第二章 (7) 塩の釈義
「おーおー。初めてにしてはまぁ、上出来じゃないか」
そんな光景を目の当たりにし、ジョンが遠くで拍手していた。「だが、その能力はちょっとまずいな」
「え?」
肩を上下させる橘の目の前で、三善はその白い閃光の軌跡を眺めていた。床ごとくりぬいていったその軌跡には、本来使っていた木材の質感など一切残っていない。
ゆっくりとその場にしゃがんだ三善は、抉られた軌跡を指でなぞる。雪のように白く細やかな粉が指先に付着した。
「塩だ」
そして三善は呟いた。「ブラザー・ジョン。予想通りです」
アンデレがペトリ皿を片手にやってきて、その白い粉を採取する。彼はルーペでその結晶の形をじっくりと眺めると、三善の発言を肯定した。
「うん、こりゃあ確かに塩だ。間違いない」
「他のプロフェットに『塩化』の能力を持つ者はいましたか?」
三善が問うと、ジョンは首を横に振る。
「いいや。『灰化』なら身近にひとりいるが、『塩化』はない」
「ですよね」
前例通りだ、と三善が呟いたところで、橘が不安そうな様子で尋ねた。
「俺の能力……駄目、なんでしょうか」
「いや、」
それにはジェイがすぐに否定した。「君の場合前例がないだけだ。能力にいいも悪いもないし、それは君自身の個性だ。でも、これをどう認定させればいいんだろう。普通なら物質転換だから化学系なんだろうけど……」
「系統はホセの第一釈義に似ていますね。特殊系の括りにするのが一番正確ではないですか」
三善の言葉に、のんびりとやってきたジョンが首を横に振る。
「特殊系の認定はなるべく避けた方がいい」
そして、橘の頭を鷲掴みにし、乱暴に撫でまわした。単純に安心させようという思いからそうしているのだろうが、その図体でそんなに力一杯頭を撫でるとなると――逆に威圧されているような気がするのは気のせいだろうか。そのあたりについては、三善は敢えて触れないでおくことにした。
「一度特殊系に認定されると、有事の際に真っ先に前線に連れて行かれる。こいつには荷が重いだろ」
「有事?」
橘が怪訝そうな表情を浮かべたので、ジョンはさらに補足してやった。
「プロフェットの中にも、能力の優劣で階級がある。過去に特殊系に認定されたのはヨハネスとホセの二人だけだが、あいつらは『十字軍遠征』の際に最前線に連れていかれ、強制的に人を殺める役目を担わされていた。つまりは、そういうこと。誰よりも地獄に近い人間兵器。それが特殊系釈義の能力者だ。ゆえに特殊系認定は避けるべき」
それはプロフェットが能力を喪失するまで永遠に背負ってゆく罪だ。本来聖職者が行うべきではないとされている殺生を、彼らは嫌でもこなさなければならない。
ふと三善は先日のヨハンの言葉を思い出し、ようやくその意味を理解した。
ホセが「生きながらにして殉教している」ということ。既にあの身体は地獄行きなのだと本人が皮肉っているのだ。
彼が『喪神術』を会得しているのにはそういう意味があったのだ。
彼の中にはそもそも救ってくれる神などいなかった。『釈義』を行使するたびに、神から見放されていく虚無感を彼はひとり噛みしめていくしかない。あのひとはひとりきりで戦うために、神なしでいられるようにあの術を覚えたのかもしれない。
だから、あんなにも悲しそうな顔を――。
三善は目を細め、こみ上げてくる『なにか』に打ち勝とうと、そっと息を殺した。
***
橘が疲労のあまり再起不能となったため、この日は一旦お開きとなった。科学研三人衆は明日のリーナの検査に向け準備をすると言い医務室へ戻っていった。ならば自分も、と言いかけた三善だったが、なぜか全員から「寝ろ」と言われてしまったので、しぶしぶ橘と共に宿舎に戻る羽目となった。
動けなくなった橘を背におぶり、三善は宿舎へ歩き出す。
橘はすでにうたた寝を始めていた。さすがに成人間近の少年を背負うのはかなりきつい。こういうとき、帯刀のように剛力となる能力を持っていればよかったのに、と三善は思う。
橘の部屋は、三善の部屋のすぐ近くにある。
部屋の戸を開け、橘の身体をベッドに降ろすと布団が汚れないよう履きっぱなしになっていた靴を脱がしてやった。橘は死んだように深い眠りについている。胸のあたりが微かに上下しているのを見て、ようやく生きているのだと判別できるくらいに穏やかな眠りだった。
三善は彼に布団をかけてやり、橘の部屋を後にした。
そういえば、三善自身も初めて釈義を使った際は疲労でしばらく動けなかったということを思い出す。あの時は今の自分同様、ケファに背負われて自室まで戻ったのだ。
懐かしいような、なんとも言えない気持ちになりながら自室に戻ると、今まで着ていた聖職衣をその場に脱ぎ捨てた。楽な恰好に着替えようと部屋を見渡し――
「……なにこれ」
そしてこの一言である。
乱れたままのベッドの上になにか置いてあった。布団を直していないのはいつものことだが、この『なにか』は知らない。少なくとも自分のものではないし、朝の段階ではこんなものは存在しなかったはずである。
一体誰が侵入したんだか、と三善はその『なにか』を持ち上げる。
手書きの紙が大量に挟まったファイルだった。百科事典並みの厚さに戸惑いながら、三善は表紙をめくってみた。
「……これ、」
丁寧な字で綴られたラテン語のメッセージが添えられていた。この字は見覚えがある。
『神を喪うにあたり、答えは自分で見つけること』
三善は思わず泣きそうになった。昨日の今日でまさかここまで用意したとでも言うのだろうか。自分の我儘に付き合ってくれるのか。
一体どういう表情を浮かべたらいいのか分からない。
ただ三善は、震える声で呟くしかできなかった。
「……ありがとう、親父」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます