第二章 (6) 『イスカリオテのユダ』
その瞬間、橘の身体が白くまばゆい光に包まれた。鮮烈な光に思わず目を細めると、スラリと長く伸びた棒状の何かが彼の目の前に姿を現す。橘がためらいがちにそれに触れると、独特のプラズマが指先にまとわりつくようだった。しかし、決して嫌な感じではない。むしろ優しさを孕んでいる。
徐々に光が薄れ、肉眼でも状態が確認できるようになる。
橘の手には白い色をした翼のモチーフの杖が握られていた。その正体はこの場にいる誰もが知っているものだった。
見間違うはずがない。それは紛れもなく『十二使徒』が保持するアトリビュートだ。
その奇蹟を間近で見たジェイは思わず目をきらきらと輝かせ、感嘆の声を上げている。
「きれい……」
それとは対照的に、アンデレはその横で数値を取り、黙々と集計している。そしてジョンに記録内容を見せ検算を要求した。ジョンはそれをじっくりと眺め、三回ほど検算を繰り返すと、「合っている」と突き返す。今度はそれをうっとりとしているジェイに突きつけ、
「室長、仕事してくれ」
とアンデレらしからぬきつい一言をつきつけた。
彼は普段ちゃらんぽらんとしていることが多いのだが、こういうときだけはちゃんと働く。もちろんそれは『釈義』に関わることだから、というのもあるが、単純に科学研のトップに君臨する者としてのけじめでもあった。
そんな訳で「お前に言われたくないランキング」上位にランクインするアンデレに叱られたジェイは、ぶつぶつと文句を言いながら記録表に目を落とす。
「仕事しろだなんて、アンディにだけは言われたくないな……。うん、これはちゃんと『釈義』だね」
しかし、とジェイは唸り声を上げる。「ブランク一種と『イスカリオテのユダ』、ねぇ。実に珍しいタイプだ」
出力された『釈義』の数値だけを見れば他のプロフェットとさほど変わりない。しかし、保有する『釈義』が一種類だけというのはプロフェットとしては致命的である。あくまで『十二使徒』の釈義は称号だ。となると、それを立証できる能力を持っているはずなのだが――。
ジェイはふむ、と考え、三善に声をかけた。
「猊下、ちょっと相談!」
「ああ、はいはい」
三善がジェイの元まで駆け寄ると、彼女は三善に先ほどの数値表を開示する。三善もその内容に思わず顔をしかめてしまった。
頭をよぎるは、昨日ジョンが三善へ見せた文献の内容である。
――まさかとは思うが、このブランクに当てはまる能力は『塩化』ではないだろうか。
そう思わざるを得なかった。三善はジェイに何かを耳打ちすると、彼女はゆっくりと首を縦に動かした。そして、未だぼんやりとしている橘へ声をかける。
「タチバナ君、それを使ってなにかできないかなぁ」
「え、なにかって?」
いきなりの無茶振りだ。どうすればいいですか、とおろおろしながら三善に意見を求めると、当の三善はあまりもののペットボトルを壁際に立てて並べているところであった。
「タチバナ、これが的だ。ちょっと狙って振ってみてよ」
「振る……?」
「よく子供向けのアニメにあるだろ。魔法少女っぽい感じに、何卒何卒」
三善が半分笑いながら言うものだから、橘は思わず周知のあまり顔が赤くなった。はっとして周囲へ目を向けると、実の姉が微笑ましいと言わんばかりにうんうんと頷いている。
「そういえば橘の将来の夢は魔法使いだったわね……。ようやく夢が叶って、お姉ちゃん嬉しい」
「それは
そう、全てはこの杖が悪いのだ。アトリビュートだか何だか知らないが、その辺のメルヘン世界に出てきそうな翼モチーフの杖なんか出るから悪い。
顔を真っ赤にしながら、橘は怒号を飛ばす。
「姉ちゃんのっ、」
橘は杖を大きく振りかぶる。刹那、釈義独特のプラズマが走ったが、当の本人は全く気が付いていなかった。
「センセのっ、」
周囲の空気が変わる。妙に聖気が濃くなったのだ。今回三善は特になにもしていないし、三善の聖気に比べたらまだ生易しい感覚がある。
「バカぁっ!」
橘らしくない発言と同時に勢いよく振りかざした杖から、何か出た。
白い光の柱だった。それは猛スピードで並べたペットボトルめがけて飛んで行き、ついには倉庫の壁すらもぶち抜いていく。
ずん、と地響きがした。
砕け散ったコンクリートの壁の向こうには、しんしんと雪が降り積もっている。外は恐ろしいほどに静かだ。だが、その轟音に目を覚ましたのだろう。近くに見える宿舎の明かりがぽつぽつと点灯し始めた。これ以上派手な音を立てれば、間違いなくご近所から苦情が殺到する。
橘は羞恥のあまり肩をぷるぷると震わせながら、ぽっかりと空いた外壁を睨めつけていた。喘鳴交じりに額の汗を拭うと、するりと握りしめていた杖が滑り落ちる。
その瞬間、橘の腰が抜けた。
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