章 (8) たくらみ

 ロンは教皇庁に送付する書類の送り状を作成しながら、思わず溜息をついてしまった。


 事の始まりは二日前に遡る。

 定例の際、三善がロンに対し「これ、よろしく」となにやら書類の束を渡してきたのである。

 今度は一体何をしでかすつもりなのだろう。呆れながらロンがそれに目を通すと、書類の見出しには『特許使用許諾契約書』と書かれていた。


 ――はあ?


 という声は辛うじて腹の中に押し込められたが、内容を見る限りどうも三善個人と教皇庁の間で何か技術的な契約を締結しようとしている風に読み取れた。ただ、ロンはこの手の話にはとんと疎いので、書かれている技術の内容はさっぱり分からなかった。


 とりあえず教皇庁に問い合わせをしたところ、三善から渡された書類の他に補足資料を添付するよう指示があった。これについても作法がよく分からない。


 困った末にたまたま通りがかったジョンに質問してみたところ、


 ――ああ、か。


 彼はそう呟くと、すぐに書類管理番号を教えてくれた。これをイヴに伝えればいい、とのことである。

 さて、当のイヴはというと、その管理番号を耳にした瞬間怪訝な顔をして見せた。


 ――資料をお渡しするのは構わないのですが、目的がよく分かりませんね……。


 それはこっちが聞きたいよ、とロンが思わずツッコミを入れてしまったのは記憶にも新しい。


 彼女から資料を受け取り、その内容に不備がないことを確認すると、ロンは送り状を書くべくパソコンに向かい――そして現在に至る。


「つーか、これは一体なんなんだ。うちの猊下は一体何者なんだ……」


 今さらな発言をしつつ、ロンは思わずため息をついた。


 改めてシリキウスの経歴を思い返すと、想像以上に派手である。

 十六歳の時にエクレシア史上最年少で司教になり、件の『A-P』プロジェクトでイヴを製作後、十九歳の時に箱館支部長に就任。そして二十一歳――もうすぐ二十二歳になるが――で大司教就任。さらに付け加えるとすれば、今この手元にある資料を見る限り、彼は何らかの技術の特許権者であるとしか読み取れないのだが。


「このひと、人生の方向性を間違えたんじゃなかろうか」


 どこかの研究所にいた方が幸せなのでは……。

 ひとりごちたところで、ロンの元に一本の電話が入った。携帯電話のディスプレイに浮かび上がる番号に、


「……うげ」


 思わず顔をしかめるロンである。

 教皇庁からだった。もしや申請書類に不備があったのだろうか。恐る恐るロンは電話を取った。


「Hello?」


 念のため声色だけは穏やか且つ真面目そうな雰囲気にしておいた。だが、ロンの表情はみるみるうちに険しくなってゆく。


「主席枢機卿自らかけてくるなんて、よほどですね」


 彼が思わず苦笑してしまうほど、相手は意外な人物だったのだ。

 電話の向こうの彼――ジェームズは、相変わらず威圧感漂う口調でロンに連絡事項を伝えてくる。ロンは携帯を左肩に挟み、散らかった机の上からポストイットを探し出した。ボールペンを手に取り、走り書きでその内容をメモする。


「……ああ、はい。猊下は席を外しております。かけ直させますか?」

 結構、と短く返答された。「まあ……、今のところはなにも。猊下も今のところはいつも通りですし。それ以外にはなにか?」


 ふんふん、とロンは一方的に相槌を打ち、それから唐突にぴたりと動きを止めた。脳の中がもぞりと蠢いたからだ。


「――分かりました。伝えておきます」


 そして切った。この時には、既に頭の中はすっきりとしており、先程の違和感は霧散していた。

 暫しの逡巡ののち、ロンは携帯の電話帳から三善の番号を検索した。そしてためらいがちに通話ボタンを押す。


***


 その頃三善は、何故か作業着姿で技術職員と行動を共にしていた。それも無防備に、変装せずに、である。


 あの日――橘の『釈義』調査。そして件のファイルを目の当たりにしたときから、三善の頭の中でひとつの考えがまとまっていた。

 箱館の『塩化』を抑止する方法。それから、『パンドラの匣』との付き合い方について。


 きちんとした話はまたのちほどするとして、三善はそれが本当に可能かを判断すべく簡単に試験をしようと思った。そのため、二日前の定例でいくつか関係者に作業依頼を行ったのである。


 ロンには、『とある技術』をエクレシアが使用するための許諾契約を結ぶ準備を。

 科学研所属・宮部には、この半壊したトレーニング・ルームを「再現試験用の環境」へ仕様変更させることを。

 そして人事権を持つホセに、一言。


 ――『十二使徒』を再編する。


 そこまで回想した三善は、微かに痛む下腹部をそっと擦った。

 今日の三善は宮部班の視察兼手伝いである。


「つーか猊下。あんたがやらなくてもいいだろ」


 俺たちの仕事取るな、と科学研一同に怒られるも、三善はまるで聞く耳を持たない。それどころか、恐ろしく元気に資材搬入をしている。

 これに関しては相応の事情がある。三善が「再現試験環境」として定義した要件には色々と特殊なものが多く、専門職である科学研の面々でも見たことがない資材が相当数にのぼる。そのため、資材搬入は三善が立ち会い、一から確認しておく必要があったのだった。


 三善は顔をしかめる宮部にへらへらと笑いかけ、それからわざとらしく時計に目を向ける。


「まぁまぁ。とりあえずお昼休憩に行ってきなよ。休憩は大事だ」


 休憩してくれないとおれがお上に怒られるんですよー、と三善が適当な調子で言うので、一部の職員は渋々昼食を摂りに出かけていった。

 居残り組の職員の一人が、ふと三善に尋ねる。


「ところで、お上って猊下の場合は誰なんです?」

「労働基準監督官」


 即答だった。


 そのとき、ポケットに突っ込んでいた携帯電話が着信を訴えて震え出した。取り出してみると、発信元はロンだった。それも、個人持ちの携帯番号である。

 まったくもって嫌な予感しかしないけれど、無視するわけにもいかないので、三善はのろのろと着信ボタンを押した。

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